釣り合い

 俺こと寺島てらしま幸人ゆきとは、週末はなるべく散歩やジョギングに時間を費やすようにしている。

 デスクワークが多く、特にアウトドアな趣味なんてない俺はすぐに運動不足になってしまうし、血の巡りが悪いと頭を使う作業にも影響が出る。

 意識の高さを気取るつもりはないが、土曜日の朝である今も、河川敷にジョギングに来ていた。

 幸い天気が良く、同じように散歩をしている人ともすれ違う、そんな清々しい朝だった。

「やあ、おはよう。いい日和だね」

 と、横合いからこの陽気のような朗らかな声を投げかけられた。

 見ると、キャップとジャージに身を包んだ中年男性が並走していた。

「え、あ? お、おはようございます?」

 戸惑いつつも足は止めずに挨拶を返すと、その男性は笑みを深くした。

「いつもこのコースかね?」

「ええ、はい」

「いいね、お気に入りのコースになりそうだ。君は運動不足解消か何かかな? 私は最近腹回りが気になり始めてね」

「そんなところです。普段デスクワークなので、週末くらいは身体を動かそうかと思いまして」

「賢明だね。私も似たようなものだが、なかなか時間が取れなくてね。とは言っても私は出張で飛行機が多いので、座る理由は少し違うのだが」

「エコノミークラス症候群、というやつですね。気を付けないといけないやつですね」

「そうそう」

 とりとめのない会話が続く。少し息が乱れるが、元々会話できるような速度で走っていたから問題ない。並走している男性も特に苦しそうではなさそうだ。

 急に話しかけられた訳だが悪い人物ではなさそうだし、なにより人の懐に自然に入ってくるような調子に、俺は先ほど初めて会った人物のような印象は薄れつつあった。

 河川敷沿いの草木などに目線をやりつつ、会話をしつつ、しばし走る。しっとり汗をかくくらいになって、どちらからともなくベンチ前で速度を落とし、腰掛けた。

「いや、急に話しかけて悪いね。新しいことを初めて、少しテンションが上がっていたようだ」

「いえ、チャレンジは素晴らしいことだと思います」

「そうかね! それはありがとう!」

 人懐っこく笑いかけてくる男性。瞳はきらきらとしていて、まるで子供のようだった。

 一瞬の沈黙の後、彼は少し目を細めた。

「目の下に少しクマがあるね。よく眠れていないのかね? そういう状態でのジョギングは良くないと聞くが?」

「……えっと」

 確かに、最近はあまりよく眠れてはいなかった。疲れるようなことをすればよく眠れるか、と思ってのジョギングでもあった。

 しかしそれを、先ほど会ったばかりの人物に指摘されるとは。

「悩みでもあるのかね?」

「……まあ」

「結構結構。悩みは若人の特権だね。そしてそれを聞くのは年長者の特権でもある。どうかね、私に話してみては? なに、どうせ先ほど会ったばかりのしがらみのない人間だ。旅先の占い師とでも思うといいよ」

 不思議と押しつけがましさは感じなかった。

 悩みつつも、口を開く。

「少々、距離感が狂っている知人がいまして」

「ほう」

「ありていに言うとストーカーと言うやつなんですが、まあ、憎めないやつで……いや、違うな。真っすぐなところには好感を持っています。ただ、年齢差や立場の違いもあるので、受け止めるかどうか迷っています」

「ストーカーかね。被害妄想とかではなく?」

「自称しています。まあ、可愛いものですが……という時点で絆されているのでしょうね」

「ふむ。外見はどう思っているのかね? 傾国であるとか」

「美少女ではあるんでしょうね。行動が突飛すぎて、そのあたりは正直どうでもいいです。話しているとテンポが良くて心地よくて、俺のことを心底……慕ってくれているのが伝わってきます。あと、育ちなのか家庭の影響なのか器が大きいというか」

 俺のことを頑固と称しても、それも個性の一つだとばかりに受け入れていた。あの年でなかなかできることではない。少なくとも、同じ年頃の俺にそれほどの柔軟性があったかどうか。

「大分傾いていて、あまり悩む余地も感じないが?」

「……トラウマ、なんでしょうね。母の不倫が原因で両親は離婚していますし、その心労が元か父はしばらくして亡くなりました。俺自身は付き合っていた彼女にも浮気されて、女性不信というか……人間不信なのだと思います。後、奨学金の返済を抱えていて、経済的にも潤沢と言い難いですし」

