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昨日、丸一日をかけて歩いた道のりをタクシーで移動していると、改めて文明の利器の偉大さを感じる。それと同時に、なんで歩いているんだろう、という素朴な疑問がむくりと首をもたげそうになり、それを無理に抑え込む。
「この時期も歩いている人はいますか?」
「おるねえ。三百六十五日、歩いている人を見ない日はないよ」
運転手さんの答えに勇気づけられる。そう言えば、昨日少し言葉を交わしたおじいさんも、私の前に六十過ぎのご夫婦が歩いていたと教えてくれた。
内子町はずいぶんと横長だ。運転手さんに何気なくそう言うと、平成大合併の時に三つの町が合併してできたのが今の内子町なのだと教えてくれた。平成大合併とは平成十一年に政府が主導して行われた市町村合併のことである。
「当時はどことくっ付くかで揉めに揉めてね。意見の違いで親戚縁者や友人の縁が切れることもあったよ」
私はこれと似たような話をつい最近、何かの記事で読んだのを思い出した。確か、米国では支持政党の違いで家族さえもバラバラになってしまうという内容だった。
「結局、中心地以外は時間をかけてどんどん寂れていっちゃって、蓋を開けてみたらどこと合併しても同じことだったけどね」
役所が中心地に移動すると、それに連れて周縁部では消費が減ってしまう。地元の商店ではなく、仕事帰りに職場近くのスーパーで買い物を済ませるというように、行動様式が変わってしまうのだ。大合併は過疎化を促進した、というのが地域の人たちの実感のようだった。
ひとしきり大合併の話を聞いた後、タクシーが三島神社に到着し、私はそこで降ろしてもらった。料金の端数を切り捨ててくれるあたり、いかにもお接待文化が根付いた四国の人らしい。今日はここから二十キロほどを歩く。
すぐ目の前には雪に埋もれた遍路道があり、念のため、歩けるかどうか確認してみた。見た目よりも雪が深い。五十メートルくらい進んで私が出した結論は、迂回すべしというものだった。今日はずっと国道と県道を歩こうと決めた。
三島神社の標高は四百七メートルで、この先の真弓トンネルを抜けた先が五百九十四メートルの真弓峠だ。そこからが久万高原町なのだが、町境を越えると景色がこれまでとがらりと変わる。まさに、町境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
道路上の雪がだいぶ残っているが、歩道は完全に雪に埋もれているため、歩くなら車道の方がましである。車が近づいてきたら対向車線に移動する。除雪された車道にも凍っている個所があるので油断はできない。濡れたアスファルトのように色濃く見える箇所が氷の目印である。交通量が少ないのが救いと言えば救いだった。
当初予定していた峠越えに至る県道を横目に見て、国道三百八十号線を道なりに進む。その後、松山と高知を結ぶ国道三十三号線を北上していくと、お昼過ぎには久万高原町の中心地に着いた。やはり、昨日のうちに距離を稼いでおいたのが効いたのだろう、思ったよりもいくぶん早い。ここ何日か、生徒数のわりに校舎が立派な学校を何度か目にしていたが、久万高原町の小学校も茶色と白のコントラストが美しい立派な校舎だった。屋根のてっぺんに設えた風見鶏が青空に映えていた。
四十四番札所大寶寺は八十八か寺を巡る四国遍路のちょうどまん中なので、しばしば「お遍路のへそ」と呼ばれる。総門は町中にあり、そこから境内までは一キロほどの緩やかな坂道を登っていく必要がある。私は途中の遍路用品店で金剛杖を買い求めた。雪道では杖があると便利だと思ったのだ。金剛杖の先端に付けようと、黄金色のやや大ぶりの鈴も一緒に買うことにした。
いつもと同じように本堂と大師堂でお参りを済ませたが、正直なところ、これといった特徴に乏しい境内だった。しかし、鐘楼が二つあるのは私の印象に残った。納経帳に朱印を頂いた際に、住職と思しき人に訳を尋ねると、二つの鐘楼には太平洋戦争が関わっているそうだ。
その当時、日本では兵器の製造に必要な資源が足りず、金属類回収令が出されたのだった。寺社の梵鐘もその対象となり、大寶寺も例外ではなかった。終戦後、鐘がないことには供養も出来ぬという訳で、仁王門の梵鐘を境内に移したのだが、ちょうど同じタイミングで平和祈念として梵鐘の寄贈を受けた。そのため、境内には鐘楼が二か所にあるのだった。
「でもな、実は供出した梵鐘は溶かされなかったんや。今どこにあると思う?」いたずらを企む少年のような表情で私にそう問いかけてきた。一瞬間を開けて、住職は笑いながら続けた。「五十一番の石手寺や! ほんまに返してほしいわ」
もし本当に返してもらったら、やはり境内に鐘楼を置くのだろうか。三つの鐘楼が境内に所狭しとばかり置かれている様子を想像すると少し可笑しかった。
次の岩屋寺へ至る遍路道が歩けるかどうか、住職に尋ねると、やめた方がよいという返事が即座に戻ってきた。まあ、想定内である。少し遠回りでも、県道沿いを行こう。どのみち、今日の宿までは一時間半もかからない。無理は禁物である。道中、義母にもらった「富山ころ柿」をお昼ご飯がわりに食べ、思わず歩みを止めてしまった。美味しい。まるでジャムみたいで、今までにこんな甘い干し柿を食べた記憶はない。後で聞いたところによると、富山は干し柿の名産地なのだそうだ。道沿いに食事処があるとは限らず、歩き遍路に携行食は必須なのだ。
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