第二章 ~始~

第15話 陽は昇る

 翌朝、まだ薄闇の残る村の入り口に、フード付きのマントを羽織ったルースが立っていた。


 そこにはルースを見送りに来たシンディとマイルス、そしてピーター達友人と村長夫婦に司祭の姿があった。

 静かに出ていくつもりが、思いのほか見送りの多さに驚き、ルースはこの村の事をより一層大切に思う。


 皆は昨日、結婚式が終わって寛いでいるはずのシンディとマイルスが村中を駆け回り、ルースが着られる服や保存食などを分けてもらっていた為、何かあったのかと、ルースの出発を一気に周知させる事となったのだった。

 それを止めるルースに構わず、シンディとマイルスは、旅立つルースにできる限りの事がしたいのだと言って、村中が大騒ぎとなったのだ。


(私はいつまでも、シンディには適いませんね…)


 自分の為に動いてくれる家族に、ルースは心からの礼を伝えた。

 そして今、出立を知り見送りに来てくれた者がこんなにも多くいる事に、ルースは決心が鈍りそうになるほど、嬉しさで一杯だった。


「これは俺が昔使っていた物だが、まだ十分使えるから持って行ってくれ」

 そう言ってマイルスは、年季の入った鉄剣をルースの前に出した。

 ルースはその剣から視線を上げてマイルスを見れば、マイルスは「早く取れ」というように促す。


「ありがとうございます」

 手を出してその剣を受け取れば、それはズシリと重く、付いている腰ベルトを装着してその剣を下げた。


「あー…ぎりぎり、だな…」

 マイルスがルースの姿を見て苦笑するのも頷けて、まだ165cm余りの背丈しかないルースには、腰から下げる剣が地に着きそうな程で余裕がない。

「すぐに大きくなりますよ」

 と、ルースは苦笑して剣に手を添えた。


 そこへシンディが進み出てルースの前に手を出す。

「それからこれ…少ないけど、持って行って」


 見ればその手には小さな革袋が乗っており、ルースがそれを受け取れば、チャリンと金属音が鳴った。

「本当に少ないのよ?」


 それに「ありがとうございます」と頭を下げたルースを見て、シンディは泣きそうな顔で笑ってる。続けてシンディは自分の首の後ろに両手を回すと、首にかかったものの鎖を外し、ルースの首の後ろへと手を回した。

 されるがままのルースはシンディが離れると、自分の首からペンダントが掛かっている事に気付く。


「これは…」

「ルースが持っていて」

「ペンダント…ですか?」


 このペンダントはシンディに拾われて直ぐの頃、一度見た事があった。ルースの目の前にたまたまシンディの襟元から出た、金色の台座の上に乗る天色あまいろのキラキラした石がとても綺麗で、何もわからないルースがそれを引っ張ろうとして、慌ててシンディに止められたのだった。


「そうよ。それは私の師匠からいただいた物なの。そのペンダントには精霊が宿っていて、困った事があれば助けてくれるらしいわ…」

「え…?」


「と言っても、精霊の事は本当かどうか、分からないんだけどね。それは私が独り立ちする時に、師匠がそう言ってくれた物だから、何か困った事があれば王都にいる私の師匠、“グローリア・アヴニール“という人にそれを見せれば、きっと力になってくれるはずよ…」


「そんな大切なもの…」

「いいのよルース。ルースは私の大切な家族だもの。持っていて」


 その言葉に、ルースはシンディの顔を見て大きく頷く。

「わかりました。ありがたくお借りします」

 と素直に返せば、陽の光が徐々に村を照らし始めていた。


 そろそろ出発ですねとルースが一歩、後ろに動けば、シンディ達の後ろにいたピーターが、大声を出す。

「ルー!ちゃんと帰ってこいよ!」

 と手を振って笑っている。その周りの友人たちも、泣き笑いを浮かべて手を振ってくれていた。


「はい!勿論です!」


 そう声を発すると、ルースは昇る朝陽に背を向けて、振り返らずに歩きだしていく。

 その背中に、顔を手で覆ったシンディが、こらえきれずにマイルスにしがみ付き涙する。

 マイルスはそのシンディを抱きよせると、ルースが見えなくなるまでの間、いつまでも見送っていたのだった。



 -----



 ルースが5年暮らしたボルック村は、ウィルス王国の東端に位置する。

 この村から続く道は、行商人や旅人が使う位のもので、舗装などという大層な加工は施されていない。その為、馬車の轍が残る土の道が、村から続く道に南北を繋ぐように続いていた。

