陰陽師、過去を語る③

 それから、どの程度時間が経ったのかはわからない。泣き続けていた俺が正気に戻ったころ、妖狐はゆっくりとまわしていた腕を離した。


「……どういうことだ。俺のことを知っていたのか? それとも、幻惑の術でもかけたか?」


「私は、ただ伝えたかったことを伝えただけだよ」


「答えになってねえぞ」


「答える気がないからね」

 

 さっきまでとの表情とはうってかわり、妖狐はひょうひょうとした態度で話す。


 危険だ。これ以上コイツといると、自分が自分でなくなる。妖怪に惑わされるというのは、一番危険な状態なのだ。だからこそ、非情でなければならない。

 それは、俺が幼い頃からずっと教えこまれてきたことだ。


「とりあえず、俺は帰る。……ただ、命を救われた恩に報いて土御門家には報告はしない。そこは安心してーー」


「ああ、やめた方がいい」


「なにがだよ」


「君、このまま帰っても死ぬよ?」


 これから世間話でも始めるのかのように、妖狐はカップにお湯を注ぎ始めた。

 カップにはティーパックが用意してあり、紅茶を淹れているようだ。


「君も飲むかい?」


「いらねえ。それより、俺が死ぬってどういうことだよ」


「治療は終えていないのさ」


 甘党なのか、作りあげた紅茶に角砂糖を五個ほど放り込んでいる。仕上げにミルクを入れ、優雅なティータイムを始めながら、妖狐は話す。


「全身打撲。鎖骨、上腕骨、肋骨、その他数箇所の骨折。内蔵損傷。頭部挫傷。そんな状態の君を生かすために、私の妖力を大量に君に注ぎ込んだ」


「人間にとって、妖力は毒だぞ?」


「その通りだよ。だが、毒と薬は紙一重と言うだろう。上手く作用させれば、治療に使える。君の身体は、今は妖力によって機能しているんだよ」


「……治療を終えるために、何をすればいいのかだけ教えてくれ」


 答えを急かす俺に眉をひそめる。妖狐はもっと対話を楽しみたい様子であったが、俺の表情から色々と読み取ったのだろう。

 ため息をつきながら、仕方なさそうに結論を話し出す。


「原理を理解するのは、大切なことなのだがね。まあいい。要するに、私の妖力を、君の身体の回復に合わせて少しずつ抜いていかなければならない。そのまま君が帰るとしたら、猛毒を抱えた状態になる。薬として作用できているのは、私が今近くで制御しているからだからね」


「少しずつって……どれくらいかかるんだ?」


「早くて、一週間かね」


 ……長い。何より、この妖狐がどこまで本当のことを言っているのかもわからない。

 

 こんな時こそかぐやと話したいが、牛鬼との戦闘で無茶な戦い方をしている。神力が溜まり

、実体化できるようになるまでは時間がかかるだろう。一人で思考しなければならないとは、中々に危ういことだ。


 ……少し、カマをかけてみるか。


「治療してくれるのはありがたいが、土御門で俺の捜索隊が結成されているはずだ。一週間も俺を置いていたら、土御門の集団が来るぞ」


「それが、なんだというのだね?」


「……陰陽師の、最強集団だぞ? 緋眼持ちだっている」


「私は、九尾の狐だが」


 自分の実力であれば、どうにでもなるとでも言いたいのだろうか。

 緋眼持ちの陰陽師なんて、特級妖怪でさえも怯えて逃げ出す存在だ。いくら伝説の妖怪であろうと、相手にしたくないだろう。


 それでも、コイツは一切の動揺を見せない。


「そんな面倒になろうと、私は治療を終えるまでは君を帰すつもりはないよ」


「……なぜ、そこまでする?」


「言っただろう? 人間が好きなのだよ」


 相変わらず、答えになっていない。

 それでも、嘘は言っていない。惑わしはするものの、この妖狐は一回も俺を騙すような発言はしていない。


 自分の方がよほど嘘吐きだと自覚してしまい、情けなくなる。


「……訂正する。土御門の捜索隊なんて、来やしない。自己責任の世界だ。任務を失敗したとて、そこに助けなど来やしない。安心しろ」


「ははっ、素直なヤツだ。まあ、一週間ほどの辛抱だ。それまでは、ゆっくりしたまえ」


 妖狐は、もう一つのカップに紅茶を注ぎ始める。俺の分なのだろう。


「……砂糖は一つで頼む」


「暖炉の前で飲むといい。今日は冷えるからね」


 なぜ俺は妖怪と同じ空間にいるのに、心地よさを感じでいるのだろう。

 土御門にいる時より、よっぽど居心地がいい。それは、恐らくあそこには存在しないものが、ここにはあるからだろう。


 思いやり。優しさ。


 そんなものは、あの家では感じたことはなかった。


 ……いや、幼少期。

 これは、まだ母が生きていたころ以来の温かさか。

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