第93話 警戒音

 その後、落ち着きを取り戻した村長達に聞けば、ここは、ウィルス王国のはずれにある“トリフィー“という名の村という事だった。

 とうとうルース達は、国の端まで来てしまっていたのだ。これ以上この国の北に人の住むところはなく、これより北へ数日進んで行けば、国境を越えて他国に出るという事らしい。


 ルース達が目的とする場所は、この村の北にあるという。

 村の先にはもう広大な森林地帯しかなく、シュバルツの言った“北の森“は、この森の事だったようである。

 それは山と呼ぶもので今はその姿を白く変えているが、この村はその山の麓にあり、豊かな木々に囲まれるようにして佇んでいる。

 シュバルツがその山に目的の聖獣がいると伝えている為、ルース達はこの白く高い山へ聖獣を探しに入る事になるのだ。


 いったいシュバルツは、スティーブリーからどれだけの距離を移動していたのかと驚く。

『空カラ行ケバ,障害物ハナイ。造作モナイ事ダ』

 と、それが当たり前であるかのような言い方をしたシュバルツに、ルース達はもう笑うしかなかった。


 村に着く前にシュバルツと話していた時、半年にも及ぶこの移動に、思った以上の距離であった事を話した。確かに、立ち寄った町々では短期間といえども滞在しつつ旅をしてきたが、それを除外しても移動だけで結構な日数になっているのだ。

 地を伝って辿る場所は、道の都合でただ北へとまっすぐ進む訳でもないのだから、空を飛べればどんなに楽だろうかと3人は乾いた笑いを浮かべたのだった。




 こうして辿り着いた村で3人が借りた建物の中は、6・7人が泊まれる程の広い一間で、簡易の台所から続く小上がりの床が設えてあり、その奥に暖炉があって一片の壁際には何かの作業で使うらしい道具が並んでいた。


 ここは村人が集まった時に使う建物らしく、会合を開くときや集まって何かの作業をする時に使っているとの事だった。

 その小上がりの床には靴を脱いで上がるのだと言われ、慣れない感覚に戸惑いながら、ルース達は靴を脱いでその床に上がった。


「ここは動物の毛をって糸にする為の作業でも使っていてね、その糸が汚れない様に予め靴を脱いでいるんだよ」

 村長の説明に、ルースは壁際に並ぶ道具を見た。


「この村は、動物から刈った毛を紡いで糸を生産する事で成り立っているんだ。男たちは動物を飼育して、女たちはその毛で糸を紡ぐ。村人は子供の時からそれを手伝うから、生産系の職業ジョブが出る者が多い。飼育師ブリーダー紡績師ぼうせきしという職業ジョブをもつ者が多い村だよ」


「他の職業ジョブが出た人は、どうするんですか?」

 と、そこでフェルが疑問を口にする。


「あぁ、“商人“の職業ジョブが出た者などは遠くの町へ出ていく者もいるが、ここへ買い付けに来る商人と村との間で、交渉する為に働いてくれていたりするね。そういう人からは商品の発想が出たりすることもあるから、いてもらって助かっているよ」


「戦闘系の人は、どうしてるんですか?」

「たとえば“弓士“で言えば、狩人として周辺の森に入って食べる為の獣を取ってきてくれるね。植物を育てている者も当然いてね、儂ら村人が食べる分や動物が食べる分を賄ってくれている」

 村長の話に頷いたフェルは、「なるほど」と納得しているようだった。


 先ほど村長の話に出てきた“紡績師“とはルースも初めて聞く職だが、服飾師が服を作る為の材料となる糸を作る人も、必ずいるものだと納得する。

 そんな村人達が集まって皆で作業する時などにこの建物を使っているのかと、ルースは村長が話してくれている間、興味深げに道具を見つつそれを聞いていた。


 そんな場所を借りた3人は、床に布団を出してもらい、今夜はそこに寝る事になった。家の中で野営をしているみたいだな、とはフェルの談である。

 夕食が出来たら後で呼びに来ると言いおいて、一通り話した村長は満足した様子で建物を後にしていった。




 それから少しして夕食の時間になれば、村長が3人を呼びに来てくれた。

 その言葉に甘え村長宅で夕食をごちそうになる間、村長は話したりないとばかりに村の話をしてくれている。


「この村はこうして雪が積もるから、冬は皆家の中で過ごすことが多いんだ。冬の間に各家では、刈り取った動物の毛を糸にする作業をしながら過ごしているんだよ」

「え?冬に毛を刈り取ってしまっては、動物が風邪を引いてしまうのではないのですか?」

 ソフィーは時期的な部分を鑑みて、冬になる前に毛を刈る作業をしているのかと質問したのだ。


 その質問に村長は「ほほっ」と笑うと、説明を始めた。

「それはないから大丈夫だよ。そもそも動物は、冬の間の寒さから身を守るために、毛を伸ばして温かくしているんだよ。だから冬の時期に紡いでいる毛は、夏の間に刈り取ったものを使っているんだ」

