ワルツ・フォー・デビィ-03

 それからは目の回るような忙しさだった。初日からチケットは完売したらしく、大勢の客は次々カクテルやつまみを頼むし、アヤカが歌うのでおれはピアノも弾いた。

 知らないカクテルは先輩に作り方を教えてもらったが、これから覚えていくと考えたら大変そうだった。ピアノもこんな長時間弾き続けたのは久方ぶりだ。

 そんな調子でばたばたしていたら閉店時間。客が帰った後にグラスを洗ったりゴミ出しをしてやっと仕事が終わった。

「終わった……」

 グラスを磨きながら先輩は笑って「おつかれ、有馬」と声をかけてくれた。

「アヤカが歌ってる間は誰も注文してこないからオレは楽だったな」

「そうですか……」

 ピアノを弾くにはかなり体力がいる。おれはくたくたになっていた。

 カウンターに突っ伏していると、私服に着替えたアヤカが声をかけてくる。

「ね、二人とも。ご飯食べに行かない?」

 あれだけ全力で歌っていたのに、まだ体力は有り余っているらしい。普段からトレーニングもしているのだろう。さすがプロと言うべきか。

 先輩がグラスを棚にしまいながら答える。

「オレはちょっと無理だな。うちで飯作って待ってくれてるやついるし」

 アヤカが半眼で先輩を睨みつけた。

「もう、ケイスケってば。今度は誰たらし込んだの」

「ああ、アヤカは知らなかったか。オレ、前から付き合ってたデイヴと結婚したんだ」

「うっそ。早く教えてよね! おめでとう! こんど結婚祝い用意するから」

 身内で盛り上がる会話を聞いていたおれは、のろのろと顔を上げる。

「――じゃあ、ユーイチは? ご飯どうする?」

 くりっとした瞳のアヤカに見つめられると、いやとは言えなかった。それに実際腹が減っているのも事実。

「……行く」

 やったあ、とアヤカが声を上げた。


 今日はお好み焼き屋に来た。二人の間の鉄板で焼ける豚玉がじゅうじゅう音を立てている。食欲をそそるいい匂いが漂っていた。

 かつての地球では、お好み焼きといえばイカやエビといったシーフードも王道だったが、環境汚染の進んだ地球や海のない火星では高級品だ。味や食感がよく似ている代替品は存在するが、本物はごく一部の裕福層の口にしか入らない。

「美味しい! 仕事上がりのお好み焼き、たまんないねえ」

 幸せそうにお好み焼きを頬張るアヤカを見ているだけで、おれも幸せな気分になってくる。

 そこで彼女が思いついたように、いたずらを持ちかける子供の声音で問いかける。

「ねえ。明日は休みだし、ビールも頼まない?」

 酒。初めて飲むのがアヤカとだったら、こんなに嬉しいことはない。

「頼もうか」

「よし、じゃあ生二つ」

 テーブルに置かれたデバイスで注文すると、すぐに二足歩行ロボットが泡の立つジョッキを運んできた。

 それぞれ冷えたジョッキを手にする。

「おれ、まだ酒飲んだことなくって」

「そっか。まだ火星に来たばっかの十八歳だもんね」

 アヤカがジョッキを持ち上げたので、おれもそれに応じる。

「乾杯!」

 二人微笑んでからお互いジョッキに口をつけた。おれはひとくち飲んでみたが、その苦味はコーヒーと違って不思議なものだった。炭酸の喉越しは心地よいが、これは飲み慣れないと無理かもしれない。

 一方アヤカはごくごく喉を鳴らして飲んでいたかと思えば、ぷはあっと息をついた。

「――この一杯のために生きてる!」

 彼女の眩しい笑顔を見て、おれは小さく笑ってその口元に泡がついていることを教える。

「これもビールの醍醐味だよ」

 笑いながら彼女は口元を手で拭う。

「ユーイチ、飲んでないじゃん。やっぱり美味しくなかった?」

「いや、そうじゃなくて……」

「飲めないなら無理しなくていいよ」

 そう言われて、おれは自分のジョッキをじっと覗き込む。これも経験のうちだ。おれはビールを一気に飲み干す。音を立てて空になったジョッキを置くと、胃のあたりが熱くなってくらりと目眩がした。

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