第8話「一人の少女があなたに向ける愛」

 世界最強が自分を好意的に思っている――だけでなく、ノアドラの方から彼女に取引を持ちかけることも可能なのだ。


【…………】


 もしも今後の自分に悪性が芽生えてしまい「彼女を利用しよう」なんて考えたら? ――事態は最悪だ。自分は彼女をこの上なく適切に使い潰すだろうということは想像に難くなく、自分達に抵抗できる戦力も存在しない。まさに悪夢。


【…………】


 もちろんノアドラ自身はそういうことをするつもりは絶対にないし、そんなことをするくらいなら自分の身体を魔王に明け渡すつもりでさえいた。


【…………】


 それでも、絶対ということはない。いつか自分の魂が腐り落ちてしまうかもしれないし、旅を続けるうちに人間の世界に魔王が絶望してしまうかもしれない。もっと言えば、ノアドラが魔王に悪意を向けるように、第三者に操られてしまう可能性だってありうる。

 人間の魂に保障は効かないのだから。


【……………………………………………………………………………………………………】


 だから、いまのうちに。ノアドラは、自分が今置かれている立場を利用することで、彼は魔王が自分の精神に宿っているというこの状況を、変えようとしていた。


【「あなた」の本質が変わることに異存はありません。……ですがこうも思ってしまいます。『「あなた」は本当にノアドラさんを愛しているのか』……と】


 それは世界を破滅に導きかねないほどの作戦であると同時に、一人の少女を救うためのものでもあって。


「……おまえからの愛なんて、たったいま、受け取ったばかりだ。おまえは『こういうこと』を誰に対しても無差別に行ったりはしないんだろ? ……それが、お前からの愛情の示しじゃなかったら、なんだっていうんだよ」


【それは確かにその通り、「あなた」が愛するのは世界でノアドラさんだけです。でも、「あなた」の本質が変わることでもし「あなた」がノアドラさんを傷つけるようなモノに変わってしまうのだとしたら。……その可能性を考慮してなお「あなた」の変質を受け入れることは、結局、ノアドラさんを愛しているのではないということになってしまうのではないか、なんて思ってしまうのです】


 だからこそ、ここで彼女に諦めてもらうわけにはいかない。それではノアドラがここまで生きてきた意味がなくなってしまう。


「それは、その通りだ。……でも、それこそがいまのおまえに必要なこと。価値観の変化、環境の変化。万物の変化は必ず起きるもので、それは受け入れなくちゃいけないものだ」


 ゆっくりと、諭すように話す。ノアドラの目的は魔王も理解していて、すべては魔王のために行っていることだからこそ、「瀕死の状態に限りなく近づき、二人の境界を限りなく歪めて同化させる」ことにも協力してくれていたはずなのだ。

 しかし、いくら目的があって協力しているのだとしても、彼女が「魔王」である事実に変わりはない。

 自分の大切なものを手放さなければならない。それは、自分が死ぬことよりも苦しい。

 この世界の空模様は、魔王たる彼女の心象を如実に表していた。

 澄んだ青空のように透き通っていた空間が、墨を垂らしたかのように濁り、黒ずんでいく。


【「あなた」達に時間がないことはわかっています。……それでも、ノアドラさんを好きでなくなることは、いやです】


 すべてを台無しにしかねないほど、子供のように幼稚で大人げない理屈。

 だからこそノアドラは、ここで間違える訳にはいかないのだ。


(ここは夢の中。本心しか、通用しない)


 そのことを確認して、ノアドラは本心を伝える。


「こうして夢の中だけしか会えないなんて、おれは嫌だぞ」


 魔王の、表情が変わった。


【……と、言いますと】


変革かわれば、おまえは外の世界に出ていける。いまのままだと、おれ達が目覚めればこうして触れ合えなくなる。……けど、変われば外の世界でも、夢の中でもこうして触れ合って、言葉を交わせるようになる」


