第2話: そう、胸を打たれたのだ



 ──文明から離れれば離れるほど、自ずと替わりを担うのは人力である。



 水一つそうだし、火を起こすのだってそう。現代社会なら蛇口を捻るだけで、コンロのスイッチを押すだけで、どちらも未就学児ですら容易く得られる事が出来た。



 しかし、本来それは……大人であっても容易く得られるものではない。



 自覚というよりは、錯覚。有り体にいえば、勘違い。


 現代社会で生きる者……特に先進国で生きている者ほど忘れがちで勘違いしがちなのだが、水も火も、本来は簡単に得られるものではないのだ。


 そう思ってしてしまうのは、ひとえに文明の利器のおかげである。


 それほどに積み重ねた文明とインフラによって、望めば何時でも手に入る、空気と同じぐらい当たり前のモノだと勘違いしてしまう。



 けれども、所詮は勘違い。容易く手に入るものであるという錯覚でしかない。



 実際に文明とインフラから切り離された環境に身を置けば、いかにその二つを得るのが難しいかを理解するだろう。



 そして……それは、魔法という超常的な力を得ている彼女とて例外ではない。



 魔法は、確かにほとんど何でも叶う。


 科学文明、機械が発達した現代ですら不可能なことすら、容易くやってのける。しかも、ほとんど対価を支払う必要なく。


 しかし、魔法を使えるようになったからこそ、彼女は……その便利さにある種の危機感を抱いた。


 便利だからこそ、それが失われた時……間違いなく、待っているのは破滅だということに。


 というか、それ以前に……魔法が無ければ火起こし一つ出来ないというのは、如何なものだろうかと彼女は思った。



 当初はまだ、そこに目を向ける余裕が無かった。



 なにせ、触れる物、見る物、感じる物、全てが初めてであり、現代社会での経験がほとんど役に立たない状態からのスタートだった。


 そのうえ、身体が男から女に変わるという、身体的な変化もあった。何から何まで初めて尽くしだったから、そんな懸念を抱く事すら出来なかった。


 しかし、時は流れ……徐々に今の生活に心が慣れ、身体の違和感も減少し、定期的に訪れる月のモノにも慣れた辺りで……あ、いや、うん。


 月のモノに関してはよく分からないが、軽く下腹の奥がチクチクする程度だったので、おそらくは平均より軽いのだろう……話を戻そう。


 とにかく、色々な事に慣れてゆき、スターターパックによって得られた知識を基に、手を動かす事にも慣れて……身体に馴染み始めた時……ふと、思ったのだ。




 ──魔法に頼りっぱなしではなく、魔法を使えない状態でもある程度はなんとか出来るようになっておいた方が良いのでは、と。




 例えるなら、車の運転が上手いからといって、車に対する知識を疎かにしても良いというわけではない……といった感じだろうか。


 なので、全部それで済ませるのは危険だと思ったし、全てを女神様からの厚意……おんぶに抱っこは申し訳ないという気持ちもあった。


 もちろん、ただの自己満足であるのは分かっている。何の意味もない行為であることも自覚している。


 何をするにしても、結局は魔法という助力が無いと何も出来ないのは変わらない。


 魔法の便利性は認めるし、現状の生活は魔法無くしては成り立たないのも分かっている。


 けれども、使うことに抵抗感はないが、それはそれとして……と、彼女は思ったわけである。


 その結果が……穏やかではありつつも、様々な雑事に追われる……なんとも忙しない日々であった。



 知識はあるとしても、肉体的には女1人のマンパワー。



 女神より与えられた使徒という身体のおかげか、疲労などは一切感じないし、見た目よりパワーが出せるとはいえ、単純に手が足りない。


 使徒ではあっても、己の手は二つだけ。


 出来る事は目の前の事だけであり、徐々に手慣れてきているとはいえ、限度がある。右を見たまま左を見ろだなんてことは、出来ないのだ。


 足りない部分や、魔法以外ではどう足掻いても現状は解決出来ない問題などは魔法で補っているが……それでも、出来うる限りは魔法を使わないよう意識していた。



「……この辺りは、雪が降るのか」



 それは、季節が巡って肌寒くなってもなお、変わらなかった。何気なく伸ばした指先に触れた雪の冷たさを拭いつつ、彼女は途中より背負ったカゴをうんしょと背負い直した。


 ほう、と吐いた溜め息が真っ白になる。


 この世界には……というより、薄々察してはいたが、彼女が現在住まう場所には四季というものがあるようだ。


 半年という日々の間、右肩上がりから右肩下がりにラインが敷かれているかのように、徐々に昼間の温度が下がっているのを感じていた。


 雪が降る前から、いや、先月ぐらいから吐き出す息が白くなっていたが……こうして『雪』という形で教えられると、余計に寒く思えてくる。



 ……まあ、女神様より与えられた身体は実に高性能であり、特に寒さは感じていないのだけれども。



 とはいえ、身体は無事でも身に纏っている衣服やお手製の帽子には雪が積もるし、体温によって解けた雪が衣服に伝わってくるのは不快感がある。



(まだ昼間だけど……吹雪いて来たら危ないし、今日はここで引き返そう)