「そのストーカー美少女では、それらを癒すに足りないというわけかね?」

「……そうかもしれません。とにかく、時間が欲しい、というのが正直なところです。でも、そうやって引き延ばすのも彼女に不誠実ですからそう言って断ったのですが……」

 そこまで言って、竜禅寺りゅうぜんじ自身から聞いた話を思い出す。

「……ただ、時が経てば状況も変わります。婚約者を立てられそうだという話も聞きました。……その話を聞いた時に、そうか、いなくなるのか……と、喪失感に襲われたことも否定はできません」

「ふむ、なるほど。君は真面目で誠実なようだ。時間が有限であることも認識はしていて、社会人としても有用なようだね。結構結構。悩むとよかろう」

「……はあ」

「まあ、老婆心ながら一つ言っておくと、ひたすら我武者羅になるのも悪くはないとは思うがね。それも若者の特権と言うやつだ」

「……有用な社会人としては、特権を振りかざした後のことを考えてしまいますがね」

「客観視も出来るようで結構なことだ! だが、それを許容する大人が一定数、存在することもあり得ない話ではないがね!」

 かか、と空を見上げる中年男性。キャップで影が色濃く差すその顔には、その影を吹き飛ばしそうなほどの爽快な笑みが浮かんでいる。

「で、結局のところ、君はその可憐な少女に好意を抱いているのかね? もちろん、異性として、という意味でだが」

「……それは、本人に直接伝えるべきものだと思います」

「確かに! このようなおっさんに白状する事でもないな! だが、おっさんらしく言外の意図は汲めるものだがね!」

 いきおいよく立ち上がると、身を翻す。

「あまり相談相手にはなれなかったが、君のような気持ちのいい青年と話せたことは私にとっては大した収穫だった! では、私は所用があるので去ることとする。それではまたな、幸人くん!」

「え、あ、はい。お疲れ様です」

 ジョギング再開、とばかりに中年男性が軽快に駆け去った後、俺は一人呟いた。

「……俺、名前言ったっけ?」



「そういや幸人、あの後のことなんだけどよ」

「……何の話だ?」

 ある日、会社の昼休み、休憩室。

 缶コーヒーを傾けた後、友人にして同僚の藤井ふじいとおるが、ふと、思いついたように言った。

 俺にはそれだけでは何のことかさっぱり分からない。

千佳ちかさんのあの後だよ」

「……ああ」

 確かにバーでの一件は、俺は途中退場したままでその後を知らなかった。

 なにせ直後と次の日に竜禅寺と会ったこともあり、それが鮮烈で印象をかき消されてしまったというのが大きかった。

 それが俺に取ってはいいことなのかは分からないが。

「お前には伝えておいた方がいいかと思って」

「……まあ、一応聞いておこうか」

 正直、どんな心境で聞けばいいのかさっぱりではある。

 一瞬、泣かせた責任が、など思いはした。が、そもそもの原因は俺ではないし、責任も何もありはしない、と思い直したからだ。

 どんなことになったか興味があるのは確かだったし。

「まあ、要するに諦めたくないってよ」

「聞かなきゃよかった」

「そうだろうなあ。大体、そりゃ普通、振られた側の言いぐさだろうって話だし」

「意見が一致していて助かるよ」

 何言ってんだ、という亨の表情だが、俺だって似たようなものだろう。

「千佳さん美人だし、お相手はすぐに見つかるだろうとは思うけどな。ま、今は不倫騒動で遠巻きにされているだろうけど、それもいずれほとぼりが冷めるだろうし」

「そう願うよ。他には何か言ってたか?」

「んー、後は大学時代の振り返りとかかねえ。あの日に帰りたいとか、そうしたら絶対に間違えないのに、とか。あの様子じゃ、また幸人の前に現れるかも」

「やめろ、縁起でもない」

 まるで幽霊を怖がるかのような俺に、亨は苦笑を返す。と、そこで亨は表情を改めた。

「千佳さんのことは抜きにしてもさ。幸人、もうそろそろいいんじゃねえの?」

「そろそろって何がだ」

「次の彼女。探して見なよ」

「……ストーカーの餌食になれと?」

「いや、ストーカーちゃんに限らずさ。拠り所というか、心安らぐ存在を探すってのは悪くないと思うぞ?」

「…………」

 亨は真面目な表情である。こいつがこんな表情をするのは仕事以外では珍しいことだ。

 正直、ここまで言ってくれるのはありがたいことである。

 確かに千佳のこと、ひいては両親のことがあるので人間不信が根底にあって、人間関係には距離を取ってしまう質だ。例外は、高校時代からの友人である亨くらいなものだ。

 俺もこのまま、どうしても一人でいたい、と言うわけではない。いずれは結婚を視野に入れる時が来るだろう。それが自然とそうなるか、そうしなければならない状況に追い込まれるかは分からないが。

