第32話
次の日。僕と一ノ瀬さんは家の掃除をしていた。何はなくとも家は綺麗でなければならない。部屋の乱れは心の乱れ。部屋が乱れていれば自然と心も乱れてくるものだ。それに、こういう時だからこそ日常的な行動が大切なのだと言いたい。
追われるとか、逃げてばかりじゃだめだなんて、そんな追い詰められるような事ばかり考えていたら自然と気が滅入ってくるもの。体を動かせば気持ちを切り替える事ができ、しかも家が綺麗になる。一石二鳥だ。
「昨日も思ったけど、この家広くない?」
一ノ瀬さんが汗を拭いながら呟く。掃除と言っても荒れ果てた廃墟ではないのだから拭き掃除で埃を取る程度。それだけでも、普段から掃除をしていない僕達にとっては重労働だった。
「まあ昔の家だからね。無理せずできる所だけをやろう」
「あたしとしては全部きれいにしたいところだけど……」
「無理無理無理無理。何年も掃除してない部屋が山ほどあるのに2人だけで掃除しきるなんて無理だよ」
昔の家の悪い所は部屋の数が無駄に多い所だと思う。和風ホラーゲームによく出てくるめちゃんこ広い屋敷を想像していただきたいのだけれど、竹の間や梅の間みたいな部屋が我が家にもいくつもあるのだ。大晦日ですら掃除しきれぬ部屋数。そのあまりの広さに一ノ瀬さんはげんなりした様子で「たしかに。これは生活スペースだけで良さそうね……」と呟いた。
「というわけで今日はここまでにしとこう」
「うそ!? 終わり!?」
「終わり終わり。もう充分綺麗になったよ」
これをすべて掃除するのは大変だから使うところだけにとどめておく。一ノ瀬さんは納得がいかないのかぷつぷつ呟き続けるが無視。僕は財布を取りに客間に向かった。
「りつ君の思い出が詰まった場所だから隅々まで綺麗にしてあげたいのになんて不甲斐ないの……」
「馬鹿なこと言ってないでスーパーに行く用意して。買い物に行かなければ僕らは飢え死にだ」
「馬鹿なこととは何よ。彼氏の実家を綺麗にしたいと思うのは当然でしょ?」
「……………」まだ彼氏ではないのだけどなぁ。
「買い物に行くならりつ君がいけばいい。あたしは掃除の続きをするわ」
「それは出来ない相談だね」
「なんで?」
掃除をしないと気が済まないらしい一ノ瀬さんに財布を渡す。「僕は買い物に行けないからだよ」
「地元の友達にバレるかもってことなら心配いらなくない? 今日は学校があるはずだし、宵歌さんのご両親だってお仕事があるでしょう」
その言い分は分かる。しかし、
「一ノ瀬さん。田舎を舐めない方がいい」僕は一ノ瀬さんの肩を掴んで言った。
「はい?」一ノ瀬さんは驚いた。
「田舎の情報の速さはネットよりも速いぞ」
ママさんネットワークという言葉を聞いたことがあるだろうか。子供の情報があれこれと筒抜けになる迷惑千万なネットワークに困らされた子供はたくさんいることと思う。が、田舎の場合はその規模がママさんにとどまらない。ご近所ネットワークなる飯芽町全体を包括する超迷惑ネットワークがあるのだ。
大人も子供もお姉さんも、顔は知らないけど家庭事情は知っているという人で溢れているのが田舎なのだ。
「友達だけじゃない。会ったこともない大人にも僕の名前と顔は知られているのだ。スーパーなんぞに行こうものならすぐに店員にバレて通報されるぞ」
「通報っておおげさな………」一ノ瀬さんはドン引きしているようだけれど、それは危機管理能力に欠けていると言わざるを得ない。
ご近所ネットワークの恐ろしさは、実際に声をかけられないと分からないだろう。
「とにかく頼んだよ」
「ええ……?」
スーパーの場所を伝え、僕は一ノ瀬さんを送り出した。
一ノ瀬さんは渋々出かけて行った。
僕の部屋から遠ざける事には成功した。掃除を止めた本当の理由は私室に踏み入って欲しくないからだけど、それを悟られるのも避けたい。あの部屋には嫌なものがある。
あれの存在が一ノ瀬さんにバレるのも嫌だ。
「……いつかは対峙しないといけないのだけどなぁ」
全国大会の日以来あの部屋には足を踏み入れていない。ドアさえ開けていない。
だからあれはあのまま部屋にあるだろう。
それはまるで、腐った果実のようなどす黒い臭気を家中にまき散らしているように思われた。
僕は2階を見上げてため息をついた。
ちょうどその頃。家の外で一ノ瀬さんと宵歌が出会っていた。
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