 見上げれば、まだ日の位置は高い。家を出てから、まだ小一時間といった具合だ。


 しかし、ここらは彼女が居るのは森の中。


 『ちょっとぐらい』という感覚が如何に危険であるのかを、彼女は身を持って理解している。



 具体的には一ヶ月ほど前、熊に襲われた。



 いや、アレを熊と呼ぶのかどうかは些か判断に迷うところだが、とにかく、ここが必ずしも安全な場所ではないことは知っている。


 まあ、魔法でワンパンぐらいには楽勝ではあったし、臭みはあったが丁寧に下処理すれば美味しかったが……論点はそこではない。


 それに、木々の隙間から入ってくる雪もそうだが、緩やかに風が吹き始めている。ひやりと、ひと際冷たい風が頬を撫でてゆく。


 このまま何事もなく雪が止めば良いのだが、おそらく酷くなるだろう。自然の中では、希望的観測ほど危険な判断はない。


 だから、今日はまだ大した成果を得ていないが、彼女はすぐに引き返す決断をした。


 1も2も無く、食料が尽きている状態なら危険を承知で行くところだが、まだ熊の肉が残っているので……今日の所は、安全第一なのであった。



 ……。



 ……。



 …………しかし、今日、この日。



 安全を第一にした判断だとしても、それは必ずしも安全を約束してくれるわけではないのだと……そう、彼女は改めて知った。


 いったいどうして……その答えは、帰り道の途中。


 以前より、魔法にて少しばかり歩きやすいように色々と整備していた道の途中に、倒れている人……いや、男がいたからだ。



 しかも、だ。



 その男の恰好は、明らかに武装の類だ。淡い赤毛の、厳つい顔。


 珍しい恰好なのかは不明だが、手足や身体を守るプレートは鈍い銀色をしており、その手は……半ばで折れた剣を握ったままになっていた。


 いったい、何時からそこに居たのだろうか……少なくとも、そう時間は経っていないように思える。


 だって、彼女がこの道を通ってから戻ってくるまで、そう長くはないから。


 その者は、うつ伏せのまま動かない。


 こちらに向けられている顔は青いを通り越して白く、その唇からはほとんど息が出ていなかった。


 ……そう、ほとんど、だ。


 今日のように寒い日でなければ、気付かないぐらいに微かに……白い吐息が、男の青白い唇から零れていた。



「──もし、生きておられますか?」



 反射的に駆け寄ろうとして……それを、彼女はしなかった。


 何故かって、男の身体から血の臭いを嗅ぎ取ったからだ。ちょうど風下に立つ形になったからこそ気付けた暴力の気配が、彼女の足を止めた。



 ここは、熊などの危険な猛獣が住まう森の中だ。



 そして、少なくとも半年近くをここで暮らしていた彼女は、これまで一度として、この世界の人間と遭遇した経験がない。


 理由は考えるまでもなく、ここが街道の類から外れているからなのと、奥深い場所にあるからだろう。


 なにせ、彼女が普段より使用している道は元々、獣道も同然であった。それを、彼女は魔法を使い、手足を使い、ちょっとずつ通り易いよう整備した。


 つまり、それだけ人の手が入っていない場所だ。


 常識的に考えて、そんな場所に人がわざわざ来る事など無い。


 男の恰好が猟師の類だったならばともかく、見たところ……ファンタジーではお約束な騎士っぽい恰好をしている時点で、色々と怪しい。


 これは厄介事なのでは……そう、彼女の脳裏に嫌な予感が過った。


