第95話 意趣返し

「“氷結アイスフィクスト“」


 ルースは大きなブラッディベアを凍らせる…ではなく、氷で包み込んでしまった。それを見つめていた村人は、いったい何が始まったのかとガヤガヤし始める。

「これこれ…」

 と、また騒ぎ始めた人達に村長は呆れた目を向け、視線をルースへ戻すと口を開く。


「それで、どうするんだい?」

「これを移動させます。どちらにお運びしますか?」

 その答えになっていない言葉に、村長は「そう言うならば」と移動させる場所へ案内を始めた。


 ルースは歩き始めた村長について行く為、氷の塊を押した。すると重そうである氷は、ルースの意思に従うように雪の上を滑って進み始める。

「「「「おおーっ」」」」

 何人か見守っていた者達が、それを見て感嘆の声をあげる。

 そしてルースの隣で一緒に歩くフェルは、不思議そうに滑る氷を見ていた。


「何で動くんだ?重くないのか?」

 ルースに問いかけたフェルの言葉は、村人達にも聞こえるほど移動してきていた為、村人もピタリと口を閉じてルースの返事を待っていた。


「これは下部の接点を平らにしてあり、少しずつ溶かしながら進めています。そして雪を固めつつ移動しているので、それぞれが自己潤滑作用を働かせ、雪の上を進ませることができるのです」


 それを聞いたフェルは特に質問もしないまま、「まぁ滑るんだな」と一言で完結させていた。

 簡単そうに言っているルースも、実は風魔法の補助を掛けて押していたのだが、それは誰も気付いていない様なので特に触れないでおいた。


 そして移動させている先には放牧用の柵があった為、村長はそれらの柵を通れる位まで開けて用意してくれており、そこからギリギリ通した物は無事に飼育施設の敷地を出たのだった。


 こうして運んだブラッディベアは村の中、村長の家に近い拓けた場所へと移動させ、そこで氷結アイスフィクストを解除すれば3mの赤い巨体が姿を現した。


 そこには魔物を倒したと知らせを受けた村人達が家から出て集まっており、今は遠巻きにその周りを取り囲んでいた。

 その中の何人かが松明を持ちその中心を照らしている為、何度もこの村を襲ってきた魔物の正体が、村人たちの前に晒されているのだった。


 村長は運び込んでくれたルース達に近付き、そして3人に頭を下げた。

「この魔物を倒してくれて、本当にありがとう。そして怪我人までをも治療してくれて、いくら感謝してもし足りない。この魔物は何年かに一度この村に現れては、先程のように人を襲い動物をさらっていった。長年この魔物に頭を悩ませていたところに、君たちのお陰でやっと討伐する事が出来た…という訳なんだよ。これでやっとこの村の住人も、安心して日々を送る事ができるよ。本当にありがとう」


 村人の代表として村長が皆に代わってそう話せば、周りで見守っていた人々もその通りだとこうべを垂れた。


「皆さん、頭をあげて下さい。私達は自分に出来る事をしただけなので…」

 今迄こんなに沢山の人に感謝された事がなかったソフィーが、顔を赤くして狼狽えつつ両手を振る。


「皆さん、頭をお上げください。私達は冒険者であり、旅の者です。そんな私達にこの村の方は、泊まる所と温かい食事を提供してくださいました。多少の戦闘経験もありましたので、私達はただ出来る事をした迄です。一宿一飯の恩義に報えたならば、私達も嬉しく思います」


