推しよ、死ぬな、俺がお前を救ってみせる
日崎アユム/丹羽夏子
第1話 俺、転生しちゃった!?
俺は急いで今週号のボンバーを開いた。
週刊少年ボンバー――業界最大手漫画雑誌。毎週火曜日に発売される。世界的ヒットを飛ばす大人気漫画を何本も掲載しており、出版不況と言われるこのご時世にもかかわらず、何千万部突破、何億部突破、という景気のいい言葉が表紙でおどっている。
しかし、ボンバーといえば悪名高い打ち切りレース。
俺がボンバーで一番気に入っている漫画『騎士道スパイラル』は、雑誌の後ろから二番目に掲載されていた。
これはヤバい。絶対打ち切りカウントダウン入ってる。コミックスは今のところ二巻までしか出ていないが、次の三巻で終わるかもしれない。
『騎士道スパイラル』は古き良き正統派の異世界ファンタジーだ。光の王グロースと闇の王トールが戦いを続けている中世ヨーロッパ風の世界観で、主人公のトロイはグロースに仕える騎士である。
でも、俺の推しはトールに仕える闇の騎士フライハイトだ。
このフライハイト、めっちゃかっこいいんだよな。
登場した時にはなんかいけすかないイケメンだったんだけど、義の男で、
話が進めば進むほど、闇の王の配下である仲間だったサイコパスから小鳥を助けたり、同じく酒が飲めない仲間のかわりに樽で酒を飲んだり、性格的にめっちゃいいやつなのが伝わってくるわけ。
一番の見せ場はトロイが光の王の配下だったのに裏切った奴に沈みゆく船のマストに縛りつけられたシーンでしょ。そっと縄を切って、「勘違いするな。お前を殺すのは俺だ」。シビれるね。古き良き
しかしこのフライハイト、なんか危なっかしい。
トールを
今日もフライハイトはなんかヤバいこと言ってんのかな。
そう思い、家に帰るのもまどろっこしくて道端で歩きながらボンバーを開いた俺だったが。
冷や汗が流れた。
フライハイトが妻リーリエに別れを告げてる。
『行かないでフライハイト! わたしのそばにいて』
『そういうわけにはまいらぬ。俺はトール陛下の影。トール陛下にかわってグロースを倒す。そのためだけに生きてきた』
『トールはそこまで考えていないわ。あなた使い捨てられようとしてるのよ』
『それならばそれでもよい。俺の忠義は本物だった。それさえ証明できれば何でも構わぬ』
リーリエがフライハイトの背中に抱きつく。
『この戦いが終わるまで言わないでおこうかと思ってたけど、言うわ』
い、言わないでくれ!
『実は、おなかにあなたの赤ちゃんが……』
きた! Twitterでオタクたちが考察してたリーリエ妊娠説!
『この子のためにも、戦いに行くのはやめて』
『そうか』
やめろ、やめろ、やめるんだフライハイト――
『それならば俺は安心して逝ける』
ああ……
すげえ……
美しい死亡フラグだ……
俺の推し、やっぱり死ぬのか……
いや、主人公のトロイはフライハイトを倒さないとトールにたどりつけないし、しょうがないよな……
――本当にしょうがないのか?
リーリエとおなかの赤ちゃんを振り切ってまで戦うことに何の価値がある?
トールの騎士は他にかわりは――いないけど、フライハイトはトールに一番信頼されている闇の国最強の騎士なので――いやでも、リーリエのおなかの赤ちゃんの父親はフライハイト以外にいないわけでさ。
わかる。わかるよ。この話もうすぐ打ち切りだもん。
主人公のトロイの最大のライバルであるフライハイトがトロイに倒されて死ぬ。トロイは片腕のフライハイトを失ったトールに挑む。そしてトールを封印する。
めでたしめでたし。きりがいいところで完結して「先生の次回作にご期待ください」。
小学校の頃から十年弱ボンバーを読んでる俺は何度もそういうのを見てきた。いつものやつ。そう、いつものやつだ。
納得しろ、俺!