 その話にソフィーは笑みを見せて頷いた。


「じゃあ、夏の間は何をしているんですか?」

 フェルも作業の流れが気になったのか村長に質問をすれば、それに答えたのは、目の前にある美味しい料理を作ってくれた奥さんの“ガーネ“だった。


「夏も糸を紡いでいるわよ。冬の間だけでは終わらない量の毛が取れるし、子供達に作業を教えたりもしているの。それにやっと残りが少なくなったと思えば、また刈り取りをしているでしょう?殆ど一年中の作業になるのよ。でも夏の間は畑を手伝ったり、他の事もしているわね」


 ガーネの話では、飼育している動物の数はこの村の人口よりはるかに多いのだという。その為大量に出る獣毛を保管する建物や飼育施設は、この村の半分以上を占めているらしい。


「その動物は“アルパカ“というんだが、男たちは一年中それの世話をしているよ。一頭一頭が個性的でね、なかなか飽きのこない動物たちなんだ」


 その動物の話をする村長は、微笑みを浮かべて話している。動物の飼育は大変だと聞くが、それよりも愛情が上回っているのだろうと、ルースも心が温かくなる様でほのぼのとする。


 そんな村長達の話を聞きながら夕食を摂っていると、乱暴に家の扉を叩く音がした。


 ドンドンドンドンッ!

「村長!大変だ!」

 緊張した声に、村長は慌てて家の扉を開けてその者を見た。

「どうしたんだハンス」


 ハンスと呼ばれた男性は、雪除けのフードから青い顔を覗かせ、慌てたように話し出した。

「飼育施設が魔物に襲われている!俺達が見回りをしていた時、アルパカが騒ぎ始めたから慌てて駆け付ければ、森から魔物が走ってくるのが見えたんだ。俺は応援を呼びにここまで来たが、サリムとドリドが今残って魔物と対峙してる!」


 家の中まで響く声でハンスと呼ばれた者が話せば、家の中は一気に緊張に包まれ、開いた扉から入る雪のせいか、急激に室内の空気も冷えていった。


「わかった。ハンスは続けて他の家にも応援を頼んでくれ。儂は先に飼育場に向かう」

 落ち着いた村長の言葉に少し冷静さを取り戻したのか、ハンスは「わかった」と頷き踵を返して村の中に走り出していった。


 扉を開けたまま、村長は部屋の中にある槍を掴んでガーネに振り返った。

「家は任せる」

「はい。お気をつけて」

 2人の会話は、夫婦としての歴史を物語っているかの如く短いものだったが、言葉はなくとも慌てる事のない2人を見て、流石に村長と呼ばれている人物であるなと、ルースは尊敬の念を抱く。


 そして誰かの視線に気付いたルースがそちらを見れば、フェルとソフィーがじっとルースを見つめていた。

 それに頷きで返したルースは、村長に向き直ると話し出す。

「私達もお供いたします。一応冒険者ですので、少しは戦闘の経験もあります」

 ルースの申し出に「助かる」と短く感謝を伝えた村長は、ルース達を連れ、飼育場へと向かって駆け出していった。



 外に出れば遠くから何かが発する甲高い音が響いており、「キュイーン」とも「キーンッ」とも聞こえる音が続いていた。

「アルパカの警戒音だ」

 走りながらも村長は、その音の正体をルース達に伝える。

 家の中では気にならなかったが、外ではその高声こうしょうが村中に警告を告げているようだった。


 そして大きな建物を通り越した柵の内側で、剣と槍を持つ男性が2人、傷を作りながらもそれを建物に近付かせない様にして立ちふさがっていた。

 その対峙している物を見れば、人の2倍近くある巨体を持った1体の熊の様な魔物だとわかった。


「ブラッディベア…」

 村長は渋面を作り、その魔物の名前を言った。

 ルース達はその魔物を初めて見たのだが、村長は知っている魔物のようだ。


 村長は顔には出さぬものの、心の中では諦めていた。

 何年かに一度、こうして村を襲ってくるブラッディベアがいて、そのたびにアルパカと村人が何人も犠牲になっていたのだ。長年可愛がって育てているアルパカを奪われるという悔しさと、自分よりも若い村人がいつも犠牲になっている事に、村長は怒りよりもうれいが胸を覆いつくしたのだった。

 これが自然の摂理というものなのかと、唇を噛む。


「私達が行きます」


 ルースが思考を飛ばしていた村長に声を掛け、即座にルースとフェルはその魔物に向かって走って行く。村長の思考などルース達には分かるはずもなく、今、自分達に出来る事をするだけなのだ。

「ソフィーは彼らを頼みます」

「はい」

 駆け抜けていくルースからの言葉に、ソフィーは視線を転じ、傷ついている村人達へ向けて走り寄っていく。


 傷ついた2人を庇うように魔物の前に躍り出たルースとフェルは、抜刀した剣を構え、ブラッディベアを睨みつけたのだった。

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