 魔王の手を取り、その白皙の指に自らの指を絡ませ、握る。それを黙って見ていた魔王の頬はみるみるうちに赤く染まり、さっきまで手を繋ぐ以上のことをしていたくせに、羞恥で一言も言葉を遣わなくなってしまった。

 はぁー、ふぅー、と乱れた呼吸を整え、魔王は意思をかみ砕いて言葉にする。


【……でっ。で、でででででぅは、その変化を楽しみにしてますね】


 ……しかし、魔王にとって世界で唯一、最愛と呼べるノアドラによってもたらされた乱れは、そう簡単には戻るはずもなかった。


「……ああ。それじゃあ、な」


 最後に、ノアドラはいままでよりもさらに優しく彼女の手を握る。……すると、するりと魔王の手がほどけていった。


【あ、「あなた」はっ! たとえ本質が変わったとしても! ノアドラさんのことは、絶対に、好きなままですからっ!】


 これ以上は耐えられなくなったのか、魔王はその存在を薄れさせていく。それと同時にノアドラの身体も浮き上がって、いや沈んでいく。

 ふわふわと夢の中に漂っていた意識が、地に足をつけてしっかりと自分の足で立とうとしているのだ。

 限界まで世界に溶け込み、彼の頭上で微笑む魔王を見つめながら、ノアドラも決意を口にする。


「……だろうよ。おまえは、これから幸せになるんだ」


(……おまえだけはな)


 抵抗はなくとも焦りはある。彼女の話す通り、ノアドラ自身、もうあまり時間が残されてはいないのだから。




【……ノアドラさんになら、何をされてもいいのに】







         ○   ◇







 純悪物質「黄金」。化学式で示される金のことではなく、勇者に討伐された魔王の成れの果ての現物。それが、彼女に打ち勝ったノアドラの体を蝕んでいた。

 世界創生の時から人類の敵として神に設定された存在、それが魔王である彼女。

 知性を持ちながらヒトの善性を微塵も理解することなく、対話によって歩み寄ろうとしたヒトを軽蔑し、破壊し、暴虐の限りを尽くした非道の天帝「魔王」。

 魔王を信仰する、人類に対しての「反逆者」も現れはしたものの、彼女の意思に協調するそれらの存在すらも呑み込み、魔王の圧倒的なまでの魔力は世界を滅ぼしかけた。

 だが、三〇〇年前にその興盛にも歯止めがかかる。

 新物質「滅素」の地上落下。それは文字通り、全てを喰らう悪魔の顕現だった。

 遥か彼方の遠い空から落ちてきた一雫の絶望は、当時世界に彼女に並ぶ敵はいないとされた程の魔王の力でさえ、容易く飲み込んでいた。

 魔物、人類、世界。全てを関係なく呑み込もうとする新物質の出現に伴って衰退の一途を辿っていた魔王とは違い、元々魔王に追い詰められていた人類は更に絶滅に対して拍車がかかった事で逆に滅素を滅ぼす能力――魔術に目覚めた。魔術の顕在は同時に今まで誰も考えたことすらなかった魔王を滅ぼすという力でもあり、形勢が逆転、魔王は滅素が出現した三〇〇年前に、魔物という負の存在を残して消滅していた筈だった。

 つい先日――といってもおよそ一年も前のことだが――その存在が確認され、彼女の力が衰退を初めて三〇〇年後の今も消滅せずに残っていたこと、当時の自我を未だ持ち続けているということから、極めて危険な存在であるとして、勇者の中でも戦闘のできる者達を集められての討伐隊が組まれた。

 そして、討伐隊結成から数ヶ月で三〇〇年後も生存を続けていた魔王は当時討伐隊に参加していた「勇者」の一人である少年によってその首を刎ねられ、人々は相対する脅威の一つから魔王という存在を除外した。――筈だった。


 だが、ノアドラの観測した「清楚魔王」は、歴史に語られるような魔王ではなかった。




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純情ではないけど照れ屋ではある。


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