第2話 少年の真実
村長宅から戻ったシンディは、手に子供服を抱えていた。
村長の家で話した時、どこかに要らぬ子供服はないかと相談したのだ。
それを聞いた村長が、同じ位の子供がいる家に声を掛けてくれ、数着分の服と下着を貰って来ていたのだった。
これは皆、子供が大きくなって着られなくなった物だと言っていたが、常備薬でもお返ししようとシンディは心の隅に記憶した。
自宅の扉を開けてまっすぐ少年の眠る部屋の前に来た時、ガタンと中から音が聞こえ、シンディは慌てて扉を開けて中へと入った。
「あらら…」
シンディの口から気の抜けた声が漏れる。
少年は起きており、テーブルの上に置いてあった水の入った木製カップを、床に落としてしまった様で、テーブルの前で水滴を垂らしながらキョトンと立っていた。
多分喉が渇いていたのだろうとは思うが、まさか水の飲み方も分からないのかと、頭が痛くなったシンディである。
取り替えたばかりのハンカチをポケットから出して、濡れている少年の顔を拭く。次いで雑巾で床を拭くと、カップを2つ用意しそれに水を注いだ。
少年はその間、シンディの動きを目で追っているようだ。
少年が自分を見ている事を確認してカップの持ち手を掴むと、ちょうど喉が渇いていたシンディは自分が飲んでみせ、ほ~っと息を吐く。
少年は目を瞬かせてから、今度はシンディと同じ動作をしてみせた。
それを見て、この子はやり方さえわかれば、直ぐに覚えてくれるだろうと、何とか日常生活の方は希望が見えてきたが、それ以前に言葉がわからないのでは、名前を教えてもらう事もできない。そう考えていると隣で“ほ~”っという息遣いが聞こえてきた。そこまで真似しなくても良いのに…。
シンディは少年を椅子に座る様に誘導してから、自分も椅子に座り少年と視線を合わせる。
このまま少年の名前が無いと不便なので、シンディは少年に仮の名前を考えていた。
「私は、シンディ。そして貴方は、ルース」
自分と少年を交互に指さしながら、少年の仮の名前を伝える。
「シンディ。ルース」
少年は、その指先を目で追う。
「シ…ンディ。ル…ス」
「そうよ、“シンディ”と“ルース”ね」
「シンディ…ルース」
シンディは頷いて少年の頭を撫でる。
「“ルース”はあなたの仮の名前よ。そして“ルース”は光という意味があるの」
シンディの言葉を、キョトンと頭を傾け聞いているルースに苦笑する。
こうして、やっかいな少年と魔女のシンディの共同生活が始まったのだった。
まずは、生活に必要な行動と言葉。
それらを中心に、シンディは仕事の合間を縫って甲斐甲斐しくルースに付き添い教えてゆく。
ルースは一度教えれば覚え、常にはシンディの行動を観察しながらどんどん日常生活に馴染んで行った。
シンディの仕事中、ルースは幼児用の教本で大人しく勉強をしているし、薬草を煎じていればその手元をじっと見ていたりもする。
言葉をまだ操れない為か、比較的おとなしい子供だなとシンディは思っていた。
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「ルース、出掛けるわよ!」
「はーい」
外からパタパタとルースが戻って来る。
最近では裏庭の薬草畑に、ルースが水やりをしてくれているのだ。
出逢ってから半年近く経った今、言葉も話せるようになってきた事もあって、今日は村の教会でルースのステータスを視るための“承認の儀”を行う予定である。
ここウィルス王国は、ウィルコックス王家が統治する国で、国王が国を導き人々は安定した暮らしを営んでいる。
穏やかな四季があり農作物も多く流通し、戦争もなく平和な国である。
そしてこの世界には“
前者は人々を助け、後者は争いを好む。平和な国の中も、決して平坦ではない。
その魔素は一部の人間にも使う事ができ、“魔力“という表現で認識されている。そしてそれは、“ステータス”という個人の情報や能力を掲示する物により、数値として確認する事ができた。
その掲示させるものは魔導具で、教会に必ず設置されている。そのため子供は15歳まで教会へ行き、毎年そのステータスを視てもらうという習慣があった。
毎年の確認は、数値の変化や
その様に、ステータスには色々な情報が記載されているが、それを始めて視る行いを“承認の儀”と呼び、今日はその承認の儀をしてもらうのだ。
仮の名前を付ける前に教会へ行く事も考えたが、言葉も話せない大きな幼子を連れ歩く訳にも行かず、ある程度落着くまではと思い、気付けばもう半年も経っていたのだった。
今日視てもらうステータスには細かな項目もあるが、この少年に大切なのは、今のところ名前と年齢だ。
10歳を超えていれば村の学校に通わせる事も出来るので、同じ年代の子供達と過ごす方がルースの為になるだろうと考えていた。
2人は森の入口にある家から手を繋いで、村長の家より奥にある教会へと向かう。
村の道は剥き出しの土を
「あれはなに?」
もう随分と話せるようになったルースが、遠くに見える山を指さす。
「あれは魔の山、正式には“
「もどってこない?」
「そうよ。二度と会えなくなる、という意味だと思って良いわ」
シンディはルースを握る手に力を込め、そう教える。
「じゃあ、わたしは行かない」
シンディの話し方をまねて覚えているルースは、自分の事を“わたし”と言っている。
