第21話


 僕の家はS県の田舎にある。山で囲まれた盆地ぼんちに人が集まってできた小さな町だ。かつては農業で栄えたらしく、僕の家はたくさんの水田を持っていた。それで結構な富を築いたのだという。僕の祖父は米を作るかたわらメロンなどを作って農林水産省に表彰されたりもした。だから家はそこそこ大きい。一ノ瀬さんは山の中にひっそりそびえる我が家を見て「うそぉ……」と呟いた。


「で、でっかくない? 豪邸……? え、富豪なの?」とても信じられないと言いたげな口ぶりだ。まあ、たしかに貧乏くさい僕とは正反対の家であるから驚かれるのも当然だろう。「バイトなんてする必要なかったんじゃ……」


「昔はお金持ちだったらしいけどね。見てよこの有り様を。住む人がいなくなってボロボロになった僕の家はこの町の衰退を表しているとは思わない?」


「へーこんなに大きいならぜんぜん住めるよ!」一ノ瀬さんは草だらけの庭を歩き回った。


 夜行バスを降りてからも旅路は続いた。田舎の悪いところは公共交通機関が未発達なところだと思う。バスは1日数本しかなくて電車も鈍行。もしくは1両編成。朝早くにS県に着いたは良いもののそこからの移動手段がバスのみで、1番早い便が11時発だった。


 飯芽いいが町に着いたのはそれから2時間後。お昼ご飯を食べて、「よく眠れなかった」「シートが硬くてお尻が痛い」と駄々をこねる一ノ瀬さんを介抱しながらのどかな町道を歩く。民家が集まった居住区から離れて山の方へと進む過酷な道のり。


「歩きたくない……歩きたくないよぅ……」


「もう少しだから頑張って。このままだと日が暮れてしまうよ」


「む~~~~り~~~~~! りつくんおぶって~~~~~~!」


 一ノ瀬さんに限界が訪れた。道路端にペタンと座り込み天を見上げてイヤイヤというように首を振る。背丈のせいで本当の子供みたいに見える。


「一ノ瀬さん……困ったな………」僕はすでに一ノ瀬さんの荷物も持っている。おぶれと言われたって無理だ。「僕はもう手がいっぱいなんだよ。ワガママを言わずに歩いて」


「無理だってばぁ………」


「ちょっとちょっと、お兄さん」


「はい?」


 見知らぬおばさんに話しかけられた。


「妹さんが泣いてるでしょ。怒ったらいけませんよ」


「はぁ………」


 妹? 一ノ瀬さんが妹だって? 


 僕達は顔を見合わせた。


「こんな小さな女の子に無理させたらいけませんよ」


「はぁ、あの、僕達は……」


「あの私たち……兄妹なんかじゃ……」


「いいですね?」


「あ、はい……」


 有無を言わさぬ眼力で念を押すと、おばさんはどこかへ行ってしまった。あれが田舎名物お節介おばさんである。


 残された僕達は気が抜けたように立ち尽くした。


 やがて一ノ瀬さんがすくっと立ち上がって「早く行こう」と歩き出した。


 僕はそのあとを追って「歩けるの?」と訊く。


「もう大丈夫」


「疲れたんじゃないの?」


「歩けるから。大丈夫だから!」


 一ノ瀬さんは恥ずかしそうにしていた。「あたし小さくないし。りつ君よりお姉さんだし!」と、ズンズン歩く。


「たしかに。年齢で言えば僕が弟か」


 一ノ瀬さんは5月生まれで僕が9月生まれだったはず。


 僕が納得していると、一ノ瀬さんに置いていかれていた。


「ちょっとちょっと、そんなに歩いて大丈夫?」


「大丈夫だっての! うるさいなぁもう!」


「怒らないでよ。僕は一ノ瀬さんの事をとても頼りにしているから。小さいなんて思ってないよ」


「小さいって言うな!」


 コンプレックスなのだろう。小さい女の子と言われた事に怒っているらしい。そういえばクラスでもよく怒っている姿を見かけた。


「どうしてもって言うなら抱っこしてあげない事もないけど」とイジワルすると、


「死んじゃえ!」とすねを蹴られた。痛い。


「嘘だって………」


「ふんっ!」


 この人はこんなに意地っ張りだったのか。


 僕が足を抱えている間にも一ノ瀬さんはどんどん先に行く。しかしその足取りは重く、とても快調とは言えない。夜行バスの中は窮屈だったし、重いリュックを背負って歩いてきた疲労もあるだろう。小さな子供だと言われたことがよほど腹に据えかねるらしい。一ノ瀬さんは怒りだけで足を進めていた。


「一ノ瀬さん。ちょっと休もう」


「なによ。あたしなら大丈夫だって言ったでしょ。いいから早く行くよ」


「そうじゃなくて、僕が疲れた。もう一歩も歩けない。冷たい水が欲しい。ワガママを言って申し訳ないけれど、僕は歩けそうにないのだ」


「……………」


「こんな彼氏でごめん。でも、休ませてくれないだろうか」


 一ノ瀬さんは少し考えるように俯くとぽりぽりと首筋を掻いた。「……そんなふうに言われたら、あたしが本当の子供じゃないの……」と何か呟くが僕の耳には届かなかった。


「いいよ。ちょっとだけ休もう」


「本当? よかった」


「でも、すぐに出発するからね。あたしはお風呂に入りたいの!」


 僕達は少し休憩したあと歩き出した。一ノ瀬さんは機嫌を治したのか鼻歌なぞを歌いながら歩いた。手まで繋いで本当に兄妹みたいだった。しかし一ノ瀬さんは、さっきまで死にそうになってた人とは思えないくらい血色がよい。ほんの数分休んだだけなのだ。空はもう日暮れ間近の薄い青。


 とても体力が回復するほどの時間はなかったはずなのに、どうしてこんなに元気なのだろうかと疑問に思った。


「あのね、りつ君」と一ノ瀬さんが僕を見上げた。


「あたしは、最初からこうしてほしかったの」


「……というと?」


「これだけで頑張れるってこと。りつ君と手を繋ぐと元気が出るの。あたしは」


「……不思議な人だ」


「不思議じゃないよ……りつ君がいたら何でもできるんだよ?」


「へぇ、便利な体だ」


 僕は素直に関心したけれど一ノ瀬さんの思惑は違ったようで、


「好きだってことだよ気づけバカ!」と早口に呟いた。


 さすがにこれは聞こえたけれど、今度はドキドキして何も言えなかった。


 日が暮れるころにようやく我が家が見えてきた。


 一ノ瀬さんはボロボロの我が家を見て「うそぉ……」と呟いた。

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