第2話 始マリ



 ──長い夢から覚めるように、俺はゆっくりと上体を起こした。


 ここはどこだろう? もしかして、異世界ものでよくある「神の間」にいるのだろうか?


 そんな事を考えながら、俺は少しだけワクワクしながら目を開いた。


 しかしそこにあったのは、いつも使用しているボロいテーブルに、使い古されたテレビとパソコンだった。


 八王子にある、小さなアパートの一室。

 ワンルームの狭い部屋の中、布団の上から周囲をぐるりと見渡す。……うん、何度見直しても変わらない、俺の部屋だ。


 っていやいやいや、おかしいだろ。何で俺、自分の部屋にいるの? 

 ついさっき穴に足を踏み入れたばかりなのに。まさかあの穴は、俺の部屋に通じていたのか? 


 いや、それはあり得ない。何だってこんなしょうもないおっさんの部屋に繋がるんだって話だし。

 それに、もし仮に穴が俺の部屋と繋がってるんだとして、【九つの首の竜】はどこに行ったんだ? それに落ちていった人たちは?


 布団の上で、少しのあいだ考え込む。だが当然答えなんて出る筈も無く、俺はその場で深いため息をついた。


 いったい、何がどうなってるんだ?  



「とりあえず、あの穴がどうなったのかニュースでも確認して……って、ん?」



 寝起きの頭で考え過ぎたせいか、フラフラとする頭を抱えながらテレビのリモコンを探していると、俺はある違和感に感じて、首元に手をやる。


 ──なんか俺の声、やけに可愛くね? あとやけに首細くね?? というか、全体的に小さくね???


 次々と浮かんでくる疑問符や違和感に頭を混乱させる中、俺はふと頭に手をやる。

 するとそこにあったのは、懐かしさを感じさせる、かつての同胞髪々の姿があった。



「ああ、そんな……! 抜け落ちていった筈の髪の毛が、なんで……!?」



 サラリとした触感。触れただけでもわかるツヤの良さ。しっかりと頭皮に根を張っている事がわかる、髪の毛の芯の強さと太さ。


 いつの日にか失っていた髪を取り戻し、暫くの間呆然としていたが、髪の毛の色がピンクと気付いた途端に、現実へと引き戻される。


 ──俺の肉体に、何かが起きている。否、起きた後だ……!


 慌てて洗面所に向かい鏡を覗いてみると、そこにいたのは、薄汚れた白シャツに身を包む、ピンク髪の美少女の姿。


 フワフワのピンク髪は腰まで伸びており、精巧な人形にも見える整った顔立ち。そして眼窩の奥で煌めく瞳は、いくつものハートが散りばめられたような模様をしている。



「は? 何だこれ作りもんか? 可愛すぎるだろ……」



 その圧倒的な美少女の姿に、つい俺は声を漏らしてしまう。

 だが何故か、俺の口から溢れた筈の言葉が、目の前に映し出される少女の口から繰り返されていた。


 何だこの幼女、自分のこと大好きか? どんだけ自己愛強いんだよ。最近の子供ってすごいなぁ〜


 〜ぁぁぁんて現実逃避しようと思ったけど無理だわ。

 これ、俺だわ。なんか知らんけど俺、目の前にいる可愛い美少女になってるわ。



「って言ってる場合か!? 何だこれ、どうして美少女になってんだ!!?」



 洗面所の前であたふたと慌てつつ、状況を整理しようとリビングに戻ろうとしたそのとき。



「──良かったぴょん。目が覚めたみたいだぴょん」

 

「は?」



 背後から声が聞こえ、俺は思わず反射的に振り返った。


 何やら語尾に「ぴょん」とつけているが、低めのセクシーイケメンボイスからして、声の主は「男」だ。


 くそ、誰だ? こんなイケボの知り合いなんていないぞ。

 もしかしてアレか? この部屋に住んでいるのが超絶美少女だと知って、入ってきた変態とかか?


