第3話
それからも俺は毎日放課後に図書室へと足を運んだ。
例の彼女も毎日来ているらしい。そしていつも同じ場所にしゃがみこんでいる。
なぜか彼女のことが気になって、挨拶を交わすようになった。
「やあ」
「こんにちは」
たったそれだけ。
ただ毎日のようにそうしていると、しだいに彼女はほんの少し笑顔を浮かべるようになった。
ある日、いつものように彼女と挨拶を交わして、適当な本を手に取った時のことだ。
彼女は申し訳無さそうに口を開いた。
「あの、その本、一緒に読んでもいいですか?」
「ん? この本が読みたいなら先に読む?」
俺がそう答えると、彼女は首を横に振る。
「いえ、一緒に読みたいんです……」
奇妙なお願いもあったもんだ、と思ったけれど、彼女は俺の手を掴んでまで頼み込んできた。相変わらず氷のように冷たい手で。その顔はどこか必死で、その圧に押されて俺が折れることになった。
机と椅子があるエリアに移動して座ると、彼女は俺の隣に立ちつくす。
「座らないの?」
「あ、いや、その……」
「立ったままじゃ読みにくいでしょ。ほら、座りなよ」
俺が隣の椅子を引くと、素直に座った。なぜか、彼女は驚いた顔をして。
本を開いてページをめくると、彼女は俺に肩を押し付けて覗き込む。それほど読みたかったのなら一人でじっくり読めばいいのに。
彼女が頷く度にページをめくる。お互い無言でただ本を読む。やたらとベタベタしてくる夏希で慣れていなかったら、この距離感におかしくなっていたかもしれない。
最後まで読み終わると、彼女は「ほぅ」と息を吐く。どうやら満足のいく内容だったらしい。
「ありがとうございました」
彼女は律儀に頭を下げた。顔を上げた時の笑みに少しだけドキッとした。
「う、うん。それよりさ、思ったよりも遅くなったからそろそろ帰ったほうがいいよ」
本を一冊読み切ったのだ。それなりに時間が経っている。
「そう、ですね……」
そう言うと彼女の顔は寂しそうなものに変わる。
「私はもう少しだけここに残りますよ」
「そう? じゃあ俺は先に行くね。あまり遅くならないうちに帰るんだよ」
そう言い残して帰路に着いた。
その日から、一緒に本を読むのが日課になった。
やっぱり彼女は肩を押し付けてくる。そんなことをされると、しだいに俺は彼女のことを意識するようになっていった。
名前すら知らないのに。でも俺はそれを尋ねるタイミングを完全に逃していた。
ある日、いつものように二人で同じ本を覗き込み、読み終わった時のこと。
「どうして毎日ここに来るんです?」
彼女からそう尋ねられた。自分だって毎日図書室に来ているくせに。
俺の理由なんて大したことではないので、正直に話すことにした。
「俺さ、趣味で小説書いてるんだよね」
「えっ、自分でですか?」
「うん。投稿サイトにアップしてるんだけどね、なかなか思ったようにいかなくてさ。それで色々読んで勉強してるところなんだよ」
俺がそう言うと、彼女は目を真ん丸に見開いた。こんなの今時珍しいことでもないと思うのだが。
「それ、私も読んでみたいです!」
「んー……。でも恥ずかしいしな……」
幼馴染みズが読んだ時に微妙な顔をされたのは痛い思い出だ。さらにお情けのようにレビューをつけてもらって。
「ダメ、ですか……?」
捨てられた子犬のような潤んだ目で俺を見上げてくる彼女。しかも距離が近い。
「あぁ、もう。わかったわかった。じゃあスマホ、持ってる?」
「あ、持ってないです……」
今時の女子高生にしては珍しい。俺の知る限りでは彼女くらいなものじゃないだろうか。
「じゃあ、家にパソコンとかは?」
「それもないですね……」
ますます珍しい。この子だけ現代社会から取り残されてるんじゃないかと心配になる。人の家の事情なので口出しなんかしないけど。
ただ彼女があまりに残念そうな顔をするものだから、読ませてあげなくてはという気にさせられた。
「じゃあ明日の放課後、ここで読ませてあげるよ」
今日はすでに本を一冊読み終わって、もうすぐ完全下校時間だ。
「本当ですか?!」
彼女の顔がパアッと明るくなる。この顔が読んだ途端に微妙な表情にならなければいいけど。
ただ意識し始めた子のこんな顔を見せられて、ダメとはもう言えない俺なのだった。
「ん、約束ね」
「はい! ありがとうございます!」
約束を交わして、その日は解散となった。
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