第2話 フライハイトとトロイの決闘

 闇の王の城、王の間の一個手前の部屋で、フライハイトこと俺はトロイを待っていた。いつものように、長い黒髪をポニーテールにし、黒い甲冑をまとい、黒い大剣を持って。


 本物のフライハイトなら怖気おじけづいたりなんかしないと思うけど、俺はびびってションベンを漏らしそうになっていた。


 だって、トロイは強い。


 トロイはたった十七歳で光の国のトップにのぼり詰めた最強の騎士なのだ。


 なにせ主人公なので。


 トロイは基本的にいいやつだ。仲間思いで、根っから明るい陽キャだ。いわゆる「オレバカだからわかんねーけどよ」系で、普段は周りの仲間たちからツッコミを入れられてばかりのボケ気質だが、ここぞという時にははっとさせられることを言う。とにかく、主人公なのである。


 こんな立場じゃなかったら友達になりたかったな。


 事実トロイは人気投票で三位のキャラで安定感がある。ちなみに二位はトールで、一位のフライハイトと濃密な主従関係なので腐女子人気が高い。トールに抱かれるフライハイト、解釈違いです。フライハイトには公式嫁がいるだろうがよ。


 ここでぐでぐで考えていても仕方がない。

 今日、フライハイトはトロイと決闘する。

 そして、おそらく、負ける。

 たぶんトロイに世界の命運を託しちゃったりなんかして、かっこよく散る。


 巨大な観音開きの扉が開いた。


 主人公一行のおでましだ。


 トロイは、門番をしていた筋肉だるま系の悪役キャラと戦ってきたのだろう、すでに顔にあざを作っていた。しかし致命的になるような傷はなく、二本の足で危なげなくしっかりと歩いている。主人公のバディの頭脳系美少年騎士もヒロインの毒舌偽物聖女も無事だ。


「よぉ、フライハイト」


 トロイが不敵に笑う。


「そこ、通してくれねーかな。オレはどうしてもトールに会わなきゃいけねーんだ」


 俺は震えそうになる声を抑えて答えた。とりあえずキャラ崩壊を起こさないよう、大好きなフライハイトの言動をトレースする。


「断る。何度言わせたら気が済む? 俺はお前を殺すと宣言したはずだ」

「わかんねーかな」


 トロイが赤い瞳を細めて苦笑する。


「オレはお前を殺したくない。お前は生きて世界の平和のために戦うべき男だ」


 そう言いつつ、彼は剣を構えた。


「でも、トールはそうじゃない。トールはこの世から消えなきゃいけない」


 俺も剣を構えた。


「陛下をお守りするのが俺の務め、俺の生きる理由だ。どうしても陛下とお会いしたいなら、俺を倒してから行け」


 フライハイトとトロイが、向き合う。


 俺は、剣道をやっていてよかったな、と思った。実は、俺は高校で剣道部なのだ。一応県大会三位の成績を収めている。フライハイトの圧倒的な剣技を再現できるとは思わないが、剣を構える恰好だけはそれなりにできたと思う。


 それにしても、トロイの気迫はすさまじい。にらみ合っているだけで背筋が震える。られる――そう思わざるを得なかった。


 戦えるか、俺。県大会三位だぞ。対するトロイは光の国で最強の騎士だ。『騎士道スパイラル』の主人公なんだ。


 やるしかない。


 トロイが叫び声を上げながら突っ込んできた。俺も負けじと一歩踏み込んだ。現実の俺は身長百七十三センチだが、フライハイトはたぶんそれより十センチくらいでかい。一歩が大きく感じられた。


 トロイの間合いに入れる。


 トロイの剣と刃がかち合う。金属音が鳴り響く。

 真剣だ。

 いつも竹刀の俺には重い。


 ここは命を取り合う場。剣術は殺人術ってある剣術漫画の主人公が言ってた。殺したくはないが、俺にだって殺す技術はある。


 踏ん張れ! 負けるな! ここで死んでリーリエを悲しませるわけにはいかない!


