第12話


 一ノ瀬まどかがどういう人間かと考えてみる。


 清楚で明るくてみんなに優しくて一挙手一投足が可愛い。不意に見せる笑顔も可愛い。ラブコメだったら間違いなく表紙やパッケージに起用されている完璧ヒロイン。しかしその実は情緒不安定でよく泣くしよく怒るしよく叩く。距離感がおかしいのか間接キスをものともしないし、すぐにどこかへ行ってしまう。


 まったく、裏表の激しい人である。


 あんなに面倒な人だとは思わなかった。


 もっと冷静で落ち着いた人なのかと思っていた。


 僕は一ノ瀬さんの行動に振り回されてばかりいた。普段の一ノ瀬さんと異なる一面ばかり見せられて困惑ばかりしていた。


 が、しかし、考えようによっては、その面倒な一面が全て可愛いものへと変幻する。


 親しい仲だからこそ見せる一面だってあるだろう。信頼しているからこそ本当の自分をさらけだせる関係だってあるだろう。


 一ノ瀬さんの信頼の証があの不安定な情緒なのだとしたら、僕はそれを受け止めてあげたいと思う。それは劣情を隠しながらの苦行になるだろう。だって、彼氏がいるのだから。どれだけ力になっても。どれだけ好きになっても、一ノ瀬さんが僕に振り向くことはないのだ。


 彼氏にだって見せられない一面があるだろう。それを僕に見せてくれるのは光栄だと思おう。


「謝ろう。僕は一ノ瀬さんの悩みを解決する。恋人じゃないからこそ打ち明けられる悩みだってあるはずだ。謝って一ノ瀬さんの力になろう。それが僕に与えられた役割なら……」


 一抹の寂しさを覚えながら、僕は保健室の天井を見上げて呟いた。


     ☆☆☆


 さて、逃げ出した一ノ瀬さんの行方であるが、保健室のすぐ近くにいた。


 保健室は昇降口のすぐそばにある。だいたいどこの学校もそうだと思うけれど、我が校も例に漏れず昇降口の隣にある。利便性を意識しての事なのか分からないけどそういう不文律はあるのかもしれない。


 一ノ瀬さんは保健室だよりが張り出された掲示板の下で膝を抱えていた。黒いレースの下着が丸見えになっているが気づいていないようだった。保健室を飛び出た事を後悔しているのか膝の間に顔をうずめて弱々しい声で「やっちゃった……」と呟く。


 僕が追いかけなくて本当に良かったと思う。僕だったらまた一ノ瀬さんの傷を抉るような事を言っていたかもしれない。無自覚に彼女の恋心を傷つけて悲しませていたかもしれないのだ。小海さんは同じ女性であるし、一ノ瀬さんよりも人生経験が豊富だから僕のような過ちは繰り返さないと思う。


「一ノ瀬さん。そんなところに座ってると汚れるよ?」


 小海さんは腰をかがめて一ノ瀬さんに手を差し出す。その声音は優しい。


 しかし一ノ瀬さんはさらに顔をうずめて、「いいんです……あたしなんて汚れてしまえばいい」


「そんなこと言わないの。ほら、立って? ちょっと私と散歩しようよ」


「…………」


 一ノ瀬さんはのろのろと立ち上がった。小海さんはニッコリと笑って「やった、デートのお誘い成功~」


     ☆☆☆


「私さ、実は四方山くんの従姉いとこなんだよね」


「そうなんですか?」


「そうそう。妹の宵歌よいかが四方山くんと同級生でね、中学生のころは同じ吹奏楽部だったんだよ。妹は地元の高校に進んだからここには来てないんだけどね」


「………へぇ」


「私がここにいるから四方山くんも入佐いるさ高校に入れられたんだけど、彼も大変なんだよ。テスト一つでも90点を切ったらうちの実家に強制送還。生活費の援助も断るし、頑固なヤツだとは思ってたけど、まさかバイトを5つも掛け持ちしてまで一人暮らしがしたいとはねぇ……」


 小海さんと一ノ瀬さんは校舎をぶらぶらと歩きながら僕の事をアレコレと吹き込んだ。一ノ瀬さんはその一つ一つに驚いたり目を輝かせたりして聞いていた。


 小海さんとは浅からぬ縁がある。僕の幼少期から知っている彼女にしたら一ノ瀬さんの機嫌を治す事など赤子の手をひねるよりも容易い事だった。


「あの、今の話、一つも知らないんです………」


「彼女なのに?」


「彼女でも無いんです……」


「うそぉ!?」


 一ノ瀬さんは申し訳なさそうに首を振った。「ごめんなさい……」


「だって、四方山くんのあんなにリラックスした顔を久しぶりに見たよ? 一ノ瀬さんが彼女じゃなかったら誰が彼女なのさ」


「さあ、いそうなものですけど……あたしは知らないんです」


「いやいやいないいない。いつも仏頂面でしょう? あれを好きになる女の子なんてそうそういないよ。あのリラックスした顔は可愛いけど、それを見るのがまた大変でさぁ」


「そうなんですか?」


 意外そうに一ノ瀬さんが眉をひそめる。彼女は僕の寝顔まで捉えているのだから意外だろうさ。僕の事をちょろいとか思っているんだろう。心外だ。


 小海さんは調子づいた様子で誇張し始めた。


「そうそう。宵歌でさえめったに見れないってぼやいてたくらいなんだよ。ああ見えて女嫌いだからね。それなのに一ノ瀬さんの前では終始リラックスしてた。ありゃあ間違いなく恋してるね」


「あたしに……りつく―――四方山くんが?」


「してるよ。そもそもあの唐変木とうへんぼくが人と話す事自体めったにないんだ。おはようって挨拶しても目線で返すヤツだよ? 言葉を交わしてる時点で相当仲が良いね」


「………嬉しい」


「だからね、大丈夫」


 立ち止まって俯いた一ノ瀬さんの手を取り小海さんは「一ノ瀬さんは嫌われてないよ」


「……………」


「嫌われてない。大丈夫」


 男子にはこんな事をしないのに女子にだけ優しいのだこの人は。


「……告白、できるでしょうか」一ノ瀬さんは不安げな声だった。


「私がついてるから大丈夫。あいつは無口でよく分からない唐変木だけど、心根は優しいヤツだから」


「そんなことないです! かっこよくて優しいです!」


 一ノ瀬さんは顔をあげて小海さんに反抗した。


 小海さんは驚いたように目を丸くしたけどすぐに柔和にゅうわな笑顔を作って「それだけ言えるなら大丈夫だね。きっと成功するよ」


「失敗したら死にます」


「もう、そんなこと言わないの。一緒に謝りに行こ?」


「はい!」


 一ノ瀬さんはもうすっかり元気になっていた。

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