第40話


「りつ君! 大丈夫!?」


「りつ、ごめん! かくまってくれって言われたのに隠し通せなかった!」


 一ノ瀬さんと宵歌の2人が息を切らして部屋に入ってくる。なぜ一緒にいるのか分からなかったけれど手に持っている袋を持っているのを見て察した。


「いま帰ってこられると困るのだけど………」


「だよね。ごめぇん……一ノ瀬さんとお話してたら盛り上がっちゃって」


 ……気が合うなら何よりだ。


 一ノ瀬さんがパッと駆け寄ってきて「りつ君は悪くありません!」と僕をかばうように立つ。


 お得意の状況把握能力で僕達のピンチを察知したのだろう。「ぜんぶ、全部あたしが悪いんです!」と小海さんに訴えかけた。


「一ノ瀬さん……」


「だから……りつ君を連れて行かないで!」


「えっと……」小海さんが困っている。


「お願いします!」


 小さな背中を押し付けるように一歩下がる一ノ瀬さん。その必死な姿はどこか「行っちゃダメ」と僕に訴えかけているようでもあった。両手を広げて、初めて見せる険しい顔をしていた。


 しかし、それは悲しい抵抗であった。


 僕達に残された時間は少ないように思える。小海さんはもう学校に連絡しているだろう。伯父さん伯母さんにも知られていると思う。その証拠に一ノ瀬さんのスマホに着信が入った。「ママからだ………」と一ノ瀬さんが夢の終わりを告げる。


「………………」


「君たちが学校を後にして3日目か? そろそろ家族が恋しくなってきたんじゃないのかな」


 小海さんも嫌な事を言う。家族大好きな一ノ瀬さんにとても効く言葉。


 家族が待っている。それは強く心を揺さぶったことだろう。


「……パパ、ママ」


 僕は強く手を握ったけれど、それだけでは拭えないのが家族の絆。一ノ瀬さんのぷっくりしたまなじりから涙がこぼれ落ちる。


「一ノ瀬さん………」


 そりゃあ会いたいだろうと思う。ついこの間まで暖かい家庭で幸せな時間を過ごしていたのだから。


 僕がそれを奪ったと言われれば返す言葉が無い。ゆえに僕には一ノ瀬さんを止める権利が無かった。帰りたいと言われたらそれでおしまい。


 一ノ瀬さんに精神的負担を背負わせたうえで成り立っていた時間であることは疑いようのない事実なのだから。


 僕は一ノ瀬さんが帰りたいと言えば受け入れる。彼女の選択を尊重し最善の結果が得られるよう尽力するつもりである。エゴを散々押し付けてきたのだから彼女の想いを阻む事は許されない。だって僕は一ノ瀬さんを幸せにするためにここへ来たのだ。同意があるから許されていた悪行も、帰りたいと言われれば本当の誘拐犯に成り下がってしまう。


「一ノ瀬さん。君は……どうしたい?」僕はスマホを一瞥いちべつして言った。


 もし彼女がこの電話に出て「今すぐ帰りたい」と言うのならば、僕は……。


 一ノ瀬さんはスマホを見て迷っているようだった。


「会いたいよ」と涙に震える声を絞り出す。


 僕は「やっぱり」と思った。が、一ノ瀬さんの答えは違った。


 それは僕の想像だにしない答えだった。


「会いたいけど………じゃあ、誰がりつ君を守るんですか! 誰がりつ君のそばにいて、誰がりつ君を幸せにするんですか! 誰がりつ君を笑顔にできるんですか! あたしじゃなきゃ嫌なんです! あたしがりつ君を守ってあげたい……ぶっきらぼうなところも、独りよがりなところも、意地っ張りなところも、ぜんぶぜんぶまとめて好きなんです! もう頑張らなくていいんだよって……知って欲しい……もう独りじゃないんだって知って欲しい……」


「一ノ瀬さん……」 小海さんが顔をしかめた。


「りつ君はきっと心の中では寂しいって思ってる。それはりつ君が一番自覚してると思う。あたしみたいに誰かに頼るかもしれない。誰かに頼って、本音をぶつけて、助けて欲しいって言うかもしれない。あたしはりつ君に頼って、甘えてました。だからりつ君にも頼って欲しい。りつ君が苦しいとき、あたしが隣にいないって想像したら胸が苦しくなるんです。辛いんです! あたしが助けてあげられないのが嫌なんです! だから………!」


 一ノ瀬さんはなおも言葉を続けようとしたが小海さんがそれを制して「分かった。一ノ瀬さんの気持ちは充分に分かった……でもね」と伏し目がちに首を振る。


「………ダメ、ですか?」


「2人の力になりたい気持ちはやまやまなんだよ。私だって鬼じゃない。悩める男女の力になりたい気持ちはあるんだよ。でもね、四方山くんはダメなんだ」


「……へ?」……僕?


「宵歌に居場所を訊ねただろう? その前にね、父にも訊いたんだ。そしたらカンカンに怒って………」


 ―――――退学させるって言うんだ。


 小海さんが申し訳なさそうに言った。


 その言葉は僕達の胸に鉛のように深く沈みこんだ。

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