32なる物語

 ベルティア、いやベルトルスは、風を切りながら、青い空の中を飛んでいく。

 瀕死の状態のミリアを腕の中に、本当に大切に抱きながら。


「……あなたは、誰?」

 苦しい息の中で、ミリアは尋ねた。


「ベルトルスだ。君が生まれ変わって『ミリア』となる前から君を愛する者だ。

……君が『ミリファエル』だった時、俺にとって君は、最愛の人だった。そして俺は、君にとっても、最愛の人だった……。」

 苦しい息のなか、ミリアは、ベルトルスの顔を見た。


「……思い出した。あなたは、……確か、ずいぶん前に、盗賊から私を……助けてくれた、……あなたは、その子よね……?」

「そうだよ、ミリア。いや、ミリファエル」

 ベルトルスが目を細める。マリンブルーの2つの瞳の輝きに、優しさがこもっていた。


「……でも。それ以外……私、あなたのこと、全く知らない……。でも……。」

 ミリアも、目を細める。


「でも、……この空を飛ぶ感覚、何だか懐かしい……。」

苦しい息の中、ミリアの目が細くなり、柔らかい輝きを放つ。

「だろ? それは、君が前世ミリファエルという名の天使だったからだ。だから……。」


「無理……。」

 ベルトルスの言葉が、ミリアの言葉によって、遮られた。


「あなたのこと、私は、盗賊から助けてくれたってだけで、……全然、知らないもの……。」

 そう言った次の瞬間、ミリアの呼吸が、先ほどよりも弱弱しくなってゆくのを、ベルトルスは感じた。


 言い知れぬ孤独と苦しみを感じつつ、ベルトルスは、黙って空から地へ向かって降りていく。

 

 太陽の美しくも優しい光が、人々の営みを支える様々な街、村を平等に照らし出している。ベルトルスは、その街や村の上を飛んでゆき、そしてヴォヴゥレの村へ降下してゆく。


 ミリアの家へ戻ったベルトルスは、しばらくの間、ミリアを腕に抱いていた。そして、優しさの中に多くの憂いを含んだ複雑な目で、ミリアを見つめているのだった。


 だが、しばらくして、ミリアを大切に、本当に大切に腕に抱き、トーマスの所へ行くと、

「最期はやはり、愛する君の腕の中で過ごさせてやりたい」

 そう言ってトーマスの青い瞳を見上げ、ミリアをトーマスの腕の中へと預けた。


 ベルトルスのマリンブルーの瞳には、表現しようもない複雑な感情が浮かんでいる。


 トーマスは、ミリアをベッドへ戻すと、

「やはり君の力で、ミリアの病を癒すことはできないのか!?」

 彼は、奥底からすがるような表情をしながら、ベルトルスへ言葉を投げかける。


「すまない……。俺の力では、無理だ。……俺は、寿命だけは、癒せないんだ。ミリアはもう、寿命なんだ。」

 淡々と言葉を綴りだすベルトルスだったが、マリンブルーの瞳の奥には、悲しみがにじみ出ていた。底知れぬ沼のような悲しみだった。


 その彼の瞳を見た瞬間、トーマスは、皆がいるのも構わず、涙を流した。

 気づくと、ゲオンも涙を流していた。


「「お母さんっ!!」」

 ミリアの成人した2人の娘は、声をあげながら泣いている。


「……泣かないでおくれ。

 エリシア、マリア、トーマス。……そしてゲオン、ベルティア。あたしはいつも、あんたたちの成長を、ずっと風になりながら、見つめている……よ。

 あたしは、色々な世界を、風になって、旅して回るんだ。……そして、そのあとは、皆を見守っているよ。見えなくなっても、皆の傍にずっといるよ。皆がいてくれて……私は、本当に…幸せ…だった…。…今まで、…ありが、…とう……。」

 それが、ミリアの最期の言葉となった。

 しばらくして、ミリアは静かに、息を引き取った。


 次の瞬間、ミリアの2人の娘、トーマス、そしてゲオンが堰を切ったかのように号泣し、小さなこの部屋は、深い悲しみの渦で包まれた。


 ベルトルスは、この部屋の隅で、1人、拳を握りしめていた。

 ああっ……。でも、俺は、ミリファエルの記憶を、思い出させてやることができなかった!……共に過ごしながら、ずっと女になってたなんて、俺は一体、何をしていたんだっ!……ミリファエル……っ!!

 ベルトルスは、さらに強く拳を握った。強く噛んだ唇からは、僅かに血が流れ出た。



 ミリアの葬儀は、大変盛大なものだった。


 ミリアの占いは、とてもよく当たり、国内外から、彼女の占いを求め、人々がやって来ていた。その実力は、迷える多くの人々の心に明かりを灯し続けていたのだ。


 斎場は、彼女の死を惜しむ人々で、溢れかえっていた。


 そんなミリアの偉業に、ベルトルスは、驚きを隠すことができなかった。


 ベルトルスは、ベルティアの姿となり、3人の子供に留守番をしてもらい、ゲオンと共にミリアの葬儀に出席していた。



 やがて、ミリアの眠る棺が埋められ、上から土をかけられた瞬間、ミリアがこの世から完全にいなくなってしまったことが、現実味を帯び、悲しみがこみあげてきた。


 その悲しみが、避けようのない大きな津波のごとく、ベルティアの心に打ち寄せた。ベルティアは、思わずその「悲しみの扉」を閉ざし続けた。その「扉」を開くと、悲しみで、おかしくなってしまいそうだったから。


 そうして、悲しみを心に封印したまま、ベルティアは、葬儀の参列を終えたのであった。


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