 南へ2日行けば隣町があるが、ルースは敢えてそちらではなく、北へと進路をとっていた。


 ボルック村にいた頃、遠くに大きな山が見えており、その山は、聞けばこの国の中にある訳でなく、もっと遠くにあるのだという。

 その魔巣山まそうざんが見えていた方角がこの国の北西で、ルースはその山の方角へと進む事にしたのだった。


 不思議な山だな…。


 いつもこの山を見る度に何か気になっていたルースは、時々、何かが沸き上がるかの様な想いに飲み込まれそうになり、この山は自分と関係があるのかと、そう考えていたのだった。

 ただ、ルースがこの山の事で知っている事と言えば、山の名前だけ。村人にあの山の事を尋ねても本で調べても、シンディから聞いた「登った者が戻ってこない山だ」としか、わからなかったのだった。


 歩きながら魔巣山を見て、そんな事を考えていたルースは、初めての一人旅に気を引き締めなければと、その思考を止めて、目の前の道に集中した。




 ルースは取り敢えず道と呼べる所を歩き、気付けばお腹も空いてきた。

 ここは見晴らしの良い道で、多少の緩急がある為ずっと先まで見る事もでき、見渡す限り何もないが、ルースの心は穏やかだった。

 そして道の脇に倒れている木を見つけると、そこに腰を下ろして荷物を開く。


 今朝、シンディが昼食にと持たせてくれたサンドパンには、肉と野菜が沢山詰まっていた。それを咀嚼しながらルースは、青く広い空を見上げた。


 それから、取り出していたカップに水を満たす。

「雲に纏う衣よ、我の下にきたれ。“ウォーター”」

 こうして、コップに注いだ水を飲み喉の渇きを潤せば、再びサンドパンへとかぶり付く。



 食事が終われば、今度は地図を取り出す。

 これは昨日、ルースが荷物の確認をしていた時にマイルスが来て、自分が使っていた物だから古いかもしれないが、と前置きしたうえで渡してきた、この国の地図だ。その地図は大雑把で、大きな街だけが描かれているものだった。


 それを受け取った時、ルースはマイルスを凝視した。

 この地図は大雑把ではあるものの、そもそも地図自体が高額なものなのだ。ボルック村の村長でさえ地図という物を持っておらず、当然村にも地図がなかった。

 “皆には内緒だぞ?“

 と、いたずらっ子の様に言うマイルスに、ルースは深く感謝した。

 流石のルースでも、地図の価値までは知らないだろうと思っていた様だが、ルースは既にその価値に気付いており、それを持っていたマイルスに驚愕したのだった。


 それを思い出しながら地図を見ても、現在地…いやその前に、ボルック村の位置すらこの地図には載っていない為、ここがどの辺りかという事が一切判らず、ルースは苦笑してそれを大切そうに袋へしまい、人影のない道を再び歩き出したのだった。



 しばらくすれば木々の生い茂る林が、道の先に見えてくる。


 “こういう視界の悪い場所は、何が出るか判らないから気を引き締めろよ“


 ルースは以前、マイルスの森の巡回に、何度か連れて行ってもらった事がある。その時にマイルスから今の言葉を聞いた事を思い出し、道の先に見えてきた林に近付くにつれ、警戒を引き上げてゆく。


 だがその見えていた林は、実際にはルースの足で歩けば1時間近くかかる場所だった。やっと目の前に見えてきた林に自分の知識を修正すると、再度気を引き締めて歩き出した。


「……」


 実際にその林に近付けば、何か嫌な予感がする…。ルースは風魔法を発動させ、まずは音の確認をした。

そよぐ流れは我に集まれり。“集音ラサンブレ”」

 小声で詠唱したルースの周辺に、さざ波の様に空気が揺れる。そして100mほどに広がったそれは、木の葉の騒ぐ音と共に、耳障りな音も届ける。


『グガッ…ガガッ』

『ゴガッ』


(?!)

 ルースに聞こえたものは、何かの声と呼べるものだった。まるで鼻で音を鳴らしたかの様な、動物の声にも聞こえた。


 “いいか?ルース。魔物は何処にでもいるんだぞ?何か異変を感じたら、自分を信じて気を抜くな。そして魔物に見付かってしまえば、それは飛び掛かってくる。初手が大切だ、それを忘れるなよ“


 頭の中でマイルスの声が再生される。ルースの職業ジョブが出てからマイルスには、言葉と行動で色々と教えてもらっていたのだ。 


「はい。マイルス」

 とルースは独り言ちてから、その耳障りな音の方角へと近付く。

 とはいえ、道の近くで音がする為この道を進むならば、その直ぐ傍を通過しなくてはならないのだ。


 そしてゆっくりと慎重にルースは足音を忍ばせ、その音のする場所へと近付いていった。

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