 そこでどうしても脳裏に浮かんでしまうのは、竜禅寺美咲みさきと言う少女のことだ。

 今、一番印象が強い、いや、強すぎるのは間違いなく彼女だ。

 押しが強い所もあるが、その実は絶妙に距離の取り方がうまく、俺は彼女に驚かされたりはするものの、一緒にいて不快に思ったことがない。

 竜禅寺の姿勢には一貫して純粋な想いがあり、それが伝わってくるだけに俺は邪険に扱えず絆されて、今もどうやって接するか決めあぐねて睡眠不足の有様だ。

 きっかけは、竜禅寺がおそらくは嫉妬を煽る目的で発したであろう「婚約者」の一言だ。

 その時は反射的に返答したが、いざその意味が浸透してくると、念頭に浮かぶのは一つだった。

「住む世界が違う」

 それに尽きる。

 俺はしがないサラリーマンだ。一般家庭だった両親は離婚し、父は他界、母とは離婚以来連絡を取っていない。奨学金の返済と言う経済的不安も抱えている。

 竜禅寺は婚約者を立てられるほどの、株の運用を行えるほどの正真正銘のお嬢様で、数多くのスキルを年若く習得している言わば才媛で、将来が約束されていると言ってもいい。

 年齢差が些細と思えるほどに、釣り合いが取れているとは思えない。

 思えば、それらを早い段階で認識していて、俺はあえて距離を取るようにしていたのだろう。

 竜禅寺はどうなのだろうか。

 認識していないなら、誰かがそれを突き付ける必要がある。それはやはり、俺の役目であろう。

 認識しているとしたら……その時こそ、どうすればいいのだろうか。

 それでいて、なお、俺を求めてくれているとしたら。

「……悪い。変な事言っちまったな」

 黙ってしまった俺に、亨は謝って来た。

「いや、ありがたいよ。色々整理できた」

 整理した結果、逆に複雑にもなったわけだが。

 結局、俺は竜禅寺の来訪を心待ちにしていて、「美咲」と呼びたいと思っていて、――あえて見ないようにしていた感情を抱えていた、という事に気づいてしまった。

 そうして気づけば、昼休みは残り少なくなっていた。

「……仕事に戻るか」

 逃げ口上として、これ以上に都合のいい言葉はなかった。



 少し考える時間が欲しい、と思っている俺の前に、そうはさせじとばかりに今日も今日とて竜禅寺は姿を現した。

 仕事帰りの俺と連れ立っても違和感がないようにか、今日もシックな装いだった。そういった心づかいが、一層俺の心を揺さぶると、竜禅寺は知っているのだろうか。

 いつもは俺に気づくと嬉しそうな表情となる竜禅寺だったが、驚きに目を見張ると俺に駆けよって来た。

「幸人さん、大丈夫?」

「……なにがだ?」

 覗き込むほどに近寄って来た竜禅寺に、俺はつい身体を仰け反らせてしまう。ほのかに漂ってきた香りが、女性を意識させたこともあった。

 竜禅寺は手を伸ばすと、俺の目元ぎりぎりに指を這わせるようにした。その表情は心配そうにしていた。

「寝不足みたいだから。疲れてるようにも見えたし」

「……ああ」

 そこまで気づいてくれるのか。

 そう思うと嬉しくなり、長らく冷めていた胸の内が、熱を持つのを自覚する。

「ちょっと考え事が多くてな。最近、あんまり眠れてない」

「そ、そうなんだ。え、ええと、あ、あたしで良かったら相談に乗るわよ? あたしも話したい事あったし」

 心配から、自信なさげにこちらを仰ぎ見る表情へと、ころころ変わる。

 あえて目を背けてきたそれらが眩しく映る。いい加減、この眩しさを正面から受け止めて、白黒はっきりさせるべきなのだろう。

「……そうだな。お言葉に甘えて、相談に乗ってもらう事にしようか」

「や、やった」

 小さくガッツポーズをとる竜禅寺。

 甘えて、か。

 そんな言葉を発するのはいつぶりだろうか。いつのころからか、誰かに甘えるとか頼るとかいう事をしていなかった気がする。

