第19話


「あなたたち、入佐高校の生徒よね。こんな時間に何をしているの?」


 まずい事になった。入佐高校の教師だろうか。一ノ瀬さんが「篠山先生だ」と呟く。どこかで見たことあると思ったら、数Ⅱの教師らしい。


 メガネにパンツスーツ。いかにも理路整然とした考え方の好きそうな、頭の固そうな人だった。


「もう8時を過ぎていますよ。それなのに大きな荷物を背負ってどこへ行くつもりですか」


「…………」


「黙ってばかりじゃ分からないでしょう? 明日も授業があるんです。無断でサボりなんて許しませんからね」


 僕達は黙って顔を見合わせた。まずい事になった。いま連れ戻されたらすべてが無駄になる。一ノ瀬さんの親にバレて、小海さんにバレて、とおる先輩にだってバレるだろう。そうなったら僕が悪者になって一ノ瀬さんを幸せにすることが出来なくなるだろう。社会的に、永遠に。それだけは嫌だ。


 僕は考えた。なんと言い訳しよう。どう言い逃れよう。目的の駅まではもうすぐなのだ。


 時間さえ稼ぐことができれば逃げる事も可能だというのに……


「えっと、親が危篤きとくで、今すぐ帰らないといけなくなって……」一ノ瀬さんがおずおずと言う。


「どちらのですか? 2人はとても兄妹には見えませんけど」


「あぅ、血は繋がってないんです……」


「嘘をつくのはやめなさい! 未成年同士の宿泊なんて許しませんからね。次の駅に着いたら学校へ連絡して、明日、反省文を提出してもらいます」


 メガネをクイッと上げて女教師が言い放つ。なんてイヤな人なんだろう。


「まったくなげかわしい。あなたたち1年生? 担任は?」


「………えっと、えっと」


「えっとじゃ分かりません! ハッキリ言いなさい!」


 一ノ瀬さんは嘘をつくのに慣れていないのだろう。顔を真っ赤にして俯いている。こんな時になんだけど、可愛い。泣きそうになっていて可愛い。可愛いけど、それを見ているのは苦しい。僕は一ノ瀬さんの手をこっそり握ると「入佐高校なんて知りませんけど」とハッキリと言った。


「あなたは入佐高校の方ですか? 僕達は相賀高校の生徒です。僕達はしかるべき手順を踏んでここにいるんです。決めつけで怒らないでくださいますか?」


「はっ?」


「生徒の顔も覚えていないのでしょう? それなのに僕達が入佐の生徒だと決めつけて怒られても、困ります。本当に親が危篤なんです。次の駅で降りて夜行バスに乗らないといけないんです。お金が無いから新幹線に乗れないし、迎えに来てくれる人もいないので……」


「どういう事かしら?」


 篠山先生とやらが声をひそめた。高校が違うと言った事が牽制けんせいになったのだろう。僕は顔に影を落として続けた。


「親と言っても、育ての親なんです。僕達は血は繋がっていない義理の兄妹で、彼女の家に引き取ってもらったんです。義理とはいえ育てられた恩がある。その親が事故に遭ったというんですから、学校を休んででも行きたいと思うのが人情でしょう。学校には許可を取っています」


「そう……そうです! あたしのお母さんの命が危なくて………その………」


 一ノ瀬さんがのってきた。たどたどしい言葉遣いだけど、それがむしろ泣きそうな赤い顔に信ぴょう性を持たせるようで、篠山先生がたじろいでいる。


 このまま押せば誤魔化しきれると思った僕は、「妹は人見知りな所があって……紛らわしくてすみません」と頭を下げた。


 これが決め手となったらしい。


 篠山先生は頭を下げて「それは……申し訳ない事をしたわ。ごめんなさい。でも、気を付けてね。子供だけは危ないから」


「はい、ありがとうございます」


 僕と一ノ瀬さんがそろって頭を下げる。


 それを見て納得したのか篠山先生がきびすを返した。


 なんとか追い返す事が出来た。僕が安心して「ごめん、手を握りっぱなしだったね」と言うと、一ノ瀬さんも安心した様子で「いいよ、りつ君」と言った。


「……りつ? 四方山、立?」


 あ、と思ったときには遅かった。遠目からでも篠山先生の耳が動いているのがよく見える。


 自慢じゃないけれど、僕の素行の悪さは入佐高校の教師の間で有名だった。


 授業中の居眠り。平気で口ごたえするし、課題を忘れる事もしばしば。この人をどこかで見たことあると思ったら、生徒指導室で見たことがあるのだ。


 密かに作成されていると噂のブラックリストに載っていること間違いなしの僕の事を篠山先生が知らないわけがない。


「あなた、四方山立くんね? そっちのあなたは、一ノ瀬まどかさん! 騙したわね!」


「一ノ瀬さん、なんてことを!」


「ごごご、ごめんなさい!」


 鬼のような形相で振り返る篠山先生から逃げるべく、僕は一ノ瀬さんの手を引いた。


 ちょうど目的の駅に着いたらしい。ドアが開いたそばから身を投げ出して僕達はプラットホームを駆けた。


「こら! まちなさーい!」


 後ろから篠山先生が追いかけてくるが知ったこっちゃない。


「逃げろ!」


 僕達は必死で走って夜行バスに飛び乗った。


 目についた席に飛び乗り、これまたちょうどよくバスが発車する。


 窓の外から篠山先生の怒っている姿が見えるが、安全圏から見るその姿はどこか滑稽だった。


「ふふふ、あはははは! 本当に悪い事しちゃった!」一ノ瀬さんが座席に抱き着いたまま笑っていた。


「……はぁ、行き先がバレてないだけでもおんの字だ……」


 これで僕達が逃げ出したことはバレてしまったけれど、後で小海さんに袖の下を渡しておこう。というか多分、夏休みに帰ってくるだろうから、そのときでいいか。


 僕が先の事を色々考えていると、


「ねえ、こんな楽しい事初めて! やっぱりりつ君といると楽しいよ」


「そりゃ、よござんした………」


 座席に座りなおして僕達は手を繋ぐ。


 ふと一ノ瀬さんの方を見ると彼女も僕の方を見ていて、目が合うと、


「ありがとう」


 と笑った。


「~~~~~~~~ッ」


「あ、顔赤くした。照れてる」


「照れてないし」


「照れてるもん」


「照れてない」


「照れてる」


 こんな会話ですら楽しいと思うほど、僕の気分も高揚していたらしい。


「悪い子だね、僕達」


「うんっ。いまなら何でもできそう!」


 先の事はその時になってから考えよう。いまはただ、この幸せを味わっていたかった。

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