第7話「彼のナカに潜む者」

 ――! ――きて、――!


(……。何か……ぼんやりと、聞こえ……る?)


 気の所為かもしれないし、気の所為ではないのかもしれない。

 耳鳴りのように、実際は大気中に響いていない音がこだましているのか。……なら、やはり気の所為ということになる。


 ――ノアっ! ……おねがい、目を覚まして……!


 でも――先程からかけられる音色のなんと心地の良いことか。これはまるで、


 ――ノアっ! ねぇ、ノア!


 高らかに謳い上げる歌姫の歌唱?

 一際強く記憶に残る、過去の音色?

 ……そばに寄り添って、所構わず安心させてくれる声だ。

 そう思うと、その音は、不思議とノアドラに近づいてきた。

 いや、違う。ノアドラの方から、その音に歩み寄っているのだ。

 水面に深く沈んだ自分を、形を持った無数の星が抱き上げてくれるような――


【……はむ。んちゅっ、……んち、くちゅう……!】


(…………っ?)


 ノアドラは、彼が今いる場所が現実ではないことを確信していた。

 何故か? 見ればわかる、というか現在進行形で思い知っているからだ。

 彼の眼前にあるのは、頬に垂れる濡烏の髪、宝石のような輝きを内包する瞼、世界で最も美少女な顔。

 見覚えのある……言うまでもなく、ノアドラにずっと憑いていて、ノイズと共に彼に話しかけていた、あの少女だ。

 その彼女が、とろけるような甘い香りと、安らぎを感じる吐息と共にノアドラの唇を味わっていた。

 仰向けに寝ているノアドラの身体にその少女は、少しでも触れている面積が広がるように、これ以上なく身体を密着させて、ノアドラのことを抱きしめながら。


(…………!?)


 事実の進行にかなり遅れて、彼の精神が認識に追いついた。


「……んぉっ!? んちゅっ、んっく、ちゅる……っは、お、おまえ……?」


【はんむっ……んちゅ? んちゅるっ、ちゅぷ……っは、はあ。……おはようございます、ノアドラさん】


 急にノアドラの舌に意識が加わったことに驚く少女。それでも、暴れるノアドラの舌に自分のものを絡ませてその先端を軽く吸い、最後までノアドラを味わってから、少女は唇を離した。……二人の体は変わらずに密着させたままだが。

 淫らな仕草と表情、行為であるにもかかわらず清涼感さえ感じさせるほどの爽やかさがある。


「……えお、何、して……?」


 現在報告――ノアドラは彼が感じた恥じらいとキスの余韻で呂律が回らない。そんなノアドラの口がキスをせがんでいるように見えたのか、もう一度彼女は深く、フレンチ・キスをしてたっぷりの笑みを浮かべた。


【はい。愛しています】


 突然の愛の告白。しかも自分が常日頃から可愛らしいと思っている美少女からであれば、嬉しくない筈はない。……いや、そうではなく。


「……へぁ、……あ、そう……?」


「愛する」という行為を、彼女は実行していた。

 彼女の身の内にくすぶるノアドラへの想い。それを、存分に彼にぶつけていたのだ。

 そして「ここ」は、彼女の精神世界。彼女の気持ちが反映され、また、ノアドラの精神が彼女と繋がっているばしょ。

 ノアドラが持っている彼女に対する「照れ」と「好き」という感情、彼女が制御をしないことでノアドラに流れ込んでくる好意の奔流。二つが混ざり合い、彼の精神をとろけさせる。彼はこの世界にやってくるたびに、彼女の『好撃』にさらされていた。


 彼女の好意が落ち着き、ノアドラが平静を取り戻した頃。


「……と、りあえ……ず、どうなったかを……教えてくれ」


 真っ白な地面、空色の世界の壁にもたれて、胡坐をかく。そして、彼の左側からふとももを枕代わりにして彼の腹部に顔をうずめている彼女に、ノアドラは彼らが試していたことの結果を、訊いた。


【……すぅ……はぁ。……はい、およそ目論見通りです。この通り、今回は左手と喉が繋がりました】


 ノアドラの問いに、彼女はさらに顔をうずめながら頷く。彼女が触れるノアドラの左手が、胸にある痕のように黄金に変わっていた。


「……そう、か。……わるいな、付き合わせて」


 黄金色の左手、金粉で覆われた人の肌ではない。黄金でできた、重みのある手だ。

 これは彼らが目論んだ通りの結果で、その目的に付き合わせたことに感謝しながら、ノアドラは彼女の頭を撫でた。瞳を閉じて撫でられる彼女の表情は、とても悲しげだが。


【いいんです。ノアドラさんが「あなた」のためにしてくれたことですから。逆に、あなたが謝らないといけないのに……】


「……それがおれのしたいことだから」


 ノアドラの返事に、彼女はさらに暗い顔をする。しかし、そんな暗い表情とは真逆であるかのように、


【――キスしてもいいですか】


 うずめていた顔を起こし、ノアドラの顔を覗き込む。


「――っ」


 彼女から発せられた色と欲の感情が、再びノアドラに流れていた。

(だめだ。ここにいたら、全部そういう流れになる……っ)

 何を言っているのかもわからない、触れられもしないただの思念体ではなく。触れられて、抵抗することもできないこの場所ではすべてが彼女優位になってしまう。


「……だ、だめ……っんむ!?」


 抵抗は無駄。彼女が求めるのは許可ではなく、ただの経過報告にすぎない。

 お父さんあれ買ってこれ買って、と幼い子供が駄々をこねて魅せる・・・ことで周囲の視線を気にした親に自分のほしいものを買わせるだけの「テクニック」でもない。……言葉など、既に無意味。


【くちゅ……はぷっ……んはぁ。……あ、それと】


 だが、「彼女」の領域とはそういうものだ。

 覚悟や意思もなく彼女に踏み込んだ時点で負けは確定し、彼女に対する「悪意」は、実行に移される前にその意思が芽生えた時点で摘み取られる運命。


【ノアドラさんが気を失ってすぐ、「あなた」がノアドラさんの身体を少しの間動かせたので水や果物を少しいただきました。……本当は、料理を作っておきたかったんですけど】


 たとえ抵抗する意思と覚悟、「世界を終わらせる能力」を持ち合わせていても、「世界に希望を満たせる能力」でもない限り、この世界には存続することさえできない。


「十分だろ。……ありがとう」


 それが「清楚魔王」(どこが清楚だ)と呼ばれる彼女の本質だ。誰も、勇者であっても逆らえやしない。


「……もうすぐだ。もうすぐでおまえを自由にしてやれる。こんなこと・・・・・も、しなくて済むようになる。だからな」


 彼女のための、ひとつの利己で満たされた、暴力無き究極。どこまでも彼女本位な世界。そんな空間に存在できて、さらにその上、彼女から求められている時点で、ノアドラはこの上なく特別な存在ではある。




 ただしそれは、魔王にとってノアドラが唯一無二の存在になりつつあるという危険性の現れでもあった。




————————————————————


人物紹介


魔王

めっさつよい。滅びない。存在を消失させる魔術とか使われて消えちゃったとしても、何故かすぐに現れる。勇者は絶望するしかない。


最後までお読みくださり、ありがとうございます!


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