第39話


 僕があの日の事を思い出して感傷に浸っているとドアの方から音がした。


 一ノ瀬さんが帰ってきたのかと思って目を向ければ、そこにいたのは……


「四方山くん。やっぱりここにいた」


 小海星歌さんだった。その顔を見れば偶然ここに訪れたのではない事が分かる。すぐさま僕の手を掴むと「帰るよ」と言って引っ張った。


「ごめんなさい……まだ、ダメです」


「ダメとは何よ。一ノ瀬さんはどこ? みんな心配してるんだよ」


 小海さんはなおも引っ張るが僕は頑として動かなかった。いま帰ってしまうとここへ来た意味がなくなってしまう。一ノ瀬さんの事を想うとテコでも動くわけにはいかなかった。


「心配してるならなおさら待ってください。いま帰ると非情に良くないんです」


「……君の言っている事が理解できない」


「一ノ瀬さんを守ってくれと言ったのは小海さんです。僕には僕なりの考えがあるんです。いいから、僕を信じて待ってください。きっと一ノ瀬さんの力になりますから」


「散々色んな人に迷惑をかけておいて何を信じろと言うの? 四方山くん。君は自分がしている事の重大さを認識しているの?」


「しています。僕はきっと警察に捕まるでしょう。誘拐とかの罪できっと。でもそれでいい。人生を投げ打ってでも僕は一ノ瀬さんの力になると決めたんです。いえ、むしろそうしなければ…………」


 小海さんは顔をしかめて僕の言葉を待った。「そうしなければ……?」


「………とにかく。8月まで待っていただければすべて解決するんです」


「期待して損した。いいから帰るよ。来週は期末試験でしょ? こんな所にいたら強制的に帰ってくる事になるよ」


 伯父さんから出された条件。たしかにこのままでは試験で90点以上を取る事など不可能だ。「そういえばそんな条件がありましたね……」僕はうっかりしていた。


 逃避行の非日常感がそう思わせるのだろう。期末試験という現実的な言葉が僕が高校生であるという事を思い出させ、ただの非力な子供であると突きつける。


 僕も一ノ瀬さんもただの子供だ。どこへ行っても、どこまで逃げても、現実からは逃げられない子供……。


「………だったら、どこか別の場所へ逃げればいいんです」


「四方山くんさぁ………」


 僕は独りだ。親もいなければ友達もいない。一ノ瀬さんという守りたい人がいるくらいで、僕を守ってくれる人はどこにもいない。だから、自由だ。


 一ノ瀬さんのためなら僕は自分の人生なぞ捨ててしまえる。両親の代わりになるなんて思っていないけれど、彼女を救えなければ僕は自分を許せない。


「僕はもう、苦しむ人を見たくないだけです。一ノ瀬さんが僕を頼ってくれて嬉しかった。何度も見て見ぬふりをしても、しつこく付きまとってきて……正直うっとうしかったんですよ。あんなに可愛くて誰からも助けてもらえるような人が。どうして僕なんかに? 忘れられなくて困るんです……」


「……………」


「一ノ瀬さんの苦しみを知って放っておくなんて出来なかった。両親の償いになるなんて思っちゃいませんよ。ただ、僕みたいな人間でも誰かの力になれるってことが嬉しかった。頼ってくれたことが、嬉しかったんです。こんな僕は、子供でしょうか」


 小海さんは答えず俯いた。「…………」


「……いや、そんな想いだけで暴走していたのですから僕は子供なんでしょうね。それは認めます。でも、僕は帰らない。これは子供の意地です。僕は絶対に帰らない」


「四方山くんさぁ……」


「なんですか?」


 てっきり怒られると思った僕はつっけんどんに言った。


「あんた、すごいよ」


「……へ」


 ところが小海さんは僕を抱きしめたではないか。「あんたはすごい。誰かのためにここまでできる人なんていないよ」


「……………」


「たしかに子供だね。いろんな人に迷惑かけて、心配させて、それで理由が一ノ瀬さんのため? 周りが見えなくて独りよがりで、自分の事も見捨ててまでさ………信じらんない。私も宵歌もいるのに、なんでそういう事を言うかな」


 とても優しい声音だった。諭すようでもあり、怒っているようでもある。実姉のような優しさと厳しさを備えた声だった。僕は今になって恥ずかしくなった。


「あんたの義理の姉として力になってあげたいよ。一ノ瀬さんに何があったのか。あんたがどうして8月までこだわるのか全部教えて欲しいと思う。力になってあげたいのはやまやまなんだけどさ……」


「小海さん………?」


 抱きしめる腕がとつぜんほどけた。驚いて見上げると厳しい顔をしていた。「でも、ダメ。あんたがやった事は大人が対処すべき事。一ノ瀬さんにだって親はいる。心配なのはあんただけじゃないんだよ」


「……でも、力になれるのは僕だけです」


「強情なやつ……」


 僕達はしばらく睨み合った。……と、そこへ、


「りつ君! 大丈夫!?」


「りつ、ごめん! かくまってくれって言われたのに隠し通せなかった!」


「……なんで、2人が?」


 僕は驚いてドアの方を見た。


 そこには、最悪のタイミングで一ノ瀬さんと宵歌が帰ってきて、息を切らしていた。

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