第5話「疾走するは我が幼馴染が為」
少年が帰宅したのは、それから一五分後のことだった。
徒歩で一五分。本来なら近くもなければ遠くもない距離ではあるがしかし、その間、てくてくと歩いていた訳ではない。
『…………一七時……ごじゅう……よん……分ッ!!』
一五分のうちのおよそ六分間、少年は人の分際であるにも拘わらず、サリカの街を自動車ならば免停確実のスピードで走り回っていたのだ。
というのも、少年が走っていたのは「未成年のエレベーターの使用停止時刻」という制限時間に追われていたからである。「運用停止」ではなく「使用停止」であるところに、理由がある。
別名、「階層都市」サリカ。上層階、中層階、下層階、地下層階の四つの層からなるこの街は、要塞のような外見の中に鉄道が走り、図書館や公園、学校などの公共施設やマンション、果てにはカジノや競馬場などといった娯楽施設までもが建てられている。城の外に城下町としてあるのではなく、城の中に街そのものが作り上げられた、『人が住める大型商業施設』などと自らの街を揶揄したのは、何代目の市長だったか。
大型商業施設――なんでも揃う便利な場所という意味ではそうなのかもしれないが、この街がそう比喩される理由はもっと別の、この街自体が「閉じられた空間」であることに関係する。
サリカの存在する場所が半径数十キロを除いて切り立った山に囲まれた峡谷、何ら代わり映えしない所であるが故か、この街に滞在している人間は基本的に街の外の景色を見ることはない。街の外に繋がる門は街の北側に一つ、それと街の屋上にここ数十年使われていない入り口がもう一つ。換気の為の窓はないが巨大な換気扇が魔術によって駆動しており、街の中にいる人間が呼吸面で危険にさらされるということはない。さらに空を埋め尽くすのは無機質な階層の天井であり、横に広がる壁も同様の光景を見せてくれるのだ。天井そのものが照明となっているため、夜になれば天井は暗くなるが。
だから少年は、暗くなる街の雰囲気からだけでも、日が暮れて「それ」の時間が来るのを、察知できていたはず。というか、自分でも「もうそんな時間か」と心にしていたのだ。
――しかし。
閉じられて、外の世界と隔絶されてはいても、サリカは昼も夜も関係ない、眠らない街というワケではない。
娯楽施設が集中する上層階への深夜における未成年の立ち入り(居住者を除く)を禁止するため、一八時以降、この街では上層階へ向かう未成年者のエレベーター搭乗に対する年齢制限が設けられる。
だから、今年で一六歳、未成年者真っ最中である少年は急がなくてはならなかった。
というのも、彼の住まいがある上層階に繋がっているエレベーターが使用できなくなるまで、残り六分しか残されてはいなかったのだ。
ペットショップからエレベーターの所までなど、移動時間はどう考えても足りない。
なので、少年は走る事にする。……とは言っても、ただ街の中を真っ直ぐ、或いは右に左に走っていけば良いのではない。
少年が現在いる中層階にも一階、二階……と、さらなる「階」が存在し、少年が目指しているエレベーターは三階にあり、彼自身は二階にいた。それ故に先ずは三階を目指さなければならないのだが、三階に登ればそのままエレベーターに辿り着けるのかといえばそうではなく、とても面倒な事に、一旦二階の別のフロアに降りて別の階段で階段のある別のフロアへ登らなければならなかった。二階と三階、それぞれがさらなる壁によって区切られており、同じ階の中で直接向かう事は出来ないのだ。
一瞬、壁をブチ壊してしまおうか……??? と思いついた少年だったが、ギリギリのところで犯罪行為を踏み止まり、それ以降の無駄な行動を一秒すら惜しむように、弓より放たれた矢の如く、力強く素早く――何がなんでも間に合わせるために、駆け出した。
階段を登ったかと思えばすぐに降り、少し走ればまた階段を駆け上がって――など、迷宮のような造りをしているサリカの街を走り抜けて、目的のエレベーター(扉が閉じかけていた)に飛び乗ることに成功。居合わせた他の客に睨まれはしたものの、時間ギリギリで家に帰ることが出来たのだった。
【――――】
達成感と同時に聞こえる、脳に染み込んでいくような彼女の声を噛み殺して、少年は自宅となっているマンション、その自室の扉を睨め付けた。
「……っつ、っは、れ、れゆ……!」
息を切らし、全身から汗を噴き出しながらも、少年は扉を開く。
どんなに嫌な光景が広がっているだろう、もしかしたら手遅れかもしれない――そんな思考が、少年の脳裏を蠢いている。
考えたくなくてもやめられない、憶測が少年に現実から目を離させない。蛇のように絡みついてくる思考の闇に追いつかれながら、少年はリビングのドアを開ける――と。
「遅かった……ね? ノア」
座卓を前にして床に座り込む、長髪で赤色の髪の少女が、必死になって自宅に駆け戻った少年――ノアドラを、高い声音でありながらも落ち着きのある声と共に迎え入れた。
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この時の瞬間最高速度、80km/h
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