 それが出来る相手とは、つまり――。

「竜禅寺美咲さん」

 突然、俺の思考をぶつ切りにして横合いから声をかけてきた人物がいる。

 まさか、と思って振り返ると、そこにいたのは見るからに高級そうなスーツに身を包んだ青年で、俺が懸念した佐倉千佳ではなかった。

 最近こんなシーンが多いな、と竜禅寺を見る。知り合いか? という意図を込めたものだったが、竜禅寺は不思議そうに首を横に振るだけだった。

 そいつは俺を一瞥した後、改めて竜禅寺に視線を投げかけると、目を細めてみせた。

遠藤えんどう譲司じょうじです。お父上からお聞き及びかと思いますが、この度あなたの婚約者として遇されることになりました」

「……!?」

 息を詰まらせて驚いたのは俺ではなく竜禅寺であった。

 竜禅寺は、どことなく雅な仕草で自己紹介したそいつではなく俺に向き直ると、切羽詰まった様子で俺の腕にしがみついてきた。

「ちっ、違うの幸人さん! た、確かにパパから婚約者の話はあったけど、それはあくまで候補の話で、建前なの! しがらみが色々でごちゃごちゃして、仕方なくそういう話が降って湧いただけなのお!」

「あ、ああ、うん」

「こんな話が他から変なタイミングで幸人さんの耳に入ったらなんて思われるか分からないから急いで先に伝えようとしたのに、こんな、こんな……!」

 早口でまくし立てて涙ぐむ竜禅寺。そこにごまかしの色も嘘もなく、ただただ必死であった。

 詳しい経過はともかく、本当のことなんだろうな。

 竜禅寺は俺が浮気されたことを知っているし、こんな二股じみた事を最初から考えないだろう。

 それに、今までの竜禅寺の態度もある。俺はそこに猜疑心を挟むことはなかった。

 なんだ、俺は随分と竜禅寺のことを信じているんだな。

「分かった分かった。竜禅寺はそんな器用じゃないもんな」

「うん、うん! 幸人さんだけだもん……!」

 俺が納得してくれたことが嬉しいのか、俺を見上げながら何度も頷く竜禅寺。

 が、そんな俺たちのやり取りに、遠藤と名乗った青年は痛く機嫌を損ね、不快感をあらわにしていた。

「わざわざ挨拶に来たというのに、僕を無視して、随分な言いようだね。父からは決定事項だと聞いているよ?」

「あたしは聞いてないわ。少なくとも、婚約者候補としかね」

 涙を拭って言い切る竜禅寺。俺としてはどのような取り決めがあるか分からないので、口を挟むための材料がない。

「候補、という表現だけれど、そういう方針ということじゃないかな? 君も大企業、それも財閥と言われるほどの影響力を持つ竜禅寺の血筋だ。その方針がどれほどの影響を持っているか、判断がつかないわけないよね?」

「すぐに白紙になるくらいの影響力しかないってことよね。それくらいは判断ついてるわよ」

 すげえ強気だなあ。

 俺は竜禅寺の発言をその程度にしか思わなかったが、遠藤とやらのプライドは傷つけられたようである。今度は、その視線が俺に向いた。

「美咲さん、あなたのことは失礼ながら調べさせてもらったよ。随分と彼にご執心なようだね」

「馴れ馴れしく名前で呼ばないでくれる? 寒気がするわ」

 言いつつ身体を震わせる竜禅寺。ただ、その震えは言葉通りの寒気ではなく、怒りが源泉のように見える。

「これは失礼。で、僕との婚約を否定するのは、彼が理由かい? なんとまあ……猶予期間の遊び相手としては、なかなか不適当と言わざるを得ないね」

「……遊び相手ですって?」

 声音が尖る竜禅寺に対して、遠藤とやらは、やれやれ、と肩をすくめた。

「だってそうだろう? 大した家の生まれではないどころか一家離散、平凡な大学出身でこれまた平凡な会社勤め、おまけに借金もあると来てる。これでは遊び相手としてもランクが低すぎると思わないかい?」

