陰陽師、過去を語る⑧

 

 父に反抗したことなどなかった。あってはならなかった。

 土御門の頭首である父は全てのルールであり、それに従うことは正しさだと思っていた。


 だから、これ程までに殺意を込めた視線を父に送っている自分はもう、自分ではないのだろう。


「なんだ、その眼は」


「……ハルを解放しろ」


 四肢を拘束された状態で、ただ睨みつけることしかできない自分が情けない。

 悔しくて悔しくて、血が滲み出るほど唇を噛み締める。


 そんな俺の顔を見て、ハルはため息をつきながら口を開いた。


「はぁ……源治げんじよ。翔也にこんな顔をさせてるところを志音しおが見たら、激昂するぞ」


「黙れ、妖狐」


「志音がどんな思いで、渚と翔也を産んだと思っている。子達への愛情を履き違えてーー」


「黙れと言っているっ!!!!」


 怒声が響き渡った。こんなにも感情を露わにする父を初めて見る。

 そのまま、父は握りしめている長刀を怒りに震わせながら振り上げた。


「貴様の……貴様のせいでっ!!」


「……私の首で気が済むのなら、さっさとやりたまえ」


 父の振り上げた長刀が、跪き拘束されているハルの首筋に振り下ろされる。その一瞬がスローモーションに見えた。


 終わる。終わってしまう。

 ハルの声が。ハルの優しい眼差しが。

 ハルの温かさが。ハルの命が消えてしまう。


 「やめろっ!!!!」


 そう、叫んだ瞬間。時が止まった。


 何が起きたのかわからなかった。この場にいる人間達の全ての動きが止まっている。

 いや、風も雲も自然の動きさえも止まっていた。


 この世界を認識しているのは、おそらく俺と……


「翔也、少し話をしようか」


 ハルだけだ。


「何がどうなってる?」


「私の術で、一時的に時を止めた」


「……んなこと出来るなら最初からやれよ。今の内に緊縛の術を解いて逃げーー」


「それは、無理だよ」


 ハルの否定と共に、その理由を理解した。

 一切身体が動かない。これは、術式で拘束されているからではない。根本的に動くことが許されない世界なのだと肌で感じ取った。


「時を止めるということは、私達だって止まる。物質が動くことは許されない。今は、その中で私と翔也の精神だけを繋げているんだ」


「なんだよ、それ……じゃあ、この術を解いたらーー」


「次の瞬間にはわたしの首は飛んでいるだろうね」


 死が決まっているというのに、他人事のようにハルは話す。あんなにも死に怯えていた自分がバカらしくなるほどに、ハルの心は澄んでいた。


 むしろ情け無いほどに心が掻き乱れているのは自分のほうだ。



「なんでだよ……なぜ抵抗しなかった! ハルがその気になればどうにでもなったはずだろ!」


「私にも色々事情があってね。ここらが潮時だと判断した」


「事情なんか知らねえよ! 俺は……俺はハルが死ぬのは嫌だ……」


 幼子のようにダダをこねる自分の滑稽さは自覚している。それでも、俺は俺の気持ちをぶつけることしかできなかった。

 そんな俺をからかうように、ハルはひょうひょうと返す。


「どうやら、私は翔也をだいぶ魅了させてしまったようだね。なんとも罪深い女だ」


「……その通りだよ、ハル。だから、術を解くな。俺はこのままハルとこの世界で過ごしたっていい」


「ははっ、なんともバカなことを言うね。妖力が持ちやしないさ。そもそも、私がそんな選択をすると思うかね?」


「……」


 するわけが無い。ハルが俺のことを大事に思っていることなんか知っている。だからこそ、こんな世界に俺を留めることなんかしやしない。

 最初からわかっている。ハルは最後の言葉を伝えるために時を止めたのだ。


「さて、本題だ。翔也、人を憎むな。恨みは連鎖するだけだ。そんな無駄なことをしているくらいなら、君は君の幸せだけを考えて世界を楽しみなさい。それが、私の……そして、志音の願いだ」


