第14話「彼と彼女の再会」
「…………あなたの、せいで、……今日の仕事に、間に合わない」
記憶喪失に加えて今までこなしていた仕事も肉体労働が中心的だったので、少女にコミュニケーション能力というものは乏しい。
実際、何度も詰まらせながらようやく吐き出した言葉がそれだった。
「……ひゃ、はい、……すっ、すみません……!」
それに対する少年の反応は、蛇に睨まれた蛙、或いは狼を前にした子豚の様に、やけに小さく、ハムスターのように可愛らしく見える。
……涙まで、浮かべて……。
保護欲よりも嗜虐心が掻き立てられるのは、きっとこの少年が可愛いから、世界の真理なんだからと思い込むことにして、少女は少年を睨み付けた。
少女の視線に少年はさらに縮こまりながらも、顔を上げた。
「……まさか、あんな格好をしてるとは思わなくて……レユネリア」
レユネリア。まただ。またこの少年は自分の事を『レユネリア』と……。
「……そのレユネリア……ていうの、……わたしの、こと?」
躊躇う理由はない。自分が何者かを知ることができれば、少女はその分だけ自由になれると考えたからだ。
少女の問いかけに少年は一瞬呆けたような表情を浮かべてから、怯えから来る泣き顔ではなく、喪失から来る悲嘆の顔を浮かべた。
「……わたしのこと、って……」
その少年の顔から自分達がどんな関係だったのか、読み取ることはできるような気もするが、それはあくまで少女の中の空想に過ぎない。……だから。
「……わたし、いま、……記憶喪失中なの。……だから、わたしが何者か、知っているなら教えて」
さらに踏み込んで、少女は言葉を口にするが――
「……え、ちょっと待ってくれ、……ください。……おまえ、それ、なん……っ!?」
少年は、少女が考えているよりも深い関係なのかもしれない。ひょっとして恋人? などとえてしまうが――いや、違う。
少年が視ているのは少女の顔ではなく、胸よりももっと下、腰辺りで乱暴に結ばれた少女の髪の先端部分だ。
少年の視線につられて、少女も自分の体に目を向ける――と。
「……えっ、……っ、な、……なに、これ」
思えば、自分の体をじっくりと見る機会なんて一度もなかった気がする。だからか、まるで菓子工場の製造過程を見学したかのような、どこか客観的な視線と共に少女はそれを目にすることとなった。
「それ……その、髪は……!」
最初目にしたのは、金色の髪の毛。
己の髪を見て、少女は自分の髪色はこんなのだったのかと思うのもつかの間、続いて飛び込んできた異彩に彼女は自身の目を疑った。
確かに、少女の髪の毛の毛先は金色だ。
だがそれから少しばかり上に視線を向けると、髪の毛先一〇センチを除いて少女の髪は、少年の桃色の髪よりも薄い色の淡紅色をしていた。
「……これって、いつから……?」
少女の髪に手を添えて、少年は瞠目する。
その顔は、先ほどの恐怖など忘れて、ただただ驚愕に包まれていた。
だが、少女にとっては少年の驚きなぞどうでも良い。
ぐしゃ、と少年の髪を掴み上げる少女。
「……そんなこと、より、わたしは、……あなたの名前を聞いてない」
「……あ、ご、ごめんなさ……っ! ……え、っと、……ノアドラ。ノアドラ・エイクです」
「……ノア、どら……」
ノアドラ。自分で彼の名を口にしたその時、ノイズのような落雷のような、ボリュームを間違えたとしか言いようがない程の音波にも似た衝撃が、少女の脳天を貫いた。
「……うっ、ぐ……!」
ノアドラ。その言葉が、何故か頭に残響していく。
『レユネル! 久しぶりだなぁ、元気にしてたのか?』
ノアドラ。満面の笑みを浮かべる彼。自分と対峙する彼の側には、彼の仲間と思しき人物がいた。
『……レユネル? 何だそれ、……ぐっ!? ……な、何を……!?』
ノアドラ――――――――。
「……あ、ああ、……何なの、いったい……っ!」
ビジョンが次々と脳裏に浮かんでくる。だがそれら全て、自分のものとは思えない。
言うなれば、もう一人の自分が辿ってきたこれまでの人生を見せられているように感じる。
「レユネル」。……たった今、自分の脳裏に記録として出て来た名前。彼女は一体何者なのか。レユネリアの愛称であるはずだが、少女には別人の名前にも聞こえる。
「レユネリア」。……おそらく、彼女が「本物」だ。
少女は何も、まだ何一つ取り戻していない。
「……それで、わたしは、いったい誰、なの……?」
ただ、頭の中に展開される断片的な記憶の中から、これだけは理解できた。
「……レユネリア・マルガメルセン。……おれの、幼馴染だや」
「――――!」
ノアドラ――彼はおそらく、何よりも自分を大切にしてくれるであろうということが。
「…………」
「…………」
「……『だや』?」
「……レユネリア・マルガメルセン。……おれの幼馴染だよ」
少し噴き出しそうになったレユネルだったが、何とか持ち堪えることができた。
「……なんか、思い出しそう……」
結局、ノアドラの噛んだ言葉がツボにハマったというだけで何ら思い出す事はなく、これ以上行き場のなかったレユネルはノアドラと共同生活を送るようになったのだった。
その半年間と過保護じみたノアドラの献身的な世話が彼女をどう成長させたのかは、語るまでもない。
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