第24話
僕達がそろって顔をあげると、そこには一人の女の子がいた。
宵歌は僕達の姿を目に止めると「本当にいた……」と口元に手を添えた。
黒い家の中で紺色の着物を着ていると幽霊のように見えるが、あの胸を見間違えるはずがない。
「宵歌……旅館は?」僕が訊ねると、宵歌はトトトッと階段を降りながら、
「途中で抜けてきた」と答えた。
「そう………それで、誰にも言ってないよな」
「……えっと、うん。宵歌一人だよ」
宵歌は万事承知しているというふうに頷いて駆け寄ってくる。一ノ瀬さんは微妙な顔をしたけれど、「彼女の実家は旅館を営んでるから、お風呂を貸してくれるよ」と囁くと「協力してもらいましょう」とおすまし顔。
「えっと、一ノ瀬さん……だっけ? これから浴槽の掃除だから、いまなら入れるよ」
「本当!? じゃあ今すぐ行きましょう!」
「裏口から案内するね」
一ノ瀬さんが客間に飛んでいく。山の水を浴びずにすんで喜んでいるように見える。
「宵歌。悪いな。こんな事を頼んで」
「いいよ。りつに頼られるなんて久しぶりだもの。でもお風呂だけでいいの? ご飯も一緒に食べない? ていうかうちに泊まればいいじゃん。わざわざ不便な所に隠れる必要ないんじゃない?」
「いや、
「そっか。お父さんたち、夏休みには帰省するかなぁって言ってたけど……」
「………………」
「『帰省』する気はなさそうだね」
「……うん。今年は帰らないかな」
話は少し
☆☆☆
客間の布団を整えて風呂場に向かおうとしたとき、カバンの近くに置いておいたスマホが誰かからの着信を告げる。近くにいた一ノ瀬さんが覗き込んでギョッとした。
「うそ……小海先生から……」
「……まじ?」
「マジ」
いつまでも隠し通せるとは思っていなかったがこんなに早くバレるとも思っていなかった。僕達は自然と顔を見合わせて「僕が出る。家出したことは伏せよう」と頷き合う。
「りつ君が体調を崩してあたしが看病してるってことにしよっか?」
「いや、おそらく篠山先生から伝わっていると思う。僕がすべてやるから、任せて」
「分かった」
一ノ瀬さんからスマホを受け取り電話に出る。僕は小海さんにはすべて話そうと思っていた。小さい頃から一緒に育った人を騙しとおせる自信が無かったし、あの人はどうせ夏休みに帰省してくるのだからここにいる事はいずれバレると思った。だから一言目に謝って誠意を伝えたうえで会話のイニシアチブを取ろうとした。
ところが、通話口からした声は小海さんではなく宵歌だった。「あ、りつ!」と彼女が言うのも聞かずに僕は、
「この事は内緒にしておいてください!」と言ってしまった。
僕は愚かにも宵歌に自白してしまったのだ。電話の相手が小海さんであると思い込んでいた僕は自分から隠し事があると口を割ってしまったのだ。そうだ。そういえば小海さんの名前は『小海星歌』で登録していたけれど宵歌の事は『小海』で登録していたのだ。宵歌のことを知らない一ノ瀬さんが勘違いするのは当然だろう。
「ほえ? 何の話?」
「あ、あれ? 宵歌?」
「そっちじゃもう夏休みのか訊こうと思ってたんだけど……内緒って、なんのこと?」
僕のバカバカしい勘違いによってこんな事になってしまったのだけど、結果的にはこれで良かったと思う。
なんで気が付かなかったのか自分でもわからないのだけど、一ノ瀬さんを知っている人はここにいないのだからうちの風呂に入る必要がない。ここは僕の地元なのだから、一ノ瀬さんのことを隠す必要なんてないじゃないか。だって誰も彼女のことを知らないんだもの。
なんでこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう。僕のばか。あんぽんたん。
「おっふろ~おっふろ~。まっともっなおっふろ~」
「……一ノ瀬さんはなんでこんなに喜んでいるの?」
「あの人は稀代の潔癖症だから」
「……なんだか違うように見えるけど」
僕達は家を出て旅館の裏口に向かって歩いていた。
山の外周に沿うように設置された階段を降りるとすぐに旅館の脇に着く。僕の実家は山の中にあって大変不便だが、階段から見える町のパノラマはいつ見ても壮観である。階段はコンクリートが無かった時代に作られたものらしく、砂利を木で固めた作りになっていた。
砂利のザッザッと鳴る音に耳を傾けながら階段を降りていると、ふいに宵歌がパノラマの一角を指さして、「あ、あれがうちの旅館だよ!」と誇らしげに言った。
宵歌の両親は
一ノ瀬さんが素尚に感心した。
「へぇ……ずいぶんと立派ね」
「でしょう? 昔から続く由緒正しい旅館なんだよ。文豪の何とかって人が泊まりに来たこともあるくらいで、かなり有名みたい」
「そんなところに……いいのかしら」
「だいじょぶだいじょぶ。宵歌が誰も入れさせないからね。2人一緒に入れば時間もそんなにかからないし、バレる事はないでしょ」
「ちょっと待て。僕は入らないぞ」
「そうよ! 一緒にだなんて、そんなの恥ずかしすぎるよ!」
「なんで? お風呂使えないんじゃないの?」
僕達は同時につかみかかった。
一時の性欲と僕の命のどちらが大切かなんて比べるまでもない。しかし宵歌はきょとんと首をかしげて「そんなに恥ずかしい?」と言い放つ。
「僕はシャワーだけで充分だ」
そもそも着替えを持ってきていない。
「りつの水着はあるよ。一ノ瀬さんにも宵歌の水着貸してあげるからさぁ。大丈夫だって。宵歌もよくりつと入ってたよ? 掃除のついでに」
「はっ? なにそれ。りつ君?」
一ノ瀬さんが裏切者を見る目で僕を睨む。女嫌いじゃなかったのかと言いたげな目だが、勘違いしないでほしい。宵歌が勝手に男湯に突入してきたのだから不可抗力だ。
昔ここでお手伝いしていたときの話である。どうせ濡れるからとはなから水着で、掃除の終わりには2人で浴槽を泳いで遊んだりもした。それだから宵歌にとっては水着を着て風呂に入るのは慣れっこなのだ。(ちなみに、ちゃんと怒られた)
「……ってやば! 早く行かないと怒られちゃう!」
宵歌が慌てた様子で走り出した。どうやら無断で抜け出したらしい。「ほら、早く来てーーーーー!」
「あ、待ってよ!」
一ノ瀬さんもそれに続いて階段を駆け下りた。去り際に僕の方を見て「……あたしだって、負けないもん」と呟いた。
「一緒に入れって、ことですかね……」
帰ろうかな。と思ったことは内緒だ。
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