私という言葉は丁寧語であり、女性だけが使う言葉とは限らない為、シンディはあえてその言い方を否定してはいなかった。だがそろそろ、他の言い方も覚えた方が良いのだろうなと考えていた。
2人でてくてくと歩き、教会に到着する。
この教会の奥の部屋には、“学びの間”と呼ぶ学舎として使われている部屋があり、10歳~15歳までの子供達が集い、今は勉強をしている時間だ。奥からは人の声も聞こえてくるが、入って直ぐの礼拝室は人もおらずステンドグラスから入る光が、室内に色を添えているだけであった。
時を置かず側面の扉が開き、一人の男性が入って来た。黒で統一され丈長のゆったりした服を纏うこの人物は、中央教会からこの村の教会へ配属されている司祭“チェスティン”だ。
「ああ、もういらっしゃっていましたか。ようこそおいで下さいました、シンディさん」
シンディとルースは司祭の声に促される様に歩みを進め、中央祭壇の司祭の下まで近付いた。
「こんにちは司祭様、本日はよろしくお願いします」
先ぶれでルースの事を伝えていたシンディは、ルースの肩に手を添えて司祭へ紹介する。
「こちらが今日“承認の儀”をしていただく“ルース”です」
名を言われたルースは、こう言われたら自分も名乗る様にとシンディから教えられている。
「わたしはルースです」
ペコリと頭を下げて、ルースは自分の名を伝える。
「私はチェスティンと申します。今日はよろしくお願いしますね、ルース君」
微笑みを
「それでは、こちらへ」
続けて司祭は祭壇から離れ、右奥の角へと歩いて行った。
移動した先の壁には、何も描かれていない大きい額縁の様な枠だけが掛かっている。その下部にはカウンターの様な台が付いており、中央に乳白色の直径15cm程の半球が一つ乗っていた。
「この設備は承認の儀で使用する魔導具で、“ステータス掲示板”と呼ばれています。ルース君は今から、この丸い物の上に手を乗せて、この世界より与えられた己の能力を視る事ができます。内容は実際に見ていただき、ご説明いたします。それではルース君、始めてよろしいですか?」
「はい、おねがいします」
司祭の序言が終りこれから承認の儀を始めるらしい、とルースの表情は真剣なものになる。
司祭は頷き、その枠の前に立って言葉を紡ぐ。
「“世界の
司祭の言葉が終れば、壁の額縁の中が乳白色の光を帯び、半球が虹色へと変化する。
その光景に目を瞬かせているルースへ、司祭が声を掛ける。
「ルース君、その珠を包み込む様に手を置いてください」
ルースは恐る恐る右の手の平でそれを包む。
―ブワンッ―
虹色の珠が輝きを増したかと思えば、上部の枠の中に文字が染み出る様に現れる。
“ステータス”と上部に表示されたそれには、多数の項目があるようだった。
~~~~~~~
『ステータス』
名前:ルース
年齢:10歳
性別:男
種族:人族
職業:―
~~~~~~~
とある。
ここまでが基本の情報となり、以降は体力値・魔力値・経験値・耐久値と、現状の数字が表示されている。
「あのぉ…」
まだ儀式の途中であるものの、シンディが司祭へ声を掛けた。
「今出ている名前は私のつけた仮の名であって、本当の名前を知りたいのですが…」
含みのあるシンディの言葉に、微笑みを絶やさず司祭は説明する。
「ルースという名は、この少年の名前となっていますよ?ここに表示されているものは、この者の内にあるものを現したに過ぎません。従って今この少年の名前は、“ルース”が本当の名前です」
その言葉にシンディは心を揺らした。
最近ようやくまともに話せるようになったルースに、名前は勿論、あの森に来るまでの事を尋ねたが、全てに於いて“知らない”と首を振るだけだった。
だからシンディはこの承認の儀で、ルースの中にある本当の名前が、やっと分かるのかと思っていたのだが、それは実現されない望みであったようだ。
「そうですか……」
シンディの気落ちした様子に、司祭は優しく諭す。
「この少年は貴方がつけたという名前以外を、知らないという意味だと思います。生まれてから名を与えられていなかったのか、もしくは記憶がなくなり何も持っていなかったのか…そういった考え方もできます。このステータスが真実以外を表すことはありえませんので、貴方の与えた名が、今の彼の名前となっていますよ」
シンディは司祭の言葉の一部が、染み込むような気がした。
“記憶がなくなり”と言われてみれば、名前どころか幼子の様に日常生活もままならなかったではないかと。飲食は勿論、服の脱ぎ着から歯磨きなど、10歳頃になれば誰でも一人で出来るような事が何一つ出来なかった。
理解は早かったが一つずつ、一から教えて行った事にようやく合点がいったシンディだった。
「ではこの年齢が表示されているのは…」
記憶がなく自分でも歳を知らないのであれば、今の説明だと表示はされないはずなのだ。だがルースはちゃんと“10歳”と表示されている。
「年齢は、樹で例えるならば年輪の様なもので、器が大きくなる度に蓄積されたものを表示させています。ですので、もしも私が年齢を偽り嘘をついていたとしても、ここに手を乗せればその偽りはここに露見される事となるでしょう」
司祭の説明が腑に落ちたシンディは丁重にお礼を伝え、ルースの承認の儀を終え帰路についたのだった。
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