 トロイの剣を弾いた。トロイはわかっていたかのように一歩下がった後また突っ込んできた。剣で剣を止める。また、弾き合う。


 刃と刃のぶつかり合いは、魂と魂のぶつかり合いだ。


 俺が本物のフライハイトだったら――俺が本物の闇の国最強の騎士だったら、これを楽しいと思えたかな。


 でも俺は剣道部に所属しているだけの男子高校生なので、長くはもたなかった。


 トロイの剣はまったく勢いを衰えさせることなく突っ込んでくる。何度も何度も斬撃を繰り出す。

 対する俺は緊張と実力を超えた技を繰り出した疲労ですぐに無理が出てきた。


 足が、また、震え出す。


 本当は、怖い。

 トロイに勝てるわけがない。

 フライハイトが全力を出しても主人公補正で勝ちそうなトロイと、互角に渡り合うなんて無茶だ。


 握力が弱まっていたらしい。

 トロイが剣をぐと、フライハイトの剣が吹っ飛んだ。

 フライハイトの剣が、遠くの床に刺さった。


「お前の負けだ、フライハイト」


 トロイがいつになく真剣な声で言う。


「投降しろ。言ったろ、オレはお前を殺したくないって」


 彼はまったく息が上がっていなかった。俺はぜえぜえはあはあしている。

 いまさらになって肩に痛みを感じ始めた。俺は自分の痛むほうの肩をつかんだ。手が真っ赤に染まった。いつの間にか斬られていたらしい。


 ごめんな、フライハイト。俺が弱いばっかりに。


「どうする、フライハイト」


 トロイの赤い瞳が、まっすぐこちらを見ている。


「殺せ、トロイ」


 向こうのほうから、トロイのバディが言った。クール系で頭がいいっぽい振る舞いをする美少年キャラで、俺はこいつが好きではなかった。


「ここで見逃したら何度でも僕らの前に立ちはだかるぞ。トールを封印しても、トールの封印を解こうとするかもしれない」

「そうだよ、トロイ」


 睫毛ばちばちの偽物聖女も言う。こいつは可愛い顔して毒舌が酷い。作者は何を食っていたらこの語彙でひとを罵れるんだというくらいすごいことを言う女だが、今は蒼白な顔でこちらを見守っていた。


「フライハイトとは、わかり合えないよ」


 トロイが唇を引き結ぶ。


「自分の命を自分から捨てるやつに他人の命を本当の意味で大切にできると思う?」


 深い。

 反証はいくらでも浮かびそうな気がするけど、確かにフライハイトは仲間には無様な姿を見せるくらいなら潔く死ねと言うタイプだ。


「トロイ!」


 潔く、死ぬのか。


 フライハイトは、高潔で誇り高いから、ここで死んだほうがいいのか。


 それが、読者のみんなが望むフライハイトの姿なのか――?


 俺は、その場で、膝を折った。


「トロイ……」


 そして、床に両手をついた。


「助けてくれ」


 そんなの嫌だ!!

 死ぬのなんて間違ってる!!


「俺はここでお前に下る」


 涙があふれた。

 屈辱だろうな、フライハイト。本物のお前だったら――俺じゃなかったら自害したかもしれないな。


 でも、だめなんだ。


 土下座して、トロイに命乞いをした。


「殺さないでくれ……! 俺はここで戦線離脱する!」


 トロイはどんな顔をしているだろう。驚いているのか、それとも呆れているのか。床を見ているのでわからない。


 どんな顔をされていてもいい。

 命を救うために、恥だなんて、思っちゃだめだ。


「家に帰らせてくれ。リーリエが……、妻が待っている。彼女は腹に俺の子を宿している……」


 フライハイトは、負けた。

 みっともなく、命乞いをした。

 なんという、なんという、無様な展開。


 でも、それでも、死んじゃだめだ。

 待っている人が、いるんだ。

 読者だって、誰かは喜んでくれるかもしれないじゃないか。世の中には推しに死んでほしくないオタクだっていっぱいいると思うんだ。


「……フライハイト」


 トロイに名前を呼ばれた。

 俺は顔を上げた。

 トロイは、優しく微笑んでいた。いたわる目つきはちょっと憐れまれている感じもしなくもないが、俺は敗者でトロイは勝者だから仕方がない。だいたいトロイはいいやつだから、表立って敗者を馬鹿にするわけがない。トロイは、少年漫画の主人公なのだ。


「顔を上げてくれ」

「トロイ……」

「何度も言ってんだろ、オレはお前が憎くてやってるわけじゃねーんだ」


 そして、にかっと歯を見せて笑った。


「おめでとう!! 赤ちゃん、元気に生まれるといいな!! オレにも抱っこさせてくれよな!!」


 俺は流れる涙を手の甲でぬぐった。


「お前、声がでかい」


 何個エクスクラメーションマークつけるんだよ。


「わはは!!」


 トロイの肩の向こう側で、トロイの仲間たちがやれやれという顔でこちらを見ていた。敵意、殺意はなさそうだった。リーダーのトロイが戦う気をなくしたからだろうか。本物のフライハイトだったら、倒せるのはトロイだけだっただろうしな。


「生きろ、フライハイト。オレ、自分の命を大事にしようと思った今のお前、好きだぜ」


 彼のその言葉に安心した。

 その途端、俺はその場に崩れ落ちた。どうやら出血量が多いらしく、抗えない目眩、抗えない重力を感じたのだ。床に倒れたまま、動けない。


「たいへん! 今治癒魔法を使うからね!」


 暗くなっていく視覚、遠くなっていく聴覚の向こうで、偽物聖女が駆け寄ってくるのを感じた。なんだ、こいつ、治癒魔法も使えるのかよ。偽物なんて言ってごめんな。





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