第39話「逆矩トゥウィーニ」

 ノアドラ達がこの場を立ち去った直後。レユネルが、ミオクに零した。


「……なんか、拍子抜け……? っていうか、聞いた話が本当ならノアでも敵う相手じゃないでしょ。それなのに、なんでノアが、初見で、戦ったこともない「人間」相手にいきなり有利を取れてるの?」


 レユネルが抱いた疑問はある種当然のもの。ノアドラは魔王の討伐に参加し、実際に魔王を倒して見せた。しかしその事実は彼の実力が最強だったから魔王を倒せたのではなく、必死に考えて、何とか手札を増やした末の奇跡に縋った、再現性のない運によるものだ。

 だがそれはあくまで昔の話。パーティが解散し、ノアドラが黄金を身に宿した今となっては彼らの能力は比ぶべくもないほど飛躍的に成長していた。

 しかし、その飛躍的な成長を遂げた後であっても、躊躇なく逃げ出すことを選択させるほどの怪物が、ノアドラの仲間にはいた。

 恐れられた後輩であるミオクが、自分の推測を口にする。


「相性の問題でしょう。同じ黄金を体に宿していても、プファーに対して圧倒的優位に立てるほどの違いがノア先輩にはあった、ということです」


 それを聞き、記憶を失う以前、ノアドラよりも強力な魔術式を数多行使し、自分が魔物との戦闘中は彼に経験値を一ミリも積ませなかった、過保護な幼馴染が首を傾げた。


「なにそれ。生まれたての魔王じゃあるまいし」


「それより、あれがもし、本物のプファーであるなら」


 ミオクはノアドラが走り去った方向を見据えながら、考え事をしていた。

 避難通告。それが発令されるということはつまり、この街に危険が迫っているか、或いは危険の真っ只中にあるかのどちらかだ。

 今はまだ旅行者としてこの街に滞在しているミオクだが、それでも災害情報などは耳に入ってくる。情報を整理して自分の置かれている状況を客観的に把握する――それが、ノアドラとパーティを組んでいた頃のミオクの役割であり、得意分野だった。

 だから彼女は街の住人であるノアドラ達よりもより正確に、不明瞭な点は把握出来ていた。


「――どちら様でしょう?」


 そんな彼女が、自分達に近付こうとする者に対して不信感を抱かない訳がなかった。

 ミオクが語りかけたのは、誰もいない、何もない空間。

 何をしているのかとレユネルが問おうとして、戦闘慣れしていない彼女の目にもわかるようなはっきりとした変化が、彼女達の正面、何もない筈の空間に起きていた。


「――おや、探知も何もせずに察知されてしまうとは。私も腕が落ちたものだ」


 それは大きなノイズ。空間という水面に投げられた、不協和音。

 謎の男の声の後、大きく波打った空間の端から泡となり、カラーフィルムを一枚一枚めくるように、目に見える景色が変化していく。

 そして、変化の最大値が飽和地点に達した頃、そいつは姿を現した。

 黒く肌に張り付くようなレザースーツに、腰を覆うスカート型の装甲。

 整えられた筋肉にミルクチョコレートのような褐色肌は、塗り物故の色か、それとも単に日焼けのし過ぎか。

 彼の肌は、彼の顔立ちに対して不自然な程似合ってはいなかった。

 彼はミオク達の前に姿を現すと、軽く頭を下げて挨拶をした。


「――トゥウィーニと申します。一応此方も、久しぶり、という事になるのでしょうか。名簿でしか知りませんでしたが、魔王討伐戦ではお疲れ様でした。ミオクさん、レユネリアさん」


 無論それは形式上のものに過ぎず相手を敬う気持ちなどトゥウィーニには微塵もなかったのだが、


「……? 誰? この筋肉ダルマ」


「いえ、私にも心当たりが……というか、どうせ背後で遊んでいただけの根暗共の一人ですし、覚える必要がそもそも……」


「……肉に根暗ですって……私がそのようなものに見えるか……?」


 形式的・簡易的なものであれど、頭を下げた自分に対するその返事の仕方は、逆にトゥウィーニの自尊心を大きく傷つける事となった。

 結果、互いの挨拶が無事に交わされるということはなく、お互いの拳が交わされる事態に。

 ノアドラとプファーのようにゴングが鳴ることはなく、ただただ無言で、お互いは己の右拳を突き出した。




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