 けれども……それでも声を掛けたのは、女神様に救ってもらった己が、ただ怪しいからと無視してしまうのは……放ってはおけないという憐れみがあったからだ。



「──もし、身体を起こしますよ」



 でも、危ないのは事実なので……魔法にて、ふわりと男の身体を浮かせ、うつ伏せから仰向けに……直後、彼女は閉じている目を更に固く閉じた。


 何故なら……そこには、ひしゃげた胸部プレートの亀裂より、おびただしい量の血が溢れていたからだ。


 医療の心得はないが、スターターパックによる知識を得ているから分かる……出血量から見て、相当の深手だ。


 おそらく、この森の猛獣にやられたのだろう。それが可能に思える獣に、彼女は幾つか心当たりがあった。


 折れた剣を見やり、武器を犠牲にしてなんとか撃退したが……ここまで来た辺りで、力尽きたというわけか。



(辛うじて即死は免れているけど……でも、手遅れだ)



 半年という時間の中で、彼女は生き物の死というものに慣れた。


 自然の中で生きる以上は、獣等の死体を見掛ける機会はそれなりにある。


 中には、鮮血を滴らせた獲物を咥えたままの獣や、腹を食い破られて息絶えている生き物の残骸や……酷いモノになると、腐って蛆が湧き出て蠅の嵐が渦巻いている時もあった。


 でも、それよりもなお、彼女が『死』というものに慣れさせたのは……己の目に備わっている能力の影響であった。



 ──それは、女神様より与えられたこの身体には、魔法以外にも幾つかの特殊能力を有している。



 その一つが、『目』だ。



 彼女の目は普段閉じているが、それはただ閉じているわけではない。彼女の目が閉じられている理由は、見え過ぎるのを防ぐためだ。


 そう、閉じられた彼女の目は、普通ではない。


 一度目を開けば、視界に入るモノの情報を読み取る事が出来る。目を閉じていてもなお、周囲を見る事が出来る理由だ。


 そう、視界に入りさえすれば、彼女は数多の隠し事を瞬時に見破る事が出来る。


 さすがに未来は読み取れないが、そのモノの内心や身体の状態、本人すら知らず、忘れている過去の全てまでも、知る事が出来る。


 それは……色々と条件はあるが、『その場にて起こった過去の出来事』すらも、見る事が出来るのだ。



(傷を治しても……苦しむのを長引かせるだけか。可哀想だけど、私に出来るのは看取ることぐらいだ)



 少しばかりの間、見開いた眼にて状態を確認していた彼女は……もう、手の施しようがない事実に目を瞑ると、軽く息を吐いた。



 ──万能と言える魔法の力だが、実は魔法でもどうにも出来ない事がある。



 それは、失われた命を回帰する事。すなわち、死者蘇生の類だ。


 ある程度の傷を塞ぐことは出来る。病だって、進行を遅らせる事は出来る。しかし、根本的に治すわけではない。


 例えば、失われた血を増やす事は出来ないし、臓器そのものを新たに作り出す事も出来ないし、消耗した体力を回復させる……まあ、それは可能だが、リスクがある。


 言うなれば、エナジードリンク、元気の前借りみたいなものだ。


 ある程度体力が残っているならともかく、死にかけの身体にそんなことをすれば、ショックを起こしてそのまま死亡しても不思議ではない。


 おそらく、それが可能とするならば、それは人の領域ではなく……女神様たちのような存在の領域になるのだろう……で、だ。



「……なにか、言い残す事はありますか?」


 ……こ、こは? 



