第3話 オ月サア



 境内の奥にある大木へと歩み寄る。神の象徴として申し分ない巨木はこの祭りの重役であるが、始まる前の今は静寂を保っている。先刻巻きつけられた綱も、役目を終えれば七つに切断され、川からやがて海に帰る。幹に触れその生命を確かめ、枝葉越しに空を見る。鏡のような月が冴えていた。月の涙は雨となり、この土地の生命の礎となる。



 鳥居を抜けて境内を進み、お世辞にも立派とは言えない社務所の中をのぞく。去年よりも伸びた美しい黒髪に、思わずほころびた口を一旦引き結んでから、なにとはなしに声をかける。

「おーい月子ォ」

突然の来訪者に小さく肩を跳ねさせ振り返る。

「里見あんた…びっくりさせるなっていつもいってるでしょうが」

久しぶりの再会にも昨日のように懐く月子に、今度は隠さず笑った。

「久しぶりだなぁ、まだぎりぎり背は越されてねえなぁ」

「下駄履いたらあんたより大きいわよ」

月子と共に社務所を出る。境内にはたくさんの藁が積まれていた。

「今年はいつやるんだ」

「次の水曜だよ。父さんは今日首長と打ち合わせ」

月子の村ではこの季節、一日かけて綱を編む。朝から村の男たちが藁を担いで山を登り、中腹にある川の中で大小二本の綱を編む。その綱を神社に持ち帰って、小さい方を御神木に、大きい方をお社の中に祀る。田んぼが金色になった頃、綱を神社から降ろし子供らが村の端っこ海につながる川に流す。俺はその儀式の時に見られる月子の舞が好きだった。

「お祭りの飯うまいんだよなぁ、楽しみ楽しみ」

「客だからって食い意地張ってないでちゃんと仕事しなさいよ、親父さん見習って」

へえへえと適当に相槌を打ちながら無駄話をしていると、遠くの橋を渡る四人の男が見えた。

「清左だ、おーい」

目一杯大きく手を振ると、その中の一人がこちらに気付き手を振り返す。清左は月子同様俺が初めてこの村に来た時からの付き合いで、首長の息子だった。よそ者の親父と俺が村に歓迎されるのも、清左と親父殿のおかげだった。清左と月子は許嫁で、月子が十六になる来月結婚する。



村の家々をめぐり、最後に清左の家を訪問した。お屋敷と呼ぶにはいささか小さいが、村で一番の立派な家だ。

「祭り、見ていくんだろう」

「もちろん。いつも世話になっている村の大仕事だ、見届けさせてもらうさ」

いつも通り必要な薬を卸した後で清左と縁側に並ぶ。親父たちが宴会をしている間、自分らは縁側で語るのが常だった。

「それにしてもお前も来月で旦那様かぁ、立派になったもんだなぁ」

「何言ってんだ、まだお前と同じ餓鬼のままだよ」

「同じとは何だ、いやしかしほんとのことだ、この頃のお前は首長としての未来が見える」

「ほめたってなんもでねえよ」

餓鬼の頃おとなしくて気の弱かった清左は、家の仕事を懸命に学ぶまじめさからか、鷹揚ながらもすっかり気骨のある男に見えた。

「月子も今のお前なら安心だろう」

「そうかねえ、そうならいいが」

「尻には敷かれるだろうが頑張れよ」

昔からのなじみとして振舞えるのも、清左が俺に懐いてくれたからだ。ふたりの結婚を心から喜ぶことができている。それでもこの先、夫婦となった二人と付き合いを続けなければいけないことが、どうしようもなく辛かった。



 山仕事に励んでいた男衆が、山から下りてくる。境内では、月子と親父さんが神事の場に座していた。小さい村とはいえ、たいして広くない境内では、すぐに人はいっぱいになる。よそ者の俺と親父は、離れた岩から神事を見ていた。お社の中で大綱がとぐろに巻かれ、巫女舞が始まる。

「月子、来月嫁に行くんだってなぁ」

こういうときばっかり突っ込んだ話をしてくる親父に苛ついた。

「だからなんだぁ、ご祝儀しっかり渡したんだろうな」

「かわいくねえ息子だなぁ、攫っちまわなくていいのか」

「冗談でも馬鹿なこというな、足も向けて寝られねえのに」

縁起でも無いことを言われますます腹が立った。邪魔者はこちらなのに、親父とせっかく頑張って商売を築いた村なのに。肝心なところで俺に甘い親父に、少し涙が出た。


月子の舞は年を経るごとに洗練され、美しく変わっていく。そしていつも同じ岩から舞を眺める俺を、必ず見つけ出して一瞬目をくれるのだ。



小綱で描いた輪の中で、体が浮き上がるような、空から村を見下ろすような心地になりながら、焦がれる人を探す。山を旅する天狗の親子が、再びこの地に帰るように、山が連れてきてくれるように祈りながら。暗い木々の間に一瞬見た愛しい光が、これっきり消えてしまう様な気がした。



