第34話


 僕は一ノ瀬さんの助けになっていると信じていたのだが、やはり力不足だったらしい。心を許してくれていると思っていたけれど、その奥底でくすぶる思いまでは見せてくれていないように思う。


 恋人に求める条件は成長するたびに移り変わるもので、容姿や運動能力を重視するのは幼少期から思春期まで。大人になると社会的経済力や包容力、ときにはそれらを度外視した都合の良い口説き文句を求めるものだと思う。


 その全てを持ち合わせていない僕にとっては甚だ不愉快な話であるが、敢えて一人を選ぶダンディズムは初めから門外漢なのである。憧れを求める幼少期。恋に焦がれる思春期。精神的安寧を求める社会人。そのすべてにいて求められるのはいつも隣にいてくれる人なのである。


 そう考えると精神的安寧を僕に求める一ノ瀬さんは早熟であるように思われるが、やはり自分のすべてをさらけだせるほど大人ではない。


 心の奥の底で抱える想い。その苦しみは自分だけのもの。この痛みを理解してくれる人は他にはいない。好きな人に知られたら嫌われる。迷惑をかける。知られたくない。頼ってはいけない。自分だけで解決しなければいけない。


 このように思い込んでしまうのが僕ら高校生という生物なのである。なんて面倒くさいのだろう。


 一ノ瀬さんもその例に漏れず、知り合ったばかりの宵歌に本音を打ち明けるのは、以降関わらないと知っているからこそだった。


「だいたいさ、初めから分かってたんだよ。りつ君があたしの欲しい言葉ばっかりくれるのはおかしいって。あれは好意をもってるってよりかは優しさに徹してる感じだった。あたしの事が好きなんじゃなくて、あたしを助けようとしてる感じだった。なんだよ。なんだよもう!」


「あ、あの……一ノ瀬さん?」


「だってさ、普通に考えてみてよ? あたしって自分の気持ちを優先してばっかりでりつ君の事を何も考えてなかったんだよ。りつ君の課題を盗んだりわざとボールをぶつけたり、挙句の果てに好きって言わせるような事までして……こんなの面倒くさい女そのものじゃない……」


「………………」


「あんなに幸せな時間……嘘じゃないとおかしいもん………」


「えっと……」


 宵歌は何と言って慰めたら良いのか分からなかったが、僕に関する愚痴なら彼女も持っていた。「りつはさ、不幸フェチなんだよね」


 一ノ瀬さんは何を言いだすのだと首をかしげた。


「不幸フェチ?」


「悩んでる人とか苦しんでる人を助けるのが好きなんだよ、あいつ。好きでもないのに優しい言葉を投げかけたり自分の事を他所に助けようとしたり、とにかく傍目はためから見たら好意を持ってるとしか思えないような事を趣味でやるの。しかも本当に下心が無いからすっごい迷惑なの。そのせいで宵歌がどれだけ苦しめられた事か……」


 自分は被害者なのだと言わんばかりに宵歌が悲しむ。


 彼女の言っている事は半分正しくて、僕は確かに困っている人を見ると放っておけない人である。しかしそれは指摘するとおり善意でも好意でも無くて、単に困っている人を見るのが好きなだけ。問題が解決したらとたんに興味が無くなり次の標的を探し始めるのが僕という人間だ。


 半分正しいというのは、その趣味は中学までであり高校に入ってからの僕は違うということである。


 高校に入ってからは自分の事で精一杯で他人の事など気にする余裕もなかった。したがって一ノ瀬さんを助けたのは気まぐれに他ならない。


 ただの気の迷いである。それなのに一ノ瀬さんは宵歌の口車に乗せられて「やっぱり楽しんでたんだ……」と怒りを募らせる。


「一ノ瀬さん。宵歌は味方だよ。一緒にりつをぎゃふんと言わせよう」


「宵歌さんも被害者なんだね」


 女の子たちは固く握手を交わした。


 ここで言っておかねばならないのは、一ノ瀬さんの心が晴れやかだったという事である。僕の一蓮の行動が善意や好意ではなく趣味だと知ってむしろ救われたと言うべきか。


 心を掬い取るような僕の言動が好意からではないと知って、一ノ瀬さんは安心したらしい。


 一ノ瀬さんは心の奥底を見せられるほど大人ではない。


 隠したい。知られたくない本心。弱みとなる心の奥底。それを知られていないと分かって安心したのだろう。


 隠したいと思っている事が僕への猜疑心さいぎしんなのだから、なおさら安心したのだと思う。


 これは非情に面妖な事実なのだけど、一ノ瀬さんは僕の好意に別の理由を見つけたがっていたのである。ここで断言しておきたいのだが、ここ数日の僕の言動は好意ならびに趣味的優しさの両方を兼ね備えている。それは紛れもない事実だ。しかし一ノ瀬さんにしてみれば、僕が不自然に優しすぎると言いたいらしいのである。


 だから宵歌の話を信じ、僕に好意が無かったと解釈する事で自分を納得させているのだ。


 一ノ瀬さんは自分の気持ちを確かめるように言った。


「あたしはりつ君の事が好き。でも、りつ君は映画みたいな事ばっかりして、本音で話してくれてないように思うの」


「分かるよ。りつの言葉はフィルターを通したみたいに綺麗だもんね」


「りつ君の感情はどこにあるんだろう? 心をかきむしられるような苦しみはないの?」


「一つだけあるよ。りつの抱えてる苦しみ」


「えっ?」


 それは僕の両親に関する話である。


 一ノ瀬さんは一抹の罪悪感を覚えながらも、興味のままに宵歌の話に耳を傾けた。


 それを知って、今度は僕に同じことをしてようやく仲良くなれるような気がしたらしい。これも子供らしい一面なのだが、一ノ瀬さんは僕の優しさを貸しだと思っているようなのだ。


 恋人の間に貸し借りは無し。互いの苦しみを分かち合ってこその恋人だ。そう思っているらしい。


 だからこそ一ノ瀬さんは僕の好意を疑うのだろう。


 だからこそ、僕の過去を知りたがったのだろう。


 彼女は宵歌の話に耳を傾けた。


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