第7話 妖精の食事

「よかったあ、泣き止んでくれて。ボクまで泣きそうになっちゃったよ」

「嘘つけ、オロオロしてただけだろ」


真羽の言葉に、ススーは小さく肩をすくめて、淡い笑みを浮かべる。


「そりゃ、オロオロもするでしょ」


妖艶でいて美しい妖精スマイル。

そっか。34歳……うん、なかなか納得いくかもしれない。

少年だと思っていたススーが、魅惑的な奥行きを見せる理由が少し分かったかもしれない。

本人の意思は別として、濃い経験を積んだ人だけが見せる表情ってあるよね。


「ススーにとっては、アエルの笑顔が今唯一の栄養源ですからね」

「え?」


上下の睫毛をぱちぱち数回こんにちはさせる私の横で、真羽が鋭い眼差しを見せる。


「クレアー、言い方」

「あら、ごめんなさい」


ススーは困ったように笑うと、バツ悪そうにくしゃりと金髪を掻いた。

テーブルの上に降り立ったススーに、詰め寄ったのは真羽だ。


「お前、逢を食って元気になったわけ?」

「マハネも、言い方~」


茶化すようにもう一度肩をすくめて見せてから、ススーはゆっくりと睫毛を伏せる。


「食べるっていうのとは違うかもしれないけど……誰かが笑うと、ボクら妖精は満たされるんだ」

「あ、もしかして!」


ピンときた私は、嬉々としてススーを覗き込んだ。


「それって、あれだよね! 妖精は赤ちゃんの初めての笑い声から生まれるっていうし……」

「え、そうなの?」

「え、違うの?」


お伽話的な有名なそれを口にすれば、ススーはきょとんと目を丸くする。

あれ、何か違った、かな?


「ボクらがドコから来るのかなんて知らないよ。でも、いつの間にか新しい仲間が増えてる」

「まあ、人間だって生まれる時の記憶なんてないしな」


珍しくススーの言葉に同意する真羽を、私はじっと見つめた。


「真羽は、何かそういう記憶持ってそうだよね」

「何だと思ってんだよ、俺を」


お互いを小突きながら笑い合ってると、ススーの羽が虹色に光っていく。


「ほらね、こんな感じ。お腹がいっぱいになるとかじゃないんだけどさ、妖精に必要なものが補われていく感じ?」


最初の辛そうな状態から、みるみる元気になっていた理由が明かされていく。

不謹慎な時に笑っちゃったかと思ってたけど、結果オーライだったらしい。


「あ。じゃあ、真羽の笑顔でもいいってことだよね」

「うーん」


ススーは首を傾げると、少し眉を寄せた。


「アエルの方が、甘い?」

「おいこら。好き嫌いしてんじゃねえよ、絶滅危惧種」

「それより、マハネが笑う方が難しいんじゃないの~?」


言い合う二人を余所に、何だか居たたまれなくなる。

お腹を満たすのとは別と言いながらも、味のような感覚はあるらしい。

何だか恥ずかしくて、上手く笑えなくなりそうだ。


「アエル、ごめんって。でも、ボクを満たしてくれるんだったら、マハネでも問題ないよ」

「随分と上からだな」

「そういうつもりじゃないんだけどな。言葉って難しい」


苦笑しながら首を傾けるススーの金色の前髪が揺れる。


「けど、ね。今の……ラフレシアは誰も笑わない。まあ、中には笑ってるのもいるけどね。妖精を満たすような笑顔は、ここからは消えたよ」


ススーはずっと、一族みんなの力になるような笑顔の元を探していたという。

ラフレシアとは、国の名前ではなく、辺境伯とやらが治めるこの地のことを指すらしい。昔はかなり重要な拠点だったとか。

会話の中で、真羽がさらりと大切な情報を引き出しては拾っていく。


「ススーの魔力が、日毎弱くなっていくのだけは感じていました」

「ああ。もう無理なんだな~って、自分も消えるんだって思って……せめてみんなのところに帰りたかったんだ」

「それで、力尽きて落っこちてたわけか」

「その節では、お世話になりました」


ぺこりと頭を下げるススーに、真羽が目を見張る。


「トリに食べられるのが先かな~なんて思ってたら、アエルが来たんだ。極上の笑顔を持って。女神様だと思ったよ、ホント」

「あ。それで!」


指を差して、女神様呼びに反応すると、ススーはそれこそ極上の笑顔でにこりと笑った。


「アエルは、綺麗だ」

「え?」

「は?」


何と、仰いました? この妖精様。


「心が綺麗な方の笑顔は、少量でも美味しいらしいんですよ」

「も、やめて~、そういうのやめて~」


一気に熱が駆け上がってきて、耳の先まで熱くなる。

机に突っ伏しながら、自分のふわふわピンクの髪を搔き集めて顔を隠すと、隣からの圧がぐんと強くなった。


「で。了承もなく逢を食った、と?」

「真羽、言い方……」

「同意なく事に及んだんだ、覚悟はいい?」

「だから、言い方っ!」


ゆらりと立ち上がる真羽を、慌てて両腕で抑えようとすると、頭上にある眉根が微かに歪む。

あ、これ。まだ腕痛かったんだ。ごめんよ、真羽。


「人間って……、ご飯食べさせてもらったらお代を払うんだよね? 確か」

「違うな。飯屋ならそれで構わないが、逢は自分から望んで差し出してねえんだよ」

「うーん、困ったね」

「そうですねえ」


のどかな会話と殺気とが入り混じる。

この謎空間でも、分かっていることが一つある。


「でも、私がいないと、ススー死んじゃうんだよね?」

「まあね。でも、そこは問題じゃないよ、アエル」


ススーは紫の眼差しを和らげると、静かに微笑んだ。


「いつかは死ぬんだ。一人で生まれて一人で去るだけだし、自然なことだよ」


ずくんと、胸の奥に痛みが走る。

それは真理だけど……あまりに寂しい。


「ボクは、自分だけが残ってるのが悔しいよ。他の……、もっと優秀だったり、一族の活路を開くようなヤツが残ればよかったんだ」


「それ以上は言うな」

「そんなことないっ!」


真羽とほぼ同時に発した声が、花々を揺らす風に攫われていった…─

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