第4話
古典の授業を受けながらうつらうつらしていると、ふいに頭を叩かれた。
「こらっ、起きなさい」
先生の声ではない。女の子らしい丸みを帯びた声。
「……ん、なに」と、のろのろと頭を起こして目をこすっていると、一ノ瀬さんがパーにした手のひらを上に向けて、何かを催促しているではないか。
「プリント。課題のプリント集めるってさ」
「……ああ、そう」
気づけば授業は残り数分で終わりという所だった。授業の終わりに前回の課題を回収しようという段階に入っていたらしい。
「はやくはやく。居眠りがバレて先生に怒られちゃうよ」
一ノ瀬さんが急かすように机を叩く。ぺちぺちと可愛い音がした。
「……はい」
僕はボンヤリとプリントを差し出すとまたうつ伏せに寝た。一ノ瀬さんは確かにそれを受け取ると前を向いた。
「四方山くんの字って個性的だね」
「あんまり見ないでよ」
「ごめん」
それで授業は終わり。次は化学基礎かぁ……なんて考えながらカバンをまさぐっていると、
職員室に呼び出された。
「四方山……お前また宿題を忘れたのか?」
どうやら怒られているらしい。が、なんで?
「はい?」
「しかも謝罪も無しとは見上げたヤツだな。忘れたなら忘れたとそう言いなさい。先生は怒らないから」
禿げ頭先生が呆れたように肩をすくめる。どうやら集めた課題の中に僕の分が無かったらしいが、僕は悪くない。
「謝罪も何も……僕はちゃんと提出しましたよ。一ノ瀬さんが受け取ってるはずです。彼女に聞けば僕の潔白は証明されるはずですよ」
「でもここに無いんだ。それならなにか? 一ノ瀬がお前の課題を奪ったと言いたいのか? 何のために?」
そんなことを言われたって僕はちゃんと提出したのだから知らない。
「さぁ……でも人は何をするか分かりませんからね。彼女に盗み癖があったとしても不思議ではないでしょう」
「お前はなぁ………まあいい。明日には必ず持ってくること、いいね?」
禿げ頭は話は終わりだと言わんばかりに机に向き直った。
「無理ですよ。だって手元にプリントが無いんですから」
「無いって……失くしたってことか? それならそうと言えば渡してやったのに」
「だから終わらせてるんですって……」
先生は断固として僕の無実を認めないつもりだった。僕はだんだん腹が立ってきて「そんなに言うんなら今この場で終わらせてみせますよ。僕はもう答えを知ってるんですから解き直すなんて
「それとも僕が悪者じゃないと気が済まないというんですか」
「……明日の朝一番で持ってくるように」
先生は怒ったように僕にプリントを押し付けるとパソコンを立ち上げた。今度こそ話は終わりということだろう。僕は「失礼しました」と言って職員室を出た。
足早に教室を目指す。つまらない。ああつまらない。つまらない。
なぜ僕が怒られなければいけないのだ。きっと何かの手違いだ。きっと後で机の中からひょっこりプリントが見つかったりするに違いない。それであの禿げ頭が平身低頭謝り倒すまで僕は許さないつもりだ。
「くそ、こんなもの………いっそのこと破り捨ててしまおうか」
と、プリントをぐしゃぐしゃに丸めていると、廊下の隅で話し込む男女の姿が目に入った。知らない男と一ノ瀬さんだった。人が通ることの無さそうなところでコッソリと逢引きをするとは、一ノ瀬さんらしくない。
思わず陰に隠れて聞き耳を立てた。
「なあ、手を出されたって聞いたけど本当か? 大丈夫だったか?」
「うん……ひどい事はされなかった」
「そうか、西の奴にはキツく言っておくから大丈夫だ………今度からはすぐ俺に言えよ。まどかに手を出すヤツはぶっ飛ばしてやる」
僕はハッとした。やっぱりそうか。あのとき襲われていたのは一ノ瀬さんだったのだ。
窓から見えた美しい肩甲骨は一ノ瀬さんの体で、パソコン部の壁一枚を隔てた向こうではあられもない姿になった一ノ瀬さんがいたわけだ。もったいない事をしたと思う。僕が
しかし僕は敢えて一人を選んだ孤高の人である。いまさら色恋なんぞに未練はない。
「ありがとう……とおる先輩」
「彼氏として当たり前だ」
彼氏いたのか。……いや、未練はない。未練は……ない………。
それはそれとして実際に助けたのは僕なのだ。なのにイケメンは後から出張ってくるだけで手柄を全部奪ってしまうから嫌いだ。
彼氏なら彼女のピンチにすぐさま駆け付けろよ、と思う。
とおる先輩とやらは信用できない男だと思った。
「なぁまどか、いいだろ」
「ダメだよ、ここ学校……」
「いいじゃん、誰かが通るわけでもないし」
僕が「おや?」と思う間に男は強引にキスをした。
「可愛いよ、まどか……」
「………………」
大胆な事をすると思う。彼女が危ない目に遭ったのに自分の性欲が大事なのか。僕は信じられなかった。一ノ瀬さんもびっくりしたように固まったが、どんな心情のうつろいによってか、身をゆだねるように目を閉じた。
やっぱり顔が良いからだろうか。
2回、3回、男はついばむように唇を重ねた。
「……なんだよ。結局、一ノ瀬さんだってそうなんだ」
胸に苦い物を感じた僕は黙ってその場を後にした。
だから僕はそのあとの事を知らない。
そのあとすぐに一ノ瀬さんが男を突き飛ばして、
「ごめんなさい……やっぱり今は……」と
唇を奪われている彼女の瞳が僕の背中を捉えていた事も、知らなかった。
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