3章 クラスのアイドルと離れ離れになった話

第42話


 さて、伯父の有無を言わさぬ圧政によって僕達は離れ離れとなることになった。一ノ瀬さんは小海さんの運転でその日のうちに帰らされ、僕は小海家の一室に軟禁されることとなった。


 伯父さんは「お前を自由にすると何をしでかすかわからん」と言い、宵歌を終日監視役として張り付かせた。


 僕の行動は全て宵歌に監視されて報告される。少しでも誤魔化そうものなら彼女の晩飯が抜かれてしまうのだから嘘をつけない。宵歌は来週に控える期末試験のために課題に取り組み、僕をチラリと見ながら古典文学ととっ組み合っていた。


「……僕がこんなことをするなんて意外か?」


「……ごめん。宵歌がもっと上手く誤魔化せてたらよかったのに」


 彼女はさっきから謝ってばかりいた。「いつかこうなると思っていたし、宵歌のせいではないさ」


「……お父さんひどい。いくらりつのお父さんが嫌いだからってここまでする?」


「あの人ならするだろう。昔から僕のやることなすことにケチをつけてきたし」


 僕達のやり取りは会話にはなっていなかったが、お互い腹に据えかねる物があってそれを吐き出すために言葉を用いているにすぎない。


「……宵歌が悪者になっちゃうじゃん。一ノ瀬さんともっと仲良くなりたかったし、2人の時間をもっと作ってあげたかった。宵歌、こんなことしたくない……」


「……………」


「一ノ瀬さんはもう出発した頃かなぁ」


「さぁ、どうだろう」


 僕は窓の外に目をやった。そこには車の前で話をする小海さんと伯母さんの姿が見えた。


 ほどなくして車は出発し、一ノ瀬さんを乗せた黄色い車が小海家から離れていく。やがてS県を出て入佐に着くだろう。


 僕にできる事はもう全部やった。


 これでダメなら、後はもう諦めるしかないだろう。


     ☆☆☆


 さてS県に向かう一ノ瀬さんの様子だけれど、膝を抱えてシートに寄りかかり、ときおりスマホを取り出しては涙を潤ませる。「……ライン、交換しておけばよかったなぁ……」とため息をついて涙を拭うさまは悲壮感を覚えずにはいられない。


 このご時世に僕達は連絡手段を失ったのである。お互いの連絡先を知らず、一ノ瀬さんは小海家の住所を知らないのだから手紙も出せない(田舎は家の数が少ないから番地を書かなくても届くのだけれど、一ノ瀬さんはそんな育ちの悪い事をしないだろう)。声を聞くことはおろか言葉でのやり取りも禁じられてしまったのだから一ノ瀬さんの寂しさは相当なものだった。


 窓の外を流れる景色は、今まで歩いてきた道と正反対の方に進んでいく。


(あのお店で宵歌ちゃんとお買い物した。この道はりつ君と歩いた。あそこに見える階段を登っていくとりつ君のお家があるんだ。その下には白石楼があって………ああ、あの道でりつ君と喧嘩したなぁ。妹と間違われてあたしが怒っちゃったんだ。それなのにりつ君は優しくて、本当のお兄ちゃんみたいだったなぁ)


 一ノ瀬さんは大切なものを失っていく心地だった。ここでの出来事全部が一ノ瀬さんにとっては宝物のようだった。小海宵歌と出会ったことも、僕の家で過ごした夜も、一緒に逃げ出したあの日の事も、どれも等身大の自分で精一杯過ごした時間だった。その思い出の場所から離れていく。かけがえのない物がぽろぽろとこぼれ落ちていくように一ノ瀬さんは感じていた。ありのままの自分で過ごした時間は財産になるだろうと僕は思う。


 自分の力だけで切り開いたのだという自信は、高校生が誇大妄想的に感じる全能感にあらず。現実に裏打ちされた自信がこれからの一ノ瀬さんの人生でプラスに働くことは間違いないように思う。


 一ノ瀬さんはここでの出来事を思い出していた。


(……りつ君。りつ君が隣にいないと意味ないよ。あたしが頑張れたのはりつ君がいたから。あなたがいないとあたしは何もできないよ……そばにいて欲しいよ。りつ君………)


 僕は、そんなことは無いと断言する。今は寂しさに負けているけれど時間が解決してくれるだろう。一ノ瀬さんは強いのだから、きっと乗り越えられると信じている。1年2年……何年かかるかは分からないけれど、一ノ瀬さんはきっと乗り越えて笑顔になれる日が来ると僕は信じている。


 声を届けられないのがもどかしいくらいだ。


 時間が経ち、寂しさに打ち勝つ日が来れば、ここでの生活が一ノ瀬さんの背中を押してくれるであろう。僕は一ノ瀬さんのその強さに惹かれたのだから自信を持って欲しい。


 しかし一ノ瀬さんは寂しさに縮こまって、膝の間に顔を埋めて嗚咽おえつを漏らした。


「……帰りたい。帰りたいよ、りつ君……あなたの手に触れたい。あなたの胸に抱かれて寝たいよ。どうしてすぐにいなくなってしまうの。嫌……嫌……あたしからもう何も奪わないで………」


 来た道を戻っていくような景色の流れに、一ノ瀬さんは郷里を離れる寂しさを覚えた。真実はまったく真逆で、一ノ瀬さんは両親の待つ家に帰っている最中なのに帰りたいと口にする。


 世界は自分を中心に回っていると妄想する乙女であった。


 可哀相に。一ノ瀬さんの頭の中は僕でいっぱいらしかった。


「誰があたしに優しくしてくれるの。この涙を受け止めてくれるのは誰……? パパもママも気づいてくれなかった。りつ君だけが気づいてくれた。りつ君だけが助けてくれた………あたしを助けてくれるのはりつ君しかいないのに………りつ君がいなくなったらあたし……生きていけないよ…………」


 弱った猫のような声が聞く者の心臓を締め付ける。耳をそばだてていないと聞き逃してしまうくらいか細い声で一ノ瀬さんは心情を吐露とろする。これを聞いて助けたいと思わない人は悪魔である。


「………………」


 しかし小海さんは真面目であった。大人としてなすべき事をなしているだけ。一ノ瀬さんを助けたいと思う一方で、しかるべき生活に帰るのが良いと分かっていた。


 静かな車内に響く一ノ瀬さんのすすり泣く声。


 小海さんは心臓が締め付けられるような思いに耐えて車を進めていた。

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