立ち去る前に、月子のところへ寄った。

「お祭り、ご苦労さんだったな」

「そっちもお勤めご苦労様。また次の村に行くのか」

「ああ。花嫁姿は見てやれねえが、清左のとこでもしっかりやれよ」

「もったいないね、後悔するよ」

「タッパも態度もでかくなりやがって。その分じゃなんも心配いらねえな」

月子の頭に手を置いて、そのまま掴んで左右に揺する。


「月子ォ、お前が好きだった」

手を払おうとする月子の動きが止まる。

「これで悔いはなくなったぞ」

月子は泣いていた。



 いつもの季節よりだいぶ遅れて、馴染みの村に足を踏み入れた。今年は雨が少ないのか、田んぼの稲はかなり成長が遅れているようだった。例年通り親父と別れてまずお宮に寄ると、御神木の綱が目に入った。一礼し社務所へと顔を出す。出払っているのか、中には誰もいなかった。仕方なく境内をうろついていると、社の後ろに人が踏み入ったような跡があり、道とも呼べぬ道が出来ている。

「…こんな道あったかぁ」

少し登ってみると、以外にも長い道であることが分かった。なんとなく気になって登り続けていると、薄暗い木々の間に物影が見えた。

近づくにつれ姿があらわになる。見覚えのない真新しい鳥居が建っていた。



 嫌な予感がした。昔から勘はいい方だった。いつも薬を卸しに行く、月子の友人の家へ走った。家の前でまだ小さい弟と遊んでいた。

「八重子、月子と親父さん知らねえか」

俺の顔を見て一瞬こわばった女の子は、すぐに瞳に涙をためた。

「里見くん、遅いわ馬鹿」

月子が嫁に行った後、村には雨が降らなくなった。

久しくなかった大干ばつのために、月子は人身御供となり、親父さんは後を追ってしまったという。巫女がもたらした雨は想像以上に激しく、村は一時洪水に見舞われたが今は持ち直し、平穏が訪れようとしていた。



 草履を脱ぐ間も惜しく客間に踏み入れ、胸ぐらを掴む。渦中の人にかつての気骨は見る影もなく、餓鬼の頃を思い出した。親父殿に羽交い絞めにされるが気に掛けていられない。

「どうして月子を竜にやった」

「お前には関係のない話だ、よそ者には」

「関係ないわけがあるか、お前を誰より信用していたのに。お前ほど月子を大事にできる男はいないと信じていたのに」

ぐ、と清左の咽喉が詰まるのを感じた。

「俺の辛さがお前に分かるものか。夫婦となっても一途にほかの男を思う妻のそばにいる辛さが。どんなにうまく隠してくれようがわかるんだ、お前さえいなければこんなに月子を好きにならなかったのに。お前さえいなければ。

俺さえいなければ…」


 俺と親父は村への出入りを禁じられた。数十年後、親父が死んでから俺は売薬をやめ、山伏になった。


10


山の中腹の鳥居を抜け、しばらく下ると社の裏に出た。五十年ほど前と変わらぬ境内へ出て、懐かしい巨木を見上げる。夕暮れの境内はすっかり準備が整って、主役の子供らが元気に駆け回っている。

「爺さん、旅の人?」

上から降ってきた声に見上げると、巨木の枝に子供が腰かけている。

「驚いたなぁ、そんなとこで何してんだ坊主、罰が当たるぞ」

笑いながら声をかけると、子供はするすると木から下り俺を見上げた。

「山伏って知ってるかぁ、俺は山を歩いて神様にお仕えしてるのさ」

「知らない、変なの。じゃあ神様に、願い事をかなえてもらうの」

夕やけで余計に赤く見える髪をなでて抱き上げる。顔や足にけがが多い。

「そうだなぁ、この木みたいに雨が降るようにお願いして回ったりだな」

美しいものが傷つけられることに、胸が痛んだ。

春の日差しのような子供の体温が、一枚奥を、じわりと溶かすような心地がした。



「だけどほんとは、好いた女と来世で結ばれるように、罪を償ってるのさ」




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竜坐岳 @sarabae

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