第94話 ブラッディベア

「早くこちらへ!」


 傷ついた人達から視認できる位置まで駆け寄ったソフィーは、そこで声を張り上げた。

 立っているのもやっとに見える男性たちはその呼びかけに頷きあうと、魔物を警戒しながら跛行はこうしつつソフィーと村長がいる方向へと移動を始めた。


 その男性達をも護るように、ルースとフェルは3mにもなる巨大な魔物の正面へと並び立った。

 ブラッディベアは傷つけて弱った獲物を取り上げられたというように、怒りをみなぎらせ『ガァァァーッ!』と咆哮すれば、建物の中にいるアルパカから出る甲高い声が音量を増した。


「これの肉は旨そうだな」

 期待のこもったフェルの声に、フェルも頼もしくなったものだとルースは薄く笑った。


 このブラッディベアはその名の通り、血のような深紅の毛を纏った熊の姿をした魔物で、体長は3mほど。今はその脚を使って器用に立ち上がり、2人の頭上から殺意のこもった瞳を向けていた。


 今ルース達が立っている場所は、森へ向かって広がっている動物を放牧する為の柵の中で、民家のある方向には飼育棟が建っており、その建物の出入口には辛うじて明るさを保つ篝火が2つ灯されていた。


 ルース達はその建物に背を向けて魔物に立ちふさがり、これ以上村の中へと入らぬよう、ここでこれを食い止めねばならない。

 『キュイーン』と建物の中からは、アルパカの声が悲鳴のように続いている。


『ガァァァーッ!』

 と魔物が咆哮し、大きな太い腕を振り上げれば、その体の周りにはブワリと緑色の魔力が膨れ上がる。


「風魔法です!」

 ルースはフェルに、ブラッディベアの攻撃が風魔法であると伝えるも、それとほぼ同時に振り下ろされた腕から風の刃が飛び出してきた。


 ―― !! ――

「“土壁アースウォール“」

 ルースは瞬時に防御へと転じ、フェルを含めた2人の前に防壁を展開した。


 ―― ドーンッ! ――

 その風が当たれば土壁アースウォールが破壊され、その衝撃音が森に反響する。


「私が引き付けます」

「おう」


 瞬時にルースがフェルから離れ、ブラッディベアの側面に回り込めば、魔物はルースの動きを追ってフェルから視線を外した。魔物の動きはルースが意図した通り、一人に狙いを定めてくれたらしいと分かる。


 続けざまルースは自身に風魔法を纏わせ、地面を蹴って魔物へ突っ込んで行く。その動きに魔物は太い腕を振り上げるも、今度は魔法の気配はない。

 だがその腕の先には大きな鉤爪がついており、鉤爪を武器にその太い腕を振り回した。

 ― ブゥンッ ―

 ― キンッ! ―

 それをルースは剣で受け止めて往なす。それを左右の腕で何度も繰り出す魔物は、今、ルースしか見ていないのだ。


 ルースが魔物の注意を引き付けている間、フェルは魔物の背後へと回り込み、大きく息を吸い込むと剣を頭上へ振りかぶった。


「はっ!」

 渾身の力を込め、袈裟懸けに魔物の背を切り付ける。

 だが手応えはあったはずなのに、魔物に付けた傷はさほど深くはならなかった。

「チッ」

 フェルは思わず舌打ちし、すぐさま後退して間合いを確保する。


 今の一撃でフェルの方へと意識を転じた魔物は、離れて立つルースとフェル2人を視界に入れるために下がって、態勢を変えた。


「硬いぞ」

「ビッグボアのように、風を防御に使っている様です」

「厄介だな」

 ルースが伝えてきた状況に、フェルは剣を握り直し気合を入れ直す。硬くても切るだけだ。


 ルースとフェルはまるで合図を送ったかのように足並みを揃え、左右から魔物へと駆け出せば、魔物は迎え撃つつもりか魔力を膨らませた。

「風がきます」

「おう」

 ルースとフェルはビュンと放たれる風の刃を、今度は剣で受け止める。

 ―― キンッ! ――

 ―― カキンッ! ――

 飛んでくる風を地面に叩き付けるようにして往なせば、次は間合いを詰めて攻撃に転じた。


 2人は阿吽の呼吸で同時に魔物へと接近する。

 両方から同時に攻め込まれたブラッディベアは、両腕をやみくもに振り回してきた。

 傍にいるものには“ビュンッビュンッ“と、それは空気を切り裂く風切り音をさせているものだった。

 そこへルースが剣を送りだせば、鉤爪に当たり“カキンッ“と弾かれる。


 そこへ間髪入れず、フェルが剣を振り下ろして魔物の腕を切り裂く。

 ―― ズバッ! ――

『グァァーッ!!』


 2人の猛攻撃に魔物はたまらず後退し、間合いを取ったところで魔物が威嚇の為か大きく口を開け咆哮しようとすれば、その口を目掛けルースは氷柱を打ち込む。


「“水槍アクアランス“」 

 ―― ザクッ ―― 


 口の中に氷を打ち込まれたブラッディベアは、それを吐き出さんばかりに腹からくぐもった声を出してもがいている。そしてその体から風魔法が消えた事を、ルースは目視でとらえた。