「うわーッ! 嫌だーッ!!」
その瞬間だった。
急ブレーキがかかってタイヤがアスファルトの道路と摩擦を起こす音、体に何かがぶつかった衝撃、足が宙に浮く、青い空が綺麗。
顔をブレーキ音のほうに向けると、良くも悪くも静かでエンジン音が聞こえないという話のハイブリット車、そしてその運転席に座り驚愕に目を丸く見開いている老人の顔が見えた。
あ、俺、高齢者が運転する暴走車に
まあ、俺も歩きながらボンバー読んでたもんな。
死ぬのか、俺。フライハイトより先に。『騎士道スパイラル』の最終回を読む前に。
俺の視界は闇に包まれた。
目を開けたら、俺は知らない天井の下にいた。
でも、病院ではなさそうだ。白いパネルにLEDライトではなく、木製の板にキャンプで使うランタンみたいなライトが吊り下げられていた。
ここはどこだろう。
起き上がろうとして、隣に人がいることに気づく。
俺は驚きのあまり飛び上がった。
隣で横になっていたのは、ピンク色の髪の美女だった。ワンピース状のパジャマを着ているが、薄紅色の唇、大きな胸の谷間、腰の曲線がセクシーだ。長い睫毛には涙が溜まっている。
俺、この人、知ってる。
『騎士道スパイラル』に出てくる騎士フライハイトの妻、追放聖女リーリエだ。
どうして俺は彼女に添い寝を!?
というかここはどこ!?
まさか俺、『騎士道スパイラル』の世界に転生してる!? 漫画の世界に!? ひょっとして配信サイトで見ている異世界系アニメの主人公と同じじゃないか!?
いや、リーリエに添い寝することを許されている、ということは――
もしかして、もしかしてだけど――
まさか、そんなことがあるはずは――
俺は震える足でゆっくりベッドから起き上がり、リーリエが使っている鏡台の前に座った。
黒い長髪、形のいい切れ長の目、高い鼻、太い首に広い肩幅。
これは、見覚えがある。
「まさか、俺……」
声も、現実の俺の声ではなく、アニメのイケボ声優みたいな低い声になっていた。『騎士道スパイラル』は打ち切りになる気配が濃厚な作品なのでアニメ化はしないと思うが、クラスのオタクの女子が『騎士道スパイラル』の理想のCVについて語ってくれた時の、あの、声優の声だ。
「フライハイトに転生してる……!?」
推しが俺、解釈違いです。
いや、そうじゃなくて。
窓の外は明るかった。すでに朝が来ている。
今日はトロイがトールの城に乗り込んでくると宣言した決戦の日だ。予定どおりならフライハイトはトールの王の間の前で待つことになっているのではないか、たぶん、今までの流れ的に。
事故に遭う直前に読んでいたエピソードが脳裏を
フライハイトは、リーリエに別れを告げて、明日戦いの場に
どうする俺。
このまま逃げてしまう、という選択肢も頭に浮かんだ。
そしたら、フライハイトは死なずに済むのではないか。
奥さんとおなかの赤ちゃんとどこか遠くで幸せに暮らすのもアリなんじゃないか。
でも、それって俺たちが好きなフライハイトかな。
キャラの死に様はキャラの生き様だ。過激なオタクは、推しは死んでこそ完成する、などと言っているらしいがちょっとわかる。
卑怯に、無様に生き延びるフライハイトを見て、俺たち読者は何を感じる?
俺たちが好きなフライハイトは、トールへの忠誠心で生きる、義にあつい男だったのではないか?
フライハイトはここまで積み上げてきた美しい死亡フラグを回収して死ぬほうがかっこいいのではないか。
俺はちらりとベッドで眠るリーリエを見た。
心の清らかな、中身も見た目も綺麗なお姉さん。トロイの、物語のヒロインに収まった偽物聖女なんかよりずっと聖女だった。この女性を悲しませたくない。
心が引きちぎられそうだ。
ひとりの人間の死を惜しむ、人間としての俺。
ひとりのキャラの死を期待する、オタクとしての俺。
結論が出ないまま、俺は部屋を出た。とにかく、決闘の場に行かなければならなかった。
いずれにせよ、リーリエのおなかの赤ちゃんが成長した時に、お前の父親は主君を捨てて逃亡した騎士の成れの果てだ、みたいなことを言われないようにしたかった。
考えろ、俺。どうするのがこの一家の、このフライハイトの幸せなのか。
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