 ルースが静かに良く通る声で村の人々に向けて話せば、村人たちはパラパラと下げていた頭を上げてルース達を見た。

「そう言ってくれて我々も救われるよ。この村は何もない所だが、好きなだけいてくれて構わないよ」

 村長が感謝を示すために言った言葉を、村人たちもその通りだと口々に声を出す。


「そう仰って下さり、正直助かります。ではこの魔物は解体いたしますので、皆さんで食べてください。村長さん、それでよろしいですか?」

 ルースは今までこの村を苦しめてきた魔物を、皆で食べて欲しいと提案する。

 村長は、それで今までの屈辱を晴らせるだろうと言ってくれているルース達に、「ありがとう」と頷いて礼を言った。


 村長の許可をもらったルースは、フェルと共に魔物の解体を始める。腹を裂き皮も剥いで、肉をきれいに切り出していく。

「ほう…手慣れているね」

「いいえ、これではまだまだですよ。冒険者では、もっと早く綺麗にさばける人達が沢山いますから」

 ルースは手を動かしながら、思いのほか大きな肉に苦笑する。一人でさばいていては大変だったろうなと、反対側で作業するフェルを見た。

「やっぱりこいつの肉は、柔らかくて旨そうだ」

 ルースの視線に気付いたフェルが、そんな感想を言う。

 全くこの作業が苦になっていないらしいフェルに、ルースは笑みを浮かべた。


 この様にして、何年にも渡ってこの村を苦しめてきた1体のブラッディベアという魔物は、村人の食材となって終焉を迎えたのだった。



 -----



 翌朝3人は借りた建物の中で身支度を整え、出発の準備を済ませていた。

 早朝にルースとフェルが剣の鍛錬の為外に出てみれば、昨日降っていた雪は止んでおり、今日にでも森の中に入ろうという話になっていた。

 いくら好きなだけいてくれて良いと村長が滞在を許してくれたと言えど、本来の目的もある為、その言葉に甘える訳にも行かないのだ。


 それから鍛錬を終えて支度を済ませた所に、村長が朝食を食べるようにと呼びに来てくれたのだった。


「私達はこの後、出発いたします」

 ルースが、泊めてもらったお礼を言いつつそう話す。

「理由もあるのだろうし、引き留める訳にも行かないね。残念だが」

「あの…でも又、帰りに寄っても良いですか?」

 フェルが村長に向けて問いかければ、「勿論だよ」と笑みを見せた。

 しかし、出発するというのに戻ってくるとはどういうことかと、村長は不思議そうな顔になった。


「私達は、これから北の森に入るつもりですので、またこちらに戻ってくる事になるかと思います」

「北の森へ?それは危険では…」

 そう言いかけた村長だったが、昨日の戦闘を思い出したのか「君達ならば大丈夫なのだろう」と口を閉じて、納得した様に頷いた。


「そうかい。君達には君達の事情もあるのだろうから、私から特にいう事はないが、それならばせめて食料を渡そう。冬の山には食料になる物はないからね」

 村長の申し出にありがたく甘える事にしたルース達は、パンやスープなど手軽に食べられる物を分けてもらい、マジックバッグに入れていった。


「ほう。それがマジックバッグという物か」

 食料を巾着に詰め込んでいれば、その作業を見ていた村長がそう呟く。

「はい。時間停止が付いていて、この300倍入ります。これがあるお陰で、旅が随分と楽になるんです」

 フェルが嬉しそうに村長に説明していれば、それならばと追加で食料を出してきてくれた。


「よろしいのですか?ご自宅の食料が…」

「なに、心配はいらないよ。多少なりとも予備はあるし、もうすぐ冬も終わるからね。それに昨日、大量の肉も出来ただろう?」

 と村長は、清々しい笑みを柔らかな面差しに乗せた。



 村長の気遣いに感謝を伝え、3人は出発する為に村の入口へと向かう。

 サクサクと雪を踏んで歩く道は、村人たちが既に除雪をしてくれていたらしく、村道の脇に寄せて積まれ、その道は歩きやすいものとなっていた。


「今年はこれでも雪が少ない方だ。例年は腰位までは降り積もるから、雪かきが大変なんだよ」

 ほほっと笑ってルース達を送ってくれる村長は、村の中を歩きながらそう話してくれた。

「毎年の事だけど、やはり冬は大変だ。森にはここより更に雪もあるから、君たちも十分気を付けるんだよ」

「「「はい」」」

 こうして村の入口まで送ってもらった3人は、泊めてもらったお礼を伝えて森へと入って行った。




 村長には森に入りやすい場所を教えてもらい、そこを進んで行けば、シュバルツの気配が近付いてくるなり、近くの木からサラサラと雪が降ってきた。


 その木を見上げたルースは、そちらに声を掛ける。

「おはようございます、シュバルツ」


 ルースの声を合図にしたかのように、シュバルツはフェルの肩に降りてくる。今回は先にシュバルツが来たことをフェルに知らせたので、フェルも来ると予測していた様だ。いつもは突然肩に乗るので、怒られているだけなのである。


「おはようシュバルツ。ちゃんと寝たか?」

「おはよう、シュバルツ」


 フェルとソフィーからも挨拶をもらったシュバルツは、最初の頃は挨拶という概念がなく、何の話だと首をひねっていた。だが今は、それが人間のコミュニケーションの一つであると学んでいる。


『オハヨウ,諸君』

 何だか偉そうな言いように、ルースとソフィーがクスリと笑う。

「ん?」

 と、それにフェルが不思議がれば、「シュバルツが可愛かったの」とソフィーが訳を話す。

「こいつが可愛いって、どういう事だ?」

 余計にわからなくなったフェルが、眉根を寄せて聞いてきた。


「シュバルツはただ挨拶をしてくれただけなのですが、言葉遣いがおかしいものでしたので…何というか…ギルマスの話し方のような?」

 尊大であったという喩えに“王様“と言おうとしたルースだったが、それはなぜか違う気がしてギルマスに言い換えて伝える。

「それじゃ、偉そうだったって事だな?そりゃ変だわな」


 何となく話の流れに乗り切れていないフェルも、一応それで納得した。元々シュバルツの話し方を知らないので、今の説明でも理解が難しかったという事もあって、それ以上尋ねる事を止めたのだ。やはり直接やり取りできないと意味合いが伝わり辛いなと、フェルは苦笑したのだった。


 こうしてシュバルツも合流した北の森は、朝陽を雪が反射して森全体がキラキラと光っており、聖獣がここにいるという事も相まって、とても神々しい場所に感じられたのだった。

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