 痛いところを突かれた、というのが俺の感想だった。きっと表情にも出ただろう。

 俺自身が痛感していることでもあり、引け目を感じているところでもあった。

 だが、いっそいい機会なのかもしれない。

 こうやって改めて突き付けられることで竜禅寺も考えがまとまることだろう。そのきっかけを俺自身が与えられなかったのは不甲斐ないと言えるが。

 身体を震わせ、目を細めている竜禅寺。それに気をよくしたのか、目の前の男の口はさらに軽くなった。

「釣り合いと言う点では、これほどアンバランスな関係もないと思うけれどね。……ああ、もしかして、そういう関係を楽しんでいるのかな? 浮ついてぐらりと来たところを、わざわざ突き落とすような、そんなゲームを」

「……こいつ、どうやって殺してやろうかしら」

「おいよせ、物騒過ぎる」

 静かだったのは衝動に任せて何かしでかさないように我慢していたかららしい。我慢できずに漏れ出てしまったようだが。

 というか、殺すのは確定で手段だけが問題なのかよ。

 竜禅寺の宣告は小さすぎて俺にしか聞こえていないようだった。遠藤は自分の発言が十分に相手を煽っているので満足そうに唇をゆがめている。俺としては早く逃げた方がいいとは思っているのだが。

 俺に抑えられたからなのか、竜禅寺は深く息を吸い込むと、いくばくかの怒りを呼気に乗せて追い出した。

 腕を組む竜禅寺。

「あんたの言う釣り合いって、いったい何?」

「う?」

 思いがけない問いかけに、遠藤が虚を突かれた様に口ごもる。

「つ、釣り合いは釣り合いさ。高水準の家格、高水準の器量、高水準の将来性……それらの均衡がとれていること。瑕疵がないこともそれらには含まれる。僕らは相応しいだろう? 共に企業、財閥の後継者で、見目も麗しい。才能あふれた僕らが結ばれるのはもはや既定路線さ。君もそんな平凡な男より、僕のようなセンスあふれる男の方がいいだろう? 僕だって、君の容姿は気に入っているし……」

「はいはい、それ以上はいいわ。気持ち悪い」

 怒りを噛み砕きながらうんざりとした竜禅寺。

「結局あんたの言う釣り合いってのはスペックのことね? おあいにく様、あたしが思う釣り合いは、どれだけ相手のことを思いやれるかとか、寄り添い合えるかとか、そう言う事よ」

「な、なに?」

「例えばあんた、困ってる人間を打算なしに助けることって出来る?」

 一歩踏み出す竜禅寺。それに押された様に、一歩後ずさる遠藤。

「相手の立場を慮ることは? 相手を傷つけることになっても誠実に対応できる? 何気ない会話で幸福感を得られる? 与えられる?」

 これが、俺が聞こうと思っていたことに対する答えなのか。

 結局、俺の悩みは杞憂でしかなかったんだな。

「あんたとではそのビジョンが全く見えないわ。それが見えるのは幸人さんだけ。だからあたしはあんたを否定するのよ」

「そ、そんな」

 遠藤は気圧されているようだった。せめてもの希望、とばかりに今度は視線が俺に向く。

「ああ、そこの君。結局は君が身を引けばいいだけの話だ。美咲さんをどこまで惑わせば気が済むんだい? 彼女には明るい未来が待っている。君が側にいることで、彼女の世間体は台無しになるだろう。それでもいいのかい? ああ、引いてくれれば僕から特別にボーナスを上げてもいい。借金のせいでさぞかし生活は苦しいだろう?」

「あんた……!」

 激高しかける竜禅寺。俺はそれを制しながら、竜禅寺の横に並んだ。

「いろいろ言いたいことはあるが、とりあえず一つ。竜禅寺の名前を馴れ馴れしく呼ばないほうがいいんじゃないか? さっきも言われただろう? ますます嫌われるぞ」

「……ぐっ」

 すでに嫌われている自覚があるのだろう。俺の進言は、遠藤をどもらせた。

「遠藤さんだったか? 遠藤さん、確かに、あんたの言う通りだ。俺はあんたの言った通りの人間で、スペックから言えば竜禅寺にはとても敵わないだろうし、釣り合わないかも知れない」

