第3話「渦巻く悪寒と気付かぬ再会」

 結局。

 少年は、女性客と二人で仔猫が生み出した被害の賠償をする羽目になってしまった。

 そして彼は物理的にも中身的にも軽くなった財布のことで、頭を悩ませていた。

 彼と女性客がいたのは、彼が滞在する街の中でも特に有名な店だ。

 質が良く、安いものも高いものも両方売っていて、人気もある。……だが、それ以前にこの世界の猫というものは実に繊細な動物なのだ。

 三〇〇年前には実在したと言われる精霊――それに近い性質を辿っているというこの動物は、与える餌や環境を間違えると死んでしまう。特に、絶対に人間と同じ食物を猫に与えてはいけない。猫にとって人間の餌は、毒にも等しい劇物なのだ。

 だから、わざわざ猫を飼う程余裕のある人々の為に、猫専用とまで看板にハッキリと書かれた店が存在している。店の在り方としては貴重な猫を飼いものにしているセレブ達に売れるから店を建てよう――ではなく、猫を飼っている客達の必要に迫られて自然と店が出来たというのだが、それ故に店に置いてあるものは基本全部の値段が高い。

 加えて、安価な商品もあるとはいえ、来店するのは一日三食を摂ることができて、しかも猫以上に自分の食事に気を使う余裕のあるセレブばかり。

 床に散らばった商品を全部買い取る事を申し出た……のまでは良かったが、少年がこの日に得た報酬と手持ちの金を合わせても売り物にならなくなった商品の金額には届かず、直接商品を床に落とした女性客が半分買い取ってくれるということで、自体は収束することになった。

 だが、少年はあの場で逃げることもできた。というか、最初は逃げることを真っ先に考えていたくらいだ。

 しかし少年は逃げなかった。といっても、法や社会を敵に回すのが怖かったのではない。そのようなものが恐怖の対象であるならば、彼の職業でありこの「現状」――サリカという街に居ることは、なかったのだから。

 目に見えて分かってしまうような罪は犯したくないものの、逃げられる罪ならば逃げてしまいたい。余裕のない生活を送る少年にとってはわりと死活問題である。とはいえ、自らの生活のみが天秤にかけられているのだとしたら、少年は逃避しない事を迷わなかっただろう。

 自分を誘う本能に抗いつつ、一度はその案を挙げたのは、彼が犯罪に手を染めない事を躊躇ってしまうほどの護るべき存在がいるからに違いなかった。

 だが――


「……あんた、見た目のわりに結構お金持ってるのね」


「それも今ので尽きましたが」


 両手いっぱいにキャットフードを抱えた少年は、近くに家があるという女性と帰り道を歩いていた。

 向こう一週間分の食料を買えるはずだった金は全て高級ペットフードへと姿を変え、負債のように少年の両腕にぶら下がっていた。

 ――人生において最も重要なのは金とは言わない、だけどその存在を軽視して自分達の生活を苦しめるようなら本末転倒だ。

 最も、これに関しては仔猫を手放してしまった彼の完全な自己責任なので、少年は、行き場のない怒りにただ歯を噛みしめる事しかできなかったが。


「……ぐ、うううう」


 想像以上に仔猫のために時間を食われてしまったらしく、外はすっかり暗くなり、光源である街灯や建物の灯りが、街を光で彩っている。


【…………】


 先程まで話しかけてきていた声も今はすっかり黙り込んでしまっていた。

 少年の中に少年の精神と同居している声は、三大欲求の一つ、食欲――空腹感や満足感といった臓器感覚だけを少年と共有している。

 空腹が限界に近づいているのだ。少年もすでに、彼女を気遣う余裕すらなくなっていた。


「ムニャー」


 突然、頭上の仔猫が再び騒ぎ出した。

 荷物で少年の両腕が塞がっていたために、仕方なく少年の頭上に乗せられているのだ。

 小さな体をめいっぱいに伸ばし、くつろいだ様子だった仔猫が、「メシをよこせ」と言わんばかりに少年の前髪をぺしぺしと叩く。


「まーて。あとでちゃんとやるから」


 本当は声の視線を鬱陶しく感じた仔猫が、警告の意味を含ませて主人の頭を叩いたのだが……当の主人はそれに気付く様子はなく、仔猫の脇腹をくすぐり、その手は猫の背へと伸びる。

 返事の意味も込め、少年が仔猫の背をわしゃわしゃとこねると、仔猫はむにぃ、と小さく啼いて少年の前髪で遊ぶのをやめた。

 猫の心境を訳すとしたら、「もう知らん」である。

 そんな一人と一匹を、彼らの背後から見つめている「声」。

 ……そう。声――彼女は、形を持たないただの精神体なのではない。精神体であるにも拘わらず、噂を呼ぶほどの美顔。その姿が目に見えていたなら、誰もが振り返って釘付けにされていた事は想像に難くない、そう誰もが想像してしまう程の可愛らしい容姿をしていた。

 宙に揺蕩う、濡烏の長髪。上半身は複雑に編み込まれた金色の紋様が浮いているその下に金色のシャツ一枚を纏っているだけ。スカートやズボン、果てはパンツ(下着という意味で)といった下に穿くものを彼女は好まないらしく、下半身は足先から腰元まで白皙の素肌が露出している。

 慎ましやかな胸のサイズをしているせいか、決して大きいサイズとは言えないシャツが太もも辺りまでを覆い隠している。さらにどの角度であっても中身が見えないよう、シャツの上から彼女の髪が圧倒的な数と長さで自分の股や尻を覆い隠している。それでも風に捲られれば大惨事になる事は間違いないが、たとえ風であっても彼女を靡かせられる者がいるとは少年には思えなかった。




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最強は最強。


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