第38話


「立。何か欲しいものはあるか?」


 父にそう訊かれて僕は困った。


「何でもいいんだよ。電子ドラムが欲しいとか、ゲーム機が欲しいとか。何かないのか?」


「そう言われたってなぁ……」


「お前は物を欲しがらないから、誕生日だってほら、古い小説を1冊買ったきりじゃないか」


「だってそれくらいしかないんだもの」


「そんなことを言わずに」


 僕は大変困った。父はよくプレゼントを贈りたがる人で、誕生日や進学やクリスマスなど、何かにつけて「欲しい物はないか?」と訊いてくるのだ。しかし欲しいものがないから毎回断っている。


 父親らしいことをしたいというのが本音らしいけれど、事あるごとに同じことを訊かれるのもなかなか辛い。


「何かないのか? せっかく全国大会に進んだというのにご褒美も無しっていうのは……」


 僕は小説から目をあげて母に助けを求めた。


「そんなら父さんが適当に見繕ってよ。何も僕が欲しいものじゃなくたっていいのに。ねえ母さん」


「そうよ、あなた。立さんに秘密にしようって言ってたのに訊いたら意味がないでしょう?」


「だって何が好きなのかわからないんだから仕方がないだろう」


 父はそう言ってふてくされた。


 あの頃は幸せだった。失って初めて気づく事があるなどとおこがましい事は言わない。僕は自分が幸せであることに気づいていた。というかこれに気づかない人はよほどのうのうとした暮らしをしてきたのだろうと思われる。


 優しい両親がいて、温かい家があって、平凡ながら不自由ない暮らし。少しのいさかいも笑って許せるような人たちに恵まれた僕が幸せではないわけがないだろう。


 僕は自分の幸せを認識していた。歳の頃ゆえ鬱陶しく感じていたが心の底では両親に感謝していたし、いつまでもこの日々が続いてほしいと思っていた。いつか恩返しをしたいと思って勉強に部活に励んでさえいたのだ。


「なあ、何かないのかい? たとえばほら、パーカッション……だっけか? それの練習になりそうなやつとか」


「パーカッションは打楽器のことなんだけどね……そうだなぁ。だったら―――」


「……そんなんでいいのか?」


 父は呆気にとられた顔で僕を見た。


「パーカスはこれさえあればどこでも練習できるから」


「……そうか立がそう言うなら……」


 僕は2人に感謝していた。


 それなのに、僕は2人の死に目に立ち会うことができなかった。


     ☆☆☆


 さて、悪しき記憶に決着をつけると決意した僕は私室のドアを開けた。そこには両親が全国大会出場を祝って買ってくれたプレゼントがある。


 2人は僕達の最優秀賞を信じて疑わなかった。親バカだなぁと当時は思っていたけれど、それをプレッシャーとは感じなかった。むしろ2人のために頑張ろうと思っていた。


 そんな両親が用意したプレゼント。


 それは最高の宝物になるはずだった。


「……………」


 僕は勉強机の上に置いてある箱を手に取った。綺麗にラッピングされた箱。女の子の片手に収まるほどの大きさで、それほど重たくはない。振ってみると質量のこもっている質感が感じられる。


 その中身は電子メトロノームだった。


 箱の隣には手紙が添えられていて、こう記されている。


『立。全国大会最優秀賞おめでとう! お前がいつも頑張っていた事は父さんも母さんも知っているよ。夜遅くまで学校で練習していたな。その頑張りが今日の結果を引き寄せたんだ。私たちはお前を誇りに思うよ。………もしかしたら最優秀賞じゃないかもしれないけれど、ま、そのときは気にするな。どんな結果であれ、これまでの努力は無駄にはならない。いつもぼんやりしてるお前がこれほど熱中するものは初めてだもんな。父さんは熱くなれるものに出会ってくれて嬉しいよ。今日の結果がどうであれこれからの人生を変える大きなきっかけになるだろう。お前は最高の息子だ。自信を持て、立!』


 ……大きなお世話だと思う。


 全国2位の結果に終わったことは残念だったが、初出場であることを考えたら僕達は頑張った方だと思う。


 本当に頑張った。良い結果になると信じて、部活に打ちこんだ。その結果があんなことになるとは夢にも思っていなかった。


「……先生がもう少し早く教えてくれていれば。いや、結果発表を律儀に待っていたせいか。悔やんでも仕方がない事は分かってるけど」


 ………けど、どうしても考えてしまう。僕がもっと早く病院に行くことができていれば、生きている両親に会う事が出来たんじゃないかと、考えてしまう。


 誰かを恨んだって仕方のない事なのだけれど。


「……こんな手紙を残さなくたってさ。口で伝えてくれよ。僕、最優秀賞じゃなかったんだよ。2人が苦しいときに一緒にいられなかった、最悪の息子なんだよ……」


 僕は涙を抑えられなかった。手紙を読むとどうしても在りし日の両親を思い出してしまって、その声を、その話し方を、懐かしく思ってしまう。


 コンクール会場を後にした僕を待っていたのは青ざめた顔の先生から告げられた「ご両親が……」という声にならない声と、顔を白い布で隠された両親のもう動かない姿だった。

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