 そんな事を、振り返るまでの0.01秒程の間に思考を巡らせるが、答えが導き出されるよりも先に飛び込んできたのは、男の容姿だった。


 まず顔。ぶん殴ってやりたくなるくらいの美形だった。

 乙女ゲーとかに出て来そうな、白髪赤目のアルビノ系イケメン。キモハゲデブの俺には、一生縁のなさそうな顔面をしていた。


 しかし、問題はそこでは無い。

 何故かその男は服を着ておらず、白ブリーフ一丁と、頭から生やしたウサ耳をぴょこぴょこと揺らしている……


 詰まるところ、変態だった。



「誰かァァァァ!! 警察の人読んでくださいお願いします俺の貞操が危ないんですゥゥゥゥ!!」


「まぁまぁ、少し落ち着くぴょん。落ち着いて僕の話を聞いて欲しいぴょん(ブルンッ)」


「この状況のどこに落ち着ける要素があるんだよ!? それと近づいて来るな! 何振るわせてるんだアンタ!?」



 俺の至極真っ当な疑問に対し、変態はイケメンスマイルを向け誤魔化した。





 ──その後、俺と変態はリビングに戻り、一先ず話を聞く事にした。


 変態から聞く話なんて何一つ無い。そう思っていたのだが、変態の口ぶりからして、俺が美少女と化した理由について、何か知ってそうな感じだった。


「良かった、目が覚めた」という台詞を思い出す。

 この台詞からして変態コイツは、俺が目を覚ますのをずっと待っていたのでは無いかと、そう思ったのだ。


 故に俺は、コイツから色々と話を聞かなくてはならない。

 それにコイツなら、穴に入り、気がついたら自分の部屋にいた件についても、何か知っているかもしれない。



「僕の話を、聞いてくれる気になったぴょん?」


「まぁな。とりあえず色々と聞かせてくれ。まず、お前は誰だ?」



 俺の質問に対し、男は少しだけ考える素振りをする。

 言えないような職業でもしているのか? そう思考を巡らせていると、男はボソリと「イナバ」と答えた。



「僕の名前はイナバ。魔法少女を導く天使なんだぴょん。そしてこの世界には、とある事情があってやってきたぴょん」


「はぁ……? 魔法少女? 天使?」



 真剣な顔して、何を言い出すんだコイツは?


 やや呆れ気味に視線を送ると、男は人差し指を突き出し、俺の眼前で止める。

 すると指先からバチバチと電光が走り、視界が軽く明滅した。



「……それが魔法だとでも言いたいのか?」


「そうだぴょん。まぁ正直な話、信じてくれなくても構わないぴょん。さっき言った通り、僕がここに来たのには理由があるんだぴょん」



 イナバと名乗る変態は、そう言いながらテレビをつける。リモコンも無しにどうやってつけたんだ? という疑問が沸いたが、恐らくそれも魔法なのだろう。


 そして、そこに映し出されるのはとあるニュース番組。レポーターがヘルメットを被り、現場で状況を伝えているのだが、その内容がどうにもおかしかった。



『──昨日、品川区広町にあるダンジョンで、【火竜】が観測されたとの情報が、ダンジョン庁より発表されました。火竜は元々「レベル4」相当のダンジョンにしか生息しない魔物の筈ですが、こちら広町にあるダンジョンレベルは3です。本来生息しない筈のダンジョンで、一体、なぜ火竜が現れたのでしょうか』


「……ダンジョン? 火竜? レベル?」



 ……おいおいおい。さっきから何を言ってるんだこのレポーターは。


 重くなる頭を抱えながら、イナバにチャンネルを変えるよう言い、他の番組を見てみる。


 今のは何かの企画とかで、「ダンジョン」をモチーフにしたアトラクションの話でもしてたのだろう。


 そう思い込もうとしていたのだが、他の番組に変えたところで、「ダンジョンが〜」だの「探索者が〜」だの、到底現実で起きている話とは思えない内容が垂れ流されていた。


 それから数十分の時をおいて、俺は肘をついてテレビ番組を眺めている変態──もとい、天使とやらにたずねてみた。



「……イナバって言ったか。今、この世界ってどうなってるんだ?」



 全身から汗が吹き出る。何と言うか、俺の知らないところで、「世界」そのものが、というか……。


 確実に、この世界は俺の知っている世界からかけ離れた世界になってしまった事は、理解出来た。



「どうなっているのか? 見たまんまだぴょん。君が眠っている間──12、世界各地でダンジョンが出現したんだぴょん」


「12年? ちょっと待て、お前今なんて……」



 聞き捨てならない情報が舞い込んできて、俺は思わず身を乗り出した。しかしイナバは、狼狽する俺のことなど無視して、更なる爆弾を投下する。



「──そして、あと数年のあいだに、この世界はダンジョンから放たれる魔素が満ち、ダンジョン内にいる魔物たちが這い出てきて、世界中の人々を喰い殺す殺戮が始まろうとしている。端的に言うと、世界滅亡の危機だぴょん」



 理解が及ばない中、イナバの赤い瞳がゆらりと揺れた……気がした。

 


「だからこそ、僕はこの世界に来たんだぴょん。オウカ、君の力を貸して欲しい。この世界を守るには、君たち魔法少女の力が必要なんだぴょん」



 未だに話へついていけていない俺を置いてけぼりにしながら、イナバと名乗る白ブリーフ・ウサ耳イケメンの変態は、俺の手を取り、不敵に嗤った。




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