ワルツ・フォー・デビィ-04

 おぼろげな記憶。幼いおれに寄り添う、おれと同じくらいの体温。

 おれのことを舌っ足らずな声で呼ぶのは、まだ性別の定まっていない、未分化の面影。

 ただ、その頃の自分はその声と体温がそこにあるというだけで満ち足りていた。それだけはいまだに憶えている。


 おれは目を覚ました。久しぶりに懐かしい夢を見た気がする。

 ……ここはどこだ? おれの部屋じゃない。寝転んだままの視界に見えるのは、ローテーブルに座り心地よさそうなクッション。

 ビールを一気飲みしたまでの記憶はある。なんだか頭が痛い。

 起き上がろうとしたところで、背中に何か温かいものがくっついているのに気づく。少し身を起こして肩越しに振り返ってみると、アヤカがおれの背中に自分の背中をくっつけて眠っていた。

 ――え。まさか、おれはアヤカと……?

 心臓がばくばくし始めた。半身を起こしたまま、あまりの予想外な展開に体が硬直して身じろぎひとつできない。しばらくそうしていると、アヤカが小さく唸って寝返りをうち、目を覚ました。黒い瞳と目が合う。

「……おはよ。ユーイチ」

「あ、あの……」

 おれがなんと言っていいか言葉を探していると、おかしそうにアヤカはベッドの上で身をよじった。

「なんにもしてないから安心して。ほら、服も着たままでしょ?」

 言われてみればそうだ。お互いに、お好み焼き屋にいたときの服装そのまま。

 彼女はおれの部屋を知らないので、買い物の荷物などを運んでくれるレンタルロボットを使っておれを自分の部屋まで運んだのだという。

「ほら、これが証拠。この部屋の防犯カメラ映像」

 そう言って起き上がったアヤカが手首のデバイスのホログラムに映像を映し出した。室内。玄関が開いて、アヤカの後ろを歩いていく人型ロボット。それに背負われたまま、酔い潰れたらしく目を閉じているおれがそこにいた。ほっとすると同時に、ものすごくかっこ悪いところを見せてしまった後悔が襲ってくる。

「おれ、酒弱かったんだな……」

「そうみたい。あんまり飲まないほうがいいかもね」

 彼女は立ち上がってカーテンを開けた。雲の隙間からかすかな陽が射し込んでいる。

「コーヒー淹れるけど飲む?」

 うなずくとアヤカがキッチンの方へ向かう。おれは改めて部屋を見渡した。ミニマルに見える部屋で、彼女らしいものといえば部屋の片隅にあるドレッサーくらいだった。

 やがてキッチンからコーヒーの香りがしてきた。おれは訊いた。

「ハンドドリップ?」

「そうだけど?」

 驚いた。映画もだがコーヒーまで似たような趣味をしているなんて。

 アヤカがマグカップを二つ手にして戻ってくる。おれはベッドに腰掛けたままカップを受け取って口にした。彼女はクッションに座ってコーヒーを飲んでいたが、デバイスからアラームが鳴り始めたので、思い出したように慌てて立ち上がる。そしてベッドの傍に置いてあったブランドバッグをまさぐる。シートの錠剤を取り出すと、二錠取り出して水なしで飲み込んだ。

 なんだろう。サプリメントだったらメディカルボックスから出てくるだろうに。病院でもらった薬か?

「……なにか、病気でも?」

 おれが低く訊ねると、彼女は顔を上げてこちらを見た。何かを隠すような仮面の微笑み。

「――いい男の条件って知ってる?」

 質問で返されて、おれはわからないので素直に首を横に振った。アヤカはその艶めいた唇の前に人差し指を立てる。

「あまり女の秘密を詮索しないことよ」

 そう言ってからウィンクひとつ寄越してコーヒーを飲み干す。

 でも、おれは心配だった。サプリメントをはじめ、頭痛薬や胃薬などの簡単な薬ならメディカルボックスから出てくる時代。人類は昔よりも確実に病院というものを利用することが少なくなった。中には健康診断の時にしか病院に行かず、天寿を全うする人間がいるくらいだ。

 なんの薬だったんだろう。その疑問はおれの心の隅に、かすかな不安の靄を立たせるのに充分すぎた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る