ワルツ・フォー・デビィ-01

 連絡先を交換した後、始発に乗って自宅である手狭なアパートへ帰ってきた。玄関を開けると、さっそくアヤカからメッセージが届いた。

〈お疲れ様。ゆっくり休んでね〉

 よく考えてから後で返信しようと思って、おれは部屋を見渡した。地球から持ってきた、レコードや紙の本がたくさん詰まった段ボール箱たち。さすがに徹夜明けで荷ほどきなどできるわけもなく、壁から出しっぱなしになっている収納式シングルベッドへふらりと倒れ込んだ。やわらかい毛布を抱き寄せると、体を丸める。

 ――どうか、目が覚めても夢じゃありませんように。

 誰にともなく祈りながら、あとは目蓋が落ちていくのに任せた。


「悠一様。起きてください。もう充分な睡眠はとりました」

 ジーンズのポケットに突っ込んだままのデバイスが喚いている。こいつの厄介なところは、睡眠のとりすぎを警告してくることだ。個人に合わせてきちんと調整されているはずだが、おれはまだ寝ていたい。

 太古の時代、デバイスをまだ持たぬ人類は好きなだけ眠り、好きなだけ起きていることもできた。それが今じゃどうだ。こういった睡眠、運動や摂取カロリーの過不足を知らせるデバイスの警告を無視し続けると、スコアが下がる。スコアが高いと、一日に一本だけ自販機の飲み物が無料だったり、サラダバーの割引クーポンが使えたりする。いま現在はこの数値が低くても特に問題はないが、そのうち進学や就職のときチェックされるようになり、低い場合は冷遇されることになるだろう。その昔、全面禁止になったニコチンとタールの入った煙草のように、カフェインやアルコールの摂取にも制限がかかるかもしれない。自ら不健康になる自由さえもなくなる。考えるだけで、ぞっとする。

 おれは仕方なく起きると、デバイスに触れた。

「……おはよう、サラ」

「おはようございます、悠一様」

 カーテンを開けると昼下がりだった。そのままデバイスをメディカルボックスにかざす。サラが説明した。

「目覚めが悪かったようなので、カフェイン錠剤をお出しします」

 今日の分であるサプリメント二粒をボックスから取り出すと、ゴミ箱に放り投げた。こんなものより、おれはコーヒーが飲みたい。ここに越してきたその日に出したコーヒーセット。キッチンにあるのはハンドドリップ用の道具とコーヒー粉だ。サーバーの上のドリッパーにフィルターをセットして、ケトルでお湯を沸かしはじめる。その間にコーヒー粉を計ろうと、スプーンとコーヒー粉の袋を手にしたときだった。

「悠一様。アヤカ様からのメッセージに返信をしておりませんが」

 サラの声で我に返って、おれはスプーンと袋を置くと慌ててデバイスを手に取った。一瞬でも、思い出させてくれてありがたいと思ったおれは所詮、デバイスの下僕なのだ。たぶん、人類の大半がこんな感じなんだろう。

 改めてメッセージを読み返す。火星の歌姫、アヤカ。あの夜は夢じゃなかった。おれは考え込んだ。

 尊敬する(たぶんきっと、年上の)女性のメッセージに、なんて返せばいい……?

 中学、高校とオタクを貫き通してきたおれには、似たような趣味の男友達しかいなかった。自分自身はヘテロには違いないと思うし、女の子は可愛いし綺麗だと思う。だが、付き合いたいかといったらそうでもなかった。だって、あの人種はおれの趣味を理解してくれそうにないもの。そうやって遠ざけてきたのもあって、まだ恋人はおろか、女友達ができたことすらない。

 そうやってうんうん唸りながらメッセージ画面を睨んでいると、アヤカから追加のメッセージが届いた。

〈おはよ〉

〈?〉

〈既読スルーとはいい度胸だな?〉

 続いて届くメッセージ群におれは慌てて音声入力で文字を打ち込む。

〈ごめん。あの後すぐ寝ちゃって、さっき起きたところなんだ〉

〈そっか。気にしなくていいよ。じゃあ、明日はよろしく〉

 おれはデバイスの画面を消し、壁にもたれて座り込むと天を仰いだ。ケトルのお湯が沸いたところで、おれはまたデバイスを放り出す。

 やがてコーヒーの馥郁とした香りが部屋に満ちていく。おれはサラに「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」のアヤカバージョンをスピーカーから流してもらう。それから、叶和圓イエヘユアンのパッケージから一本口にくわえると、ライターで火をつけた。本物の煙草は知らない。これはただの薬草を詰めただけの煙草もどきだ。

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