 竜禅寺の顔が曇る。遠藤は対して、それ見た事か、と唇の端を釣り上げた。

「けど、そんなのは俺と竜禅寺――」

 いや、もうやめだ。俺だって時には若さを振りかざすんだよ。

「――俺と美咲の間で話をすりゃいい問題だ。ぽっとでの赤の他人が、訳知り顔で踏み込んでくるんじゃねえよ」

「ゆ、幸人さん……! そ、それってプロポーズ!?」

 がしっ! と俺の腕を掴んでくる。喜色満面が近い。

「いや、なんでそうなる」

「だって相当仲が良くないと、名前で呼ばないって言ってたもん!」

「一足飛びすぎだろ。まあ……仲がいいのは、いい加減認めるよ」

「や、やったやった! 一万歩くらいの前進ね!」

 喜びに飛び跳ねる美咲の姿に、やれやれと思う俺。

 だが、そんな和気あいあいとした雰囲気を許容できない人物もいるわけで。

「な、なんで僕がこんな不当な扱いを……! い、いいのか? 僕は君の勤め先も把握しているんだぞ? 僕が父さんに言えば、あっという間に……!」

「……下衆ね。あたしも手っ取り早い方法を選ぶべきかしら」

「やめろ、しまえ」

 蔑みの視線でポーチから取り出そうとしたものがなんだったか、俺は分析を放棄した。とりあえず物騒なものだと判断は出来たもので押しとどめてみた。

 ただ、どうしたものか。この遠藤というボンボンは大層な権力を持っていそうで、このまま放置すると会社に迷惑をかけてしまいそうだ。

「やあやあ若い衆。青春を謳歌しているようで何よりだ」

 そこにまた、第三者の声が割り込んできた。

 今日は一体なんなんだ。

「パパ!?」

「竜禅寺高峯たかみね氏!?」

「あ、あの時の……って、パパ?」

 朗らかな声で割り込んできたのは、ジョギングの時に話しかけてきた中年男性だった。今はジャージではなくさりげなく品のあるスーツに身を固めている。そのスーツの前では、遠藤のスーツはこれ見よがしなブランド物と言う感じで、成金主義が目立つ。本当のセンスのある洒落者としての差が浮き彫りになっていた。

「あ、ええと、ち、父の高峯なの。あ、会ったことあるの、幸人さん?」

「まあ、ちょっとな」

 顔見知りとは言え一度しか会ったことのない人物の登場に、俺はもうお腹いっぱいになっていた。

 俺がよく状況を飲み込めないまま、遠藤が高峯氏の登場に驚いていた。

「な、なぜあなたがここに!?」

「娘の一大事だよ。父の私がいても不思議ではないだろう?」

 いや、不思議だろ。俺を待ち伏せする娘、その娘を待ち伏せする婚約者候補、娘の一大事に居合わせる父親。どう考えても、この連鎖はおかしい。全員ストーカーじゃないのか?

 一時動揺していた遠藤だったが、これ幸いと高峯氏にくってかかった。

「あなたからも説得頂きたい! 遠藤と竜禅寺の婚約は互いに利があり、推し進めるべきだと! ましてや平凡な相手との付き合いなど即座にやめるべきだと! 親であるあなたが、美咲さんを説得するべきです!」

「ふむふむ」

「古来より女性は三歩下がって男子の後をついてくるべきで、本来なら口答えなど許されない! そういった点において、あなたはどのような教育をなさってきたのか、どう責任を取るおつもりなのか、それに関しても弁解を窺いたい!」

「……なんつー時代錯誤だ」

 思わず零れた俺の感想に、美咲も大きく頷くばかりである。

 それを聞きとがめたのか、遠藤が今度は俺を標的に切り替えた。

「君もだ! 君のような下層の人間は、唯々諾々と我々のような上層の人間に従うべきなのだ! 分かったか!? 分かったら、勤め先を潰されないうちに、とっとと逃げることだ!」

「分かるのは、あんたがとんでもない選民思想の持主だという事くらいだよ」

「まったくだね。君は好ましくない」

 俺に続いて高峯氏が同意したことに、遠藤は長々とした演説を止められて絶句した。

 次いで、切羽詰まった様に高峯氏に向き直る。

「なぜです! そのような意見、竜禅寺を率いる方の物とも思えません!」

「そもそも、私の見解を君に決められる覚えもないがね。私は家族第一主義だよ。その上で会社が発展すれば喜ばしいとは思っているが、それ以上でも以下でもないよ」

「なっ……で、でしたらなおのこと、遠藤と竜禅寺の結びつきは発展につながるはず……!」

「聞いていたかね? 家族を犠牲にしてまでそれを成し遂げたいわけではないのだよ。そもそも昨今、血縁だけが結びつきになるわけではあるまいに。ましてや、当人の意思を無視するなど、先ほど幸人君も言っていたが時代錯誤、選民思想もいい所だよ」

