第4話 金の斧銀の斧

「うわ、あ……」


目を奪われるとは、こういう事だろう。

蔦のカーテンの向こうにあったのは、この小川の水源であろう豊かな泉だった。

辺りを彩るように淡い小花が咲き乱れ、空気は清涼感に満ちている。

木漏れ日が大きな水面に淡く煌めき、同じ薄暗い森の中にあるとは思えなかった。


「綺麗……」


景色に見惚れている私の周りをススーが飛び回る。

大きな蝶というよりも、改めて見ると、昔飼っていたセキセイインコを思い出すサイズだ。


「あ、その花、できるだけ踏まないでやってね」

「それ、難しくね?」


真羽が返すと、ススーは冷ややかな紫の眼差しを向けた。


「飛び石があるでしょ? それくらいも出来ないの?」


可愛い顔なのにそんな表情も出来るんだ~なんて思っていると、またもや真羽と険悪な雰囲気になっていた。

これはもう、仲良しなのでは……? と、思うレベルだ。


ススーと目を合わせないまま、泉の周りにある天然の飛び石に真羽が先に渡っては、私を自分の方へと導く。

そういえば、左腕の痛みは大丈夫なのかな。

運動神経に全く自信のない私には、ありがたいけれど。


踏まないで欲しいって言うからには、お気に入りの花なのか、貴重な植物なのか。

風に揺らぐ儚げな小花を見ていたら、途中ちょっと危うかったけれど、無事に泉のほとりへと辿り着く。


「ススー!」


風が吹いた。

耳の奥を撫でられるような透明感のある声が辺りを包んだ途端、泉の真ん中が文字通り盛り上がる。


「え、何」

「下がってろ、逢」


目を瞬く私を、真羽が静かに背中へと隠す。


「クレア!」


真羽の肩越しに、ススーの羽の光が泉の中央へと向かうのを見つめる。

盛り上がった水は、みるみる人型を成していく。

それは、見たことがないくらい美しい人。

透き通った肌、澄んだ青を光と一緒に集めたような……女性?

怖いという感情よりも、神秘とか、そういうものが先に立つ。

不思議すぎるその光景を目の当たりにして、私は息を呑むしかなかった。


「どちらの斧も落としてませんって言うしかないな」


目の前にある温かな壁は通常運転すぎて、思わず吹き出した。

真羽のこういうところに、いつも救われる。


私の笑い声に呼応するようにススーの羽が輝きを増して、二人の視線がこちらに向けられる。

……二人って言っていいのかは分からないけれど、人の形をしてるから良しとしたい。

ススーは光る羽をひらひらさせながら、泉から出てきた彼女に見せている。


「ねえ、真羽。この世界って……」

「まあ。俺らの住んでたとこではないわな」


この森に来てから、まだそんなに時間は経っていない。

けれど、元いた場所とは色んなことがかけ離れている。


「ほら。こういうのって、何か聞いたことない? 異世界への転生とか転移とか」

「差が分からん」

「ごめん、私も分かんない」


スマホがあったら、今すぐ検索したい。

そもそも自分達の元の姿もどうなったのか、気になるところだ。

真羽は、さほど興味なさそうに短い息を吐く。


「どっちでも何でもいいよ。お前いるし」

「それでいいって思えちゃうの、どうかと思うよ」

「じゃあ、お前は?」


真羽に聞かれて、私は視線を辺りに巡らせる。

私の大好きなテーマパークは、一体どこにいってしまったのか。

どこまでも続くような深い森。確かにここはさっきまでのところよりも、ちょっといい場所ではあるけれど……


「……正直、一人じゃなくてよかった」

「だろ?」


にっと口元を歪めて笑うのを横目に映す。

ずっと変わらない、真羽の笑い方の癖。

と、その時、ススーが元気な声と一緒に飛んできた。


「女神様! 紹介するよ!」

「ちょっと待って!」

「え?」


本物の女神を前にして、この呼び方をされる羞恥心やいかに。

私はススーの大きな紫の瞳を見つめた。


「その前に……、その女神様ってのやめようか」

「えー……」


えー、じゃない。

ほんと可愛いな、この子。

憎めない愛らしさと、時折見せる男性っぽい表情差分に、私はまだ馴染めずにいた。


「ススーにも、逢って呼ばれたいな」

「アエル?」

「そう、いつでも逢えるようにっていう『アエル』」


にこっと微笑むと、ススーから光が溢れる。

そう。さっきから思ってたんだけど、この子、私が笑うと光るんだ。

それが、どういうことなのかまでは分からないけれど。


「アエル! 分かった、アエルだね! クレアー!! アエルだよーっ」

「めちゃめちゃ連呼されてるな」

「香川さんって言われるよりいいよ」


でも……、それはそれでちょっと面白いかも。

なんて思っていると、泉の女神本家様は水面を撫でるようにこちらへと向かってくる。


「わ、はわ、来るよ、真羽」

「まあ、来るだろな」


歩いているという上下運動はない。本当に、それこそ幽霊とかそういう類のもののように、すーっと動いて来る。……幽霊も見たことはないけれど。

水から形を成している長いローブの下に、足はあるんだろうか。

水面は風が渡るように微かな波が揺らぎ、小さな飛沫に光が反射しているのか、辺りは木漏れ日と共に何だかキラキラしている。


それは、あまりにも美しくて……。


私は自分の前に立ってくれている真羽の袖を引いた。


「ちゃんと挨拶してみるよ。ありがとう」


真羽の背から出て、泉のぎりぎりまで来てくれた女神様にぺこりと頭を下げる。

すると、彼女も静かにお辞儀を返してくれた。


あれ。お辞儀の文化が、ある?

ここは不思議なことばかりだ。

ススーとだって、最初から言葉が通じるし……。


「アエル! クレア。クレア、アエル」


ススーが私達の間を飛びながら、身振り手振りで簡単な紹介をする。

あ。何かこういうの英語の授業でやったなあ。

Nice to meet youで握手の流れだよ、これ。


すると、彼女の唇がゆっくりと開いて…─


「アエル、あなたに感謝いたします」

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