 虫の息……そうとしか言い現しようがない状態で、男は僅かばかり意識を取り戻した。



「場所はどうでもいいのです。もはや、貴方に残された時間は多くありません。最後に、私にしてほしい事はありますか?」


 …………。



 男は、何も言わなかった。言えなかったのか、言うつもりはないのかは分からないが……彼女は一つ、頷くと。



 指を振って、男の身体の痛みを緩和させ……そっと、男の傍にて屈んだ。



 傷はもう、塞がない。既に、この男の身体からは血が流れ過ぎて、命の炎は今にも消えようとしている。


 ここで下手に傷を治したところで、男にはもう自力で体力を回復させる力すら残っていない。それでも治そうとすれば、苦しみを長引かせることにしかならないだろう。




 ……こ、これ、を。




 辛うじて……僅かばかり開かれた男の青い目が、彼女を捉えると、震える手で……自らの鎧の中に隠していた、小さな袋を差し出した。




 ……な、中に……え、エルフの、秘薬が。




 その袋の中を見やれば、小さなガラス瓶に納められた赤い液体がある。


 『目』を開いて見やれば、『エルフの秘薬(万能薬)』という情報が読み取れ……どうやら、万病を癒す薬のようだ。




 ……そ、それを……国へ……リフライン王国へ……た、頼む……どうか、持ち帰って……。


「分かりました。必ず、私がリフライン王国へ持って行きましょう。で、あるならば……もう、休みなさい」




 そう、言葉を掛ければ、男はホッと……強張った身体から緩やかに力を抜くと。




 ……あ、りが……とう。




 それだけを言い残し……もう、その唇から吐息が零れることはなかった。






 ……。



 ……。



 …………それからの彼女の行動に、迷いはなかった。



 まず、亡骸となったその身体を……女神より与えられた能力の一つである、『倉庫』へと収納する。


 変化は単純明快、対象となる物質へ念じながら指を振るえば、フッとソレが消えて……『倉庫』と彼女が呼ぶ、特殊な空間へと収納される。


 この『倉庫』とは、言うなれば……そう、ゲームなどでよく使われている、アイテムボックスというやつだ。


 社会人になってからゲームから離れていたので、使い方を感覚的に理解するまで少し手間取ったが、慣れるとこれほど便利なモノは無い。


 生物(死んでいるならOK)を収納することは出来ないが、ここに入れている物質が朽ちることはなく、彼女がその命を終えるまで保存を可能とする。


 正直、代用する方法が思いつかない能力で、何時かこれを使わないでもいられたら……と、未来に願いを託すぐらいしか……と、話を戻そう。



「リフライン王国……彼の過去を見た限り、ここからでは相当に遠い距離になる……か」



 自宅へと戻った彼女は、すぐに準備を始める。


 何をって、それはリフライン王国へと向かう準備である。


 何故なら、約束したから。


 『エルフの秘薬』を、リフライン王国へと届ける……それを、あの男と約束した。


 冷静に考えたら、えんもゆかりもない相手との一方的な約束。守る必要性も無ければ、守らなければならない理由もない。



 けれども、彼女はそれでもなお、約束を守りたいと思った。


 何故なら、彼女はあの時、己の『目』で見たのだ。



 あの男は……今の己と同じく、取るに足らない小さな約束を果たすために命を掛けた。


 傍から見れば、その程度の事で命を掛けたのかと言われるほどに小さな……けれども、死した彼にとっては命と引き換えにしてでも惜しくはない約束だった。



 ──その約束を、託された。託された以上は、果たしてやらねば……果たしてやりたいと、彼女は思ったのだ。



「……そういうわけなので、女神様……しばしの間、お別れとなります」



 ゆえに、彼女は……お留守番の意味も兼ねて、手作りの女神像を置いて行くことにした。


 女神様であれば、それこそ呼吸するぐらいの感覚で事を成し遂げるだろうが、あいにく、彼女にはそれ程の力はない。


 例えるなら、車を持っているからといって、ただアクセル踏めば地球一周できるか……というようなもの。


 世知辛い話だが、魔法を扱う使徒であるとはいえ、リフライン王国へは歩いて向かうしかなく……その為の準備が必要なのであった。



 まあ、準備とはいっても、それほど大したことではない。



 食料と水や着替え等をとにかく『倉庫』へと入れて、他にはこれまでの日々で用意した薬など、役に立つかもしれないモノを『倉庫』に入れていくだけ。


 それが終われば……最後に、もう一度……女神像へと祈りを捧げると。



「それでは、行ってまいります」



 半年間、我が家として過ごしていた自宅へと手を振り……目指すは、リフライン王国へと……歩き出したのであった。



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