第15話 タイの正月はソンクラーン

4月9日(日)、真の妻の時子が、母と息子の剛を連れてタイにやってきた。青年海外協力隊では、派遣されている2年間で1度、家族を任国に呼ぶことができる。その制度を利用した初めての訪問であった。

 昨年の4月から、真が福島県の訓練所に3ヶ月間滞在している期間の6月16日に、長男の剛は誕生した。真は出国前に約1週間、実家に戻って剛と対面した。その時は生まれたばかりであり、まるでサルのようなわが子を見て戸惑いを感じていた。

 実家に戻ってきて1週間程度、家族との時間を過ごせたが、すぐにタイへ旅立ってしまったために、約9ヶ月ぶりの再会であった。真にとっては南国タイでひとときを家族水入らずの生活を送ることができたのである。

 この時期はちょうどタイにおける旧正月にあたる「ソンクラーン」と重なっていた。4月13日~15日はタイの正月となっている。もともとは純粋な新年であり、家族が集い、仏像や年長者のお清めを行っていたが、タイの気候では最も暑い「暑季」にあたるため、若年層を中心に水をかけあったことから今では「水かけ祭」として定着している。

 この時期はピックアップトラックに氷水を入れたドラム缶を積み、水鉄砲を使って道行く人に水をかける。水をかける行為自体が「敬意を払う」という意味合いがあり、水をかけられても無礼講となるため腹を立てはいけない。妻の時子と話をして、タイではこの時期が一番の見どころと考え、この時期を共に満喫したのである。

 4月9日(日)~11日(火)までは、バンコク、アユタヤをまわった。旧日本人街にある山田長政の遺跡も見学した。アユタヤは前王朝の首都であった。タイ湾からチャオプラヤー川と数多くの支流を通じて、東南アジアの国々との交易で栄えていた。

 1610年頃、アユタヤに渡った長政は、マラッカやインドネシアなど東南アジアの国々を股にかける大仲買商人として活躍、日本とアユタヤの修好にもつとめた。商人であるとともに、軍事的才能をもっていたため、日本人義勇軍の隊長として派遣され、内乱や外征に次々と武勲を立てた。

 その功績が認められ、日本人の頭領となりアユタヤ王朝から官位を授かった。1628年には、国王ソンタムに認められて、最高の官位にまで昇りつめている。国王の死後はナコンシータマラートの国王に任じられ、パタニー軍との戦闘で負傷し亡くなったと言われている。真はタイの地で活躍した彼の生涯に思いをはせるのであった。

 生後数日しか一緒にいなかったために、見たこともないおじさんの真にだっこされていた剛だったが、少しずつ慣れてきたようだ。どこに行ってもタイの人たちは、剛を抱き寄せて一生懸命にあやして遊んでくれた。これも、タイの人たちのホスピタリティーだと思う。

 12日(水)~16日(日)までの4日間は北部最大の都市チェンマイに滞在した。とにかくどこに行っても水をかけられてびっしょりになったが、剛がいたおかげで被害は最小限に避けられたようだ。象の背中に乗るトレッキングをはじめ、タイの正月「ソンクラーン」を家族らしく楽しんだ。

 真の活動をいつも支えてくれた野球連盟のチャイワット事務局長はチェンマイ大学を卒業した秀才であり、途中から合流して奥さんとともにカレン族の村へ連れていってくれた。

 剛はここのカレン族の子どもともすぐに仲良くなり、違和感なくタイの家族に溶け込んでいた。そんな姿に触れ、将来はきっと真の意思を継いで、タイをはじめアジアの人たちと相互に協力しあいながら平和な世界の構築のために活躍するだろうと確信した。

 久しぶりの家族との時間を過ごした真は、今まで味わったことのない疲労の中、ドンムアン空港まで家族を見送った後、深夜、バンコクにあるタイ代表チームの合宿している施設に戻ったのであった。

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