第8話
「四方山くん? 君は学校に何をしに来ているのかな?」
「あぅ……一ノ瀬さん、おはよう……」
「おはようじゃなあい! いったいいつまで寝てるつもりなの! もう昼休みだよ!」
「………よく寝た」
大きく伸びをする僕の頭を一ノ瀬さんが叩く。わざわざ後ろに回ってまで。痛い。なんてことをするのだろう。
溜まったバイトの疲れが僕のまぶたを重くする。学校は授業の始まりと終わりに起こしてくれるから短期睡眠をとるのに最適だと思うのだが、一ノ瀬さんにはそれが理解できないらしい。
「まったくもう……いくら自習になったからって自由すぎじゃない? あたしが面倒見ないとダメなのかな?」
「毎朝お味噌汁を作ってくれよ」
「~~~~~~~ッ! もう、知らない!」
一ノ瀬さんはふんと鼻を鳴らして去って行った。
「そんなに変な事を言っただろうか?」
僕は首をかしげた。
あれから一ノ瀬さんに謝る機会はいくらでもあった。朝のホームルーム前とか、授業間の小休憩とか、いまだってそうだ。
ただ一言。昨日はごめんねと言えば良いだけ。簡単な事だ。それだけなのに言い出せないまま午前が終わろうとしていた。
僕はこんなに意気地なしだっただろうかと情けなくなる。
昨日の一件で少しは仲良くなったと思ったのに、今日は人が変わったようにいつも通りなのだ。一ノ瀬さんの知らない一面を見て、あの泣き顔がよもや僕を想っての涙なのかと思ったりもした。でもいつも通りなのだ。
あれは夢? 心の清らかな僕に神様が見せた儚い蜃気楼?
一ノ瀬さんは昨日、僕に何を伝えたかったのだろう?
「……
呼び名が名前から苗字に戻っている事が何よりもきつかった。僕が思うに呼び名は関係性を浮き彫りにするもっとも大きなポイントである。
仲が良いと言ってもその種類はいくらでもある。友達、親友、恋人、同じ趣味でよく話す人、友達ではないけど気の置けないヤツ、その中には『この人にしか頼れない』という間柄の人もいるであろう。が、僕ではない事は確かだ。苗字呼びなんてあかの他人同士でもできるのだから。
「……まぁいいや、ご飯食べよ」
カバンの中から弁当箱を取り出す。プラスチック製の小さな長方形の弁当箱。その中から現れたのは昨夜の生姜焼き。その下には白米が敷き詰められている。
僕はいただきますと両手を合わせて
と、
「うわ、すんごいね……何の
「すごいでしょ。手作りなんだよ」
「いや、褒めてないから……」
一ノ瀬さんが紙コップ片手に僕のお弁当を不味い物でも見るような目で見つめていた。どうやら飲み物を買いに行っていただけらしい。
「ま、初めて作ったから仕方ないよね。しかし昨日より味は良いぞ。なんせ卵と砂糖で整えたのだから」
「四方山くんが作ったの?」
「そうだよ」
昨夜の失敗はソースにすき焼きのタレを使った事にあると思ったので溶き卵を入れてみた。もちろん後入れである。卵を割って肉の海に投入。見た目はとても美味しくなった。
「……美味しいの、それ?」
「食べてみなければ分からないよ」
「うへぇ……」
生姜焼きと白米を合わせて取り口の中へ運ぶ。一ノ瀬さんは
辛みの強かったお肉のタレに卵が加わる事でマイルドな味わいになっている。その働きを砂糖がアシストしていくらでも食べられる味になっていた。
「うむうむ、成功だ」
「……本当に?」
「うん、初めて作ったにしては上出来だ。いけるいける」
ヒョイパク、ヒョイパク、と箸が止まらない。意外と料理の才能があるのか? このアレンジは天才と言ってしかるべきであろう。僕が。
と、一ノ瀬さんも欲しくなったのか「私も」と言った。
「どうぞ」
「……あたし今日はパンなんだけど」
そんなことを言われても知らない。「素手で食べろと言うのか」と言わんばかりの表情で僕を睨んでくるが、箸を持ってこないほうが悪い。
「むぅ……ねえ、ちょうだいよ」
一ノ瀬さんは自分の席に戻ると「あ~ん」と小さく口を開けた。
何だこのメンタルは。関節キスになるとか周りの目とか気にしないのだろうか?
「……………」
「あ~~~~~んっ」
気にして無さそうだ。
両目を閉じて
「………はい」
僕がおそるおそる差し出すと
「ん~~~」と
「まだまだ練習が必要ね」
なんて言うのだ。
何だこの人は。
こんなことは仲良しの友達しかやらないというのに。昨日ちょっと喧嘩したくらいの間柄ではないか。
そしてそれは本当に申し訳ないと思っている。
「あーあ、あたしもお弁当にすればよかった」
「正直、
「そだね。焼きそばパン最高!」
しかし一ノ瀬さんは着飾っているように明るかった。
僕にはその理由が分からなかった。
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