「そうね。あたし、あんた嫌い。消えるか消されるかしてよ」

 もはや隠しようもなく嫌悪を露わにする美咲。

「娘の意見は少々物騒だが、頷ける部分もあるね。遠藤の後継者がそんなザマとは思いもよらなかったかな。君のお父上とは、君自身も交えて色々と話し合う必要性がありそうだよ」

「……!」

 遠藤は事ここに至って、自分がとんでもなくまずい振る舞いをしていたと気づいたようである。青くなって震えると、がっくりと肩を落とした。

 それを見届け、高峯氏は俺たちを振り返った。

「さて、私はこれから重要な話し合いがあるのでこれで失礼するが」

 そう言って、高峯氏――美咲の父親は俺をじっと見つめた。

「睡眠不足は解消できそうかね?」

「ええ、ようやく」

「結構。美咲」

「なによ」

 今更ながら、唐突に表れて場をまぜっかえし、制圧した父親を不信感丸出しに薮睨みする美咲。

「私も、君のママを執拗に追いかけまわした口でね」

「え、それ、本当?」

「結果丸く収まったわけだが……美咲もそうなるといいね」

「……応援ありがと」

「……ストーカー親子」

 俺の呟きは聞こえないふりをされた。

「それではね。ああ美咲。覚えておきなさい。門限は破るためにあるのだよ」

「話が分かるわね、パパ!」

「いや待て、そこの親子」

 上機嫌になった美咲に見送られ、高峯氏は遠藤と共に待たせていた車に消えて行った。それが警察に連行される犯人を連想させた。

「……どっと疲れた」

「……そうね。ごめんね、うちの事情に巻き込んじゃって」

「……まあ、まったく無関係ではなかったからな」

 一息ついたから分かることもある。

「あの人、最初からこういうつもりだったんじゃないだろうな」

「幸人さん、こういうつもりって?」

 不思議そうな美咲に、俺は思いついたことを語って見せた。

 それは、最初から高峯氏の手のひらの上だったのではないか? ということだった。

 婚約の話も本当、婚約を通じた業務提携の話も本当だったのではないだろうか。

 けれど、相手方の質を確認するために今回の場がお膳立てされた。

 相手方の後継者の人格を確認しつつ、無礼があればそれを交渉条件として関係改善を迫る、というシナリオだったのではないだろうか。

 それでいてもちろん婚約の話はなかったことにできる。

 高峯氏としては、娘の婚約と言う餌をちらつかせることで大いに利したことになる。

 そう考えついても、俺は高峯氏に隔意を抱いたりできそうにない。愛嬌があり、敵わないな、という思いもある。

「やられた」

 と内心で苦笑するのが関の山だった。

 俺の考えを聞いて、美咲も得心したようで頷いて見せた。

「幸人さんの考え、当たってると思う。パパ、ああ見えて計算高いところあるし。後で、ちゃんと確認しなくちゃね? あたしたちを利用したのか」

 にこり、と美咲は笑ったが、そこに黒いものを俺は垣間見た気がした。

 帰ったら問い詰めるつもりだろうが、そこに深刻なものを感じなかったのは、美咲と父である高峯氏の間に確固たる絆があり、要するに仲がよさそうだからだろう。

 俺はほんの少しではあるが、そんな家族がいることに羨望を自覚するのだった。

 美咲は思い出したように表情を崩すと、俺を潤んだ瞳で見上げてきた。

「……で、その……幸人さん。あたしとの、今後なんだけど……」

 潤みの原因は期待感であろう。もじもじとしていて、返答はイエスしか求めていないように見える。

 それを言えば、すぐさまこの場で襲われそうで怖いが……。

「っと、悪い。電話だ」

「むう」

 ポケットでスマホが震えた。むくれる美咲に断りを入れて、スマホを取り出す。

 表示されたのは見覚えのない電話番号だった。

 首を傾げつつ、通話をオンにする。

『もしもし、すいません。寺島幸人さんのお電話でしょうか。こちら警察ですが――』

「――警察?」

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