第23話


 僕たちはライトで照らしながら居間を横切って客間に向かった。客間には急な来客に備えた布団がある。いつ誰が泊まることになっても困らないようにと湿気防止のカバーを着けていつも綺麗にしていた。


「うん。これなら使えるだろう」


 明かりを頼りに押し入れから布団を取り出す。真空のカバーに包まれた布団は新品同様にふわふわだった。


 僕達は協力してカバーから布団を取り出すと横並びに2つ敷いて荷物をそばに置いた。


「じゃあ、僕はお風呂が使えるかを確認してくるから」


「……使えないんじゃなかったの?」カバンを漁りながら一ノ瀬さんが訊いた。


「大丈夫。シャワーだけなら使えると思うから」


「どういうこと?」


「シャワーだけは山の水を引いてるから、水道が使えなくても大丈夫なはずなんだよ」


 これは田舎あるあるだと思うのだけど、田舎の家は水道を引いているところが少ないのである。古い家をそのまま使っている所が多いというのもあるが、山や川の水が綺麗だから浄水器でろ過する必要が無いというのが一番の理由である。一ノ瀬さんは怪訝けげんな顔をするけれど、田舎の水は綺麗なのだ。


「山……それ、大丈夫な水?」


「失礼な。水道水よりもきれいだぞ」


「ほんとぉ……?」


 僕は「大丈夫だって」と言い残して客間を出た。


 明かりを頼りにお風呂場を目指す。


 さすがに住み慣れた我が家であるから、すぐにたどり着くことはできた。


 シャワーは使えなかった。


 水道管が錆びてしまっているらしく、鉄臭い水がバシャバシャと辺りに飛び散る。


「だろうと思った……とはいえ、しばらく流しておけば錆びはとれるだろう」


 シャワーを流しっぱなしにしておいて客間に戻る。一ノ瀬さんには酷な事だけど、お風呂はもう少し控えてもらおう。錆びが取れるまでの辛抱だ。


 廃墟のようになっても我が家は我が家。これがただの廃墟であれば絶望していたかもしれないけれど、生まれ育った実の生家であるから精神的にも楽だった。これくらい何とかなると思えるのだから、実家を選んだのは正解だろう。実家の安心感すごい。


「風呂はまぁ良いとして後は食事をどうにかしないとな。買い食いしてるだけじゃすぐにお金が底をつく。できれば自分たちで作りたいところだけど……」


 これからの事を考えながら居間に戻ろうとしたその時、ふいに2階の方から物音がした。「え、お化け!?」


 1年半も住んでいなかったら何かが棲みついていてもおかしくはないだろう。動物、浮浪人、この世のものではないもの…………


 僕が明かりを向けて身構えると、居間の方から一ノ瀬さんが飛び出してくる。「りつ君だれか来た!」


「誰かって!?」僕はその声にビックリして大きな声が出た。


「分かんない。りつ君が出てすぐに玄関の方から音がして、あたし、ずっとここに隠れてたの」


「それは怖かったね」


「べ、別に怖くはなかったけど……」


 そう言う一ノ瀬さんの体は震えていた。こんな状況で怖くないわけがない。「大丈夫。僕がついてるから」と手を握るとやっぱり怖かったのか「先輩だったらどうしよう……」ととたんに声が小さくなった。


 とおる先輩に見つかる事を恐れているらしい。ここへ来る前も怯えていたし、彼の所業はそれほどにトラウマとなっているのだろう。許すまじとおる先輩。


「大丈夫。あの人はここを知らない。来られるわけが無いんだ」


「それは分かってるけど……」


 心の傷は簡単には癒えないらしい。逃げるだけじゃダメだ。いつか、一ノ瀬さんのトラウマが癒えると良いのだけど……。僕はやっぱり無力だ。


「でも、たとえとおる先輩が来ていたとしても守るよ。一ノ瀬さん」


「りつ君……」


 今の僕にはこれしかできない。一ノ瀬さんを安心させてあげる事しか……。


 と、階段を降りる音がした。トン、トン、トン、と等間隔の足音が徐々に近づいてくる。僕達は自然と抱き合って覚悟を決めた。


「そこにいるのは誰だ!」


 僕は一ノ瀬さんを固く抱きしめて上階に明かりを向ける。一ノ瀬さんはごくりと唾を呑んだ。


「きゃっ、眩しい!」


「あれ、その声……」


「ちょっと、誰!? ここはりつの家だよ! 勝手に入らないで!」


 声の主は階段を怒ったように降りてくる。これが幽霊だろうと動物だろうと浮浪者だろうと一ノ瀬さんを守り抜く。その覚悟は変わらないけれど、ことによると一番厄介な人に見つかったかもしれない。


「いや、僕の家なんだから、勝手に入ってもいいだろ……」


「……え、マジで帰ってきてたの?」


「なんでここにいるんだ、宵歌……」


 降りてきたのは着物を着た女の子だった。僕はまったく詳しくないけれどこんがすりという紺色の着物を窮屈そうに着て、階段を転ばないようにゆっくり降りてくる。


 その人こそ僕の幼馴染兼従妹の小海宵歌。入佐高校にいる小海星歌さんと繋がっている、内通者足り得る人物であった。

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