第35話
それは息苦しくなるような夏の事だった。
僕達は日山中学校の看板を背負って全国吹奏楽コンクール全国大会の会場に赴き、青春をかけた大一番に挑んでいた。
僕は練習してきた成果と想いを全て出し切り結果を待った。
悔いはなかった。どんな結果でも僕達には最高の栄誉だった。
しかし僕に待っていたのは………
☆☆☆
さて、女の子たちが買い物に行っているとは知らない僕は一人で家の片づけを続けていた。本当なら小海家に移ったときに済ませておかなければならなかった遺品の整理を今しているのである。
不要なものをゴミ袋に放り込み、使えそうなものは綺麗にして居間に並べる。それは記憶を掘り起こす作業に似ていた。
どれもこれもが両親を思い出させるいわくつきの品である。
このとき僕の心は消耗していたと言っていい。
見たくない記憶と敢えて対峙する。
そんな弱り切った僕の姿を一ノ瀬さんに見せるわけにはいかなかった。
僕はここで一ノ瀬さんの傷を癒すと決めたのだから、僕が弱っているところなぞは見せたらいけない。
さっき高校生は心の奥底を見せる事が出来ないと書いたが、それは僕も同様であった。
僕は一ノ瀬さんの力となるべく、過去とは対峙しないと決めていたのだ。
それに加えてさっきの趣味の話。
僕は別に誰彼構わず力になろうとは思っていない。少なからず好意を抱いているから助けたいと思うのであって、まったく興味が無い人の力になる気はない。最初に一ノ瀬さんを助けたのは本当に気まぐれであるが今は違う。
一ノ瀬さんに好意を抱いているからこそ優しさに専念しようと思っている。下心や感情を出すのではなく一ノ瀬さんの心を掬い取る事に専念しようと決めていた。大切にしたい人だから無欲で力になりたいと思うのは当然だと思う。それゆえの優しい言葉、優しい行為なのであったが、それを一ノ瀬さんが苦にしているとは夢にも思っていない。
これは書き手の僕として記述するのであって、物語に登場する僕とは違うと認識していただきたい。
僕は、僕の優しさを不安に思う一ノ瀬さんと、その一ノ瀬さんに優しくしたい僕のすれ違いを記述するが、ここに描かれる僕はそれを知らないという事を特に強調しておきたいのである。
僕は思い出の品を袋に詰めながら呟いた。
「……いっそ今のうちに処分しておくか? 一ノ瀬さんのいないうちに捨ててしまえば醜態を見られる事もない。そうだ、それがいい」
怖い怖いと思っているから怖いのだ。私室に用意されたプレゼント。それと共に用意された手紙が心の枷になっていた。
僕は重い腰をあげて辺りを見回した。
居間はすっかり綺麗になった。帰ってきたとき居間はあの日のまんま残っていた。父がいつも読んでいた新聞紙がテーブルに置かれたまま。洗い終わった食器が水切りラックに残ったまま。出かける前に片づけた部屋がそのまま残っていた。
「立。緊張していないか?」と父の声が聞こえるようで。
「立さんなら大丈夫よ。自信を持って」という母の声に耳を傾けてしまいそうで。
正午を間近にした陽光が射す部屋の中で、2人の面影を探してしまいそうになる。
あの日の日付で止まったままの新聞紙は捨てた。カレンダーも、雑誌も捨てた。僕が好きだったお菓子の賞味期限が残っていたのが嫌だったけれどこれも捨てた。
「………父さん、母さん、ありがとう。そして、ごめんなさい。2人の気持ちを立ち止まる理由にしたくないから、僕はアレを捨てる事にするよ」
スーパーまではそこそこの距離があるから一ノ瀬さんはまだ帰ってこないだろう。僕にとっては非情に都合が良い。
大きく息を吸って、吐く。
心の準備を整える時間は充分ある。
僕は二度三度深呼吸をすると階段を登り始めた。
ここに一ノ瀬さんがいたらどんな顔をするだろう。
きっと怒るだろう。どうしてあたしを蚊帳の外に捨て置くのと機嫌を損ねるだろう。彼女もまた僕の力になりたいと考えているのだから、一人でケリをつける事はむしろ逆効果である。
あにはからんや。僕は一ノ瀬さんを助けたいと思うからこそ一人でケリをつける勇気を奮い起こしたのである。
「……よし。行くか」
僕はドアノブに手をかけた。
そのとき玄関の方から音がしたことに僕は気が付かなかった。
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