「防御が消えました」

「おう!」


 その気が逸れた隙を見逃すはずもなく、フェルは瞬時に駆け出して剣を中段に構えると、無防備にさらけ出すその腹へ向けて刺突しとつを繰り出した。


 ――― グサッ!! ―――

『ゴォァーーーーッ!!』


 口を塞がれていてもその咆哮は、悲鳴として音に出る。

 剣を引き抜いたフェルが即座に間合いを取って飛び退り、視線を転じてルースの動きを確認すれば、次は私の番ですねと言わんばかりに、ルースが握る剣は輝きを帯びた。


 ルースは剣に渦巻く風を乗せて、ブラッディベアの脇腹を貫く。

 その突き立てた剣は、軽く刺したかの如くグサリとガードまで深く刺さり、その手応えを受けたルースは、力を込めて水平に振りぬく。


 ―― ズバッ! ――

『ギュァアァァァーッ!!』


 今までよりも一層大きな声を出した魔物は、振り回していた腕をだらりと下ろし、そのまま崩れるように倒れた。


 ――― ドサッ!! ―――


 倒れた場所にはまだ雪があった為、思いのほかその音は響かずに済んだようだ。

 だがその白い雪にはどくどくと、魔物から溢れ出る赤い色だけが広がっていったのだった。



 いつの間にか明るくなっていた放牧場の中で、やっと動きを止めた魔物を確認すると、ルースとフェルは剣を振って鞘に収めてから、ソフィー達がいる方を振り返った。


 そしてそちらを見れば、集まってきていた村人たちがルース達の視界を確保するために松明を掲げ、柵の周りから2人の戦闘を見守ってくれていたのだと気付いた。

 その数は40人ほどで、村長宅まで走ってきたハンスが村中の男たちに声を掛け、集まってきた者達なのであった。


 ルースは彼らに向け、戦闘に没頭する自分達を配慮してくれた事に、深く頭を下げた。そしてルースが顔をあげれば、「わぁっ」という声と共にその松明が動き出した。

 皆は柵の中に入って来るなり、村長と怪我をしていた村人たちの所へと集まっていく。そして3人程がルース達の傍に来て、皆の所へ行こうと呼びにきてくれる。


「本当にありがとう。俺達の命の恩人だ」

 ルース達の戦闘中、ソフィーが手当という名の回復ヒールで回復させていたらしい2人が、口々にソフィーへ向けて感謝の言葉を伝えている。

「大げさですよ…治って良かったです」

 ニッコリと笑ったソフィーがその2人へ返事をすれば、辺りは一斉にガヤガヤと人の話す声で溢れかえった。


 そこでその声に驚いたのか、建物の中から再び『キーンッ』という鳴き声が聞こえてきた。

「こらこら、アルパカ達がまだ怯えているんだから、もう少し静かに。誰か、アルパカを落ち着かせに行ってくれるかい?」

「「「はい」」」

 その返事をしたと思しき3人が、集団から飛び出してアルパカの建物の中に入って行った。


「じゃあ、コレも場所を移した方がいいな。いつまでも魔物をここに置いてたら、動物が怯えたままだ」

 フェルの的確な言葉に、ルースは頷いた。

 そしてルース達は、移動も自分たちの担当だろうと当たり前のように魔物へと近付いて行くが、その大きな体は推定でも100キロは優に超えているように見えた。


「それは重くて動かせないだろうから、荷車が必要だな…誰か、荷車を持ってきてくれるかい?」

 村長が話の流れを読んで村人に指示を出せば、ルースは軽く手を上げて村長の言葉を止めた。

「お待ちください。そもそもこれを乗せるには荷車一台では足りませんし、この雪です」

 ルースは雪の降り積もった地面を見て、これでは荷車は動かせないだろうと話す。


「それにわざわざ荷車を出さずとも、移動する方法はありますので」

 ルースの言葉を聞いたフェルが、小声で問いかける。

「おいルース、いくらなんでもこの大きさじゃマジックバッグには入らないぞ?どうやって移動させるんだ?」

 フェルの言う通り、この巨体はマジックバッグには入らない大きさである。


 しかし現状を見れば、他の方法でも移動はできますよね?と、ルースはコテリと首を傾けてフェルを見つめたのだった。

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