「……幸せなんかわかんねえよ」


「じきに必ず見つかる。それを大事にしなさい」


 最後までハルは俺の心の奥底まで入ってくる。この言葉達は、きっといつまでも俺の心に根付いて離れないのだろう。

 ……やっぱりハルは、妖怪だ。


「さて、そろそろ時間ーー」


「ハル。俺はまだ幸せなんかわからねえけど、一つやりたいことが出来たよ。俺はハルの意志を引き継ぐ」


「……ほう。私の意志とは?」


「妖怪と人が共存できる世界を作る」


 俺の言葉から少し間が空いた。しかし、空気は冷え切ったものではない。その時ハルから感じ取ったのは、喜びの感情だった。


「難しい話しだよ。特に怪異はやっかいなものが多いからね」


「やっかいなやつは、更生させる」


「どうやってだね?」


「……説教して、言い聞かす」


「くっ……くっくくっ、あっはっは! 面白い! さすがは、志音の子供だ! ……とても嬉しいよ、翔也」


 少しずつ世界が揺らいでいく。

 時が進もうとしているのを感じた。


 ハルの妖力の限界が迎えると共に、次の瞬間は訪れる。自分の奥底から湧き出る感情をおさえこんで、俺自身が覚悟を決めなけれぱならなかった。

 そうでなければ、ハルは安心して逝けやしない。だから、この言葉は俺から告げなければいけない。


「ハル……さよならだ」


「もう一度言うよ、私は君の幸せを心から望む。さよなら、翔也」



 次の瞬間、俺の目の前には凄惨な光景が広がった。俺はその光景から目を逸らさず、最後まで俺を優しく見守っていた目を見つめていた。


 

◇◇◇◇



「……まあ、こんなところだ。悪いな、別に聞いてて面白い話しではなかっーー」


「うぇ……うえぇ、うわあああん!!!! なんて、なんて話をしてくれたんですか! 翔也さんのこと、ただのパワハラ説教野郎とか思ってたあの時の自分をぶん殴りたいです! いや、ぶん殴りますっ! コイツかっ! 愚かな低級妖怪はコイツかっ!!」



 俺が話しを終えると、座敷童子はいきなり号泣しだし、自分のほっぺたをはたきだした。

 だいぶシリアスな内容を語った直後に、反応に困るリアクションをするのはやめてほしい。


 座敷童子は満足するまで自分のほっぺたを叩き終えた後、涙を浮かべた瞳で俺を見つめ衝動的に飛びつくように抱きついてきた。


 その衝撃にボートがせわしく揺れる。


「ちょっ……お前なにやってんだ。危ねえぞ」


「わかりませんっ! でも、なんか抱きしめたくなりました! こんな大事なこと話してくれた嬉しさと、翔也さん今まで一人で抱えてきて頑張ったんだねって思いと、なんか、もうっ! わかりません!」


「俺も意味わかんねえよ……」


 ボート受付のおっちゃんが、岸辺からニヤニヤしながら見ている。これじゃ公然の場でイチャイチャしているバカップルだ。

 とりあえず、座敷童子を離そうと肩に手を置いたところであの時の言葉が脳裏に浮かんだ。


 "私は翔也さんの幸せを望みます"


 渚に追い詰められた時、死の間近で座敷童子は言い放った。コイツは馬鹿で阿呆で、調子こきで、感情的で。ハルとは正反対だ。


 正反対なのに……


 俺は肩に置いた手を、そのまま座敷童子の背中に回して抱きしめた。

 ハルと同じ温かさを感じた。優しさを感じた。


 ーーなあ、ハル。

 俺は新しいこの世界で見つけたみたいだ。だから、しっかり使命を果たすとするよ。





◇◇◇◇



「ただいま帰りましたっ、かぐやさん! いい食材を買ってきましたよー! 今日は、最高の夕飯にしますねっ!」


(ずいぶん時間がかかったな。まあ、いい……それで、その。どんなチョコスイーツなんだ?)


「チョコ……? あっ!!! すいません、忘れてました!」


(……そうか。まあいい、別に全然、なければないで構わない。構わん……)



 かぐやは、今まで見たことがない表情を浮かべながらふわふわと浮遊していた。とても哀愁を感じた。

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