チューバー

 深夜。

 自分の屋敷に戻った新六郎は、いつもとはまったく違う寝支度ねじたくをした。

 寝所しんじょに置かせたのは、大きなたらいである。今夜はこの盥の中で眠れ、とパレオに言われた。

 ──この盥の中でなら、たしかに眠れそうではある。

 足を洗ったり、赤子に産湯をつかわせたりするような小さな盥ではない。馬の脚が四本いっぺんにかるほどの大きさだ。彦左衛門の屋敷から、奉公人が二人がかりで運んできた。


 新六郎は、盥の中に横たわってみた。思った以上に、ここちよい。木の香りが鼻から胸へと流れこんでくる。

 枕元には、二両の小判こばん。これを必ず、盥の中に入れておくよう言われた。「ダンジョン」なる場所へ行くための、渡銭わたしせんのようなものであるらしい。

 ──わたくしは銭属性ぜにぞくせいの魔法をたしなみますわ。

 とパレオは言った。

 ──未来をつくるのは予算ですわ!

 とも言っていた。

 人はいつかダンジョンへ行くことになる、とパレオは言った。パレオの魔法とは、かねの力を使って、その〈時〉を早めるものであるらしい。

 パレオの使う言葉や細かい話については、何を言っているのかわからないことのほうが多かったが、大づかみな理屈としてはわからなくもない。江戸から京へ旅をする場合でも、着くのがいつになるのかは金次第である。

 大坂へ大軍を送った時には、すさまじい量の金が江戸と駿河するが金蔵かねぐらから消えたという。徒歩かちの兵士も、飯を食わなければ歩けはしない。つまるところ、金が人を運ぶのだと言えないこともない。

 西へ向かって行進する兵たちの背中。無数の小判や丁銀ちょうぎんが、その上を飛んでいく。

 そんな絵が見えた時、新六郎はすでに眠気にとらわれていた。

 遠くから声がきこえてくる。

 誰かが歌っている。



 なにわのむこうにじゃがたって

 はちまんてんしゅのおにむすめ

 よくもたったりたくんだり

 あしわるぶたのくつをはき

 うでわらんげのときをまき



 パレオの声だった。

 そのことに気づいて、新六郎は目を開けた。

 左右を見ようとした新六郎の頭は、もう枕の上に乗ってはいなかった。新六郎はもう、盥の中にもいなかった。

 いつのまにか、座っている。暗闇の中で胡坐あぐらをかいている。

 立ち上がろうとした新六郎は、何かに頭をぶつけた。それと同時に、やわらかい光が眼の中へ入ってきた。

 ──おけ? これは桶か?

 新六郎は、大きな桶の中にいた。新六郎の頭に押しのけられて地に落ちたのは、その桶のふただった。

 ──これではまるで。

 ひつぎである。

 新六郎は、座棺ざかんに納められた死人が立ち上がったような有様ありさまで、見知らぬ場所にいた。

 左を見ると、そちらにも大きな桶があり、桶の脇には呆然とした顔の小平次が立っていた。

 新六郎は桶から出て、裸足で地を踏んだ。岩の感触だ。上下左右、どちらを見ても周囲は岩だった。

 広い岩窟がんくつのような場所に、新六郎と小平次は立っていた。


 そして、二人からやや離れたところに、空色の衣を着たパレオもいる。パレオのそばには、これもまた棺──臥棺がかんのように見える箱と、それよりも大きな、黒塗りの唐櫃からびつがあった。

 その櫃の中からパレオは、草鞋わらじと刀を取り出して、小平次と新六郎に渡した。

 小平次は片膝をついて、それを受けとった。

 新六郎は、とまどいながら小平次の所作しょさをまねた。

 貴人から草鞋を手渡されるのは生まれて初めてのことである。どう対応してよいものか、新六郎にはわからなかった。パレオの立ち居振る舞いを見る限り、それなりの礼法がある国から来た身分の高い者と思われるが、やはりあまりにも異様である。

 そして、そのパレオの言うとおりに、夢のような異変は起きた。

 ──格別に奇怪な夢を見ているだけなのかもしれないが。

 新六郎は、問わずにいられなかった。

「パレオ様。御身様おみさまはいったい、いかなる御方にあられまするか」

「チューバーですわ」

 と、パレオはまたわからぬことを言った。

「そう、わたくしはチューバーでしたわ。そしてダンジョンこそがチューバーの居場所。ああ。ダンジョンにいると、もっと大切な何かを思い出しそうになりますわ」

 ぜひとも、思い出してもらいたいものである。

「チューバーとは」

「チューブを使う者ですわ」

「チューブ。チューブとは、いかなるものに」

くだのことですわ。何かと何かをつなぐものですわ」

「つなぐもの……」

「たとえば、駿河台するがだいのお屋敷と、このダンジョンをつないでいるのが、チューブですわ。通れないところを通す、橋みたいなものですわね」

 管を使う者。管を通す者。

 飯綱いづなの魔法使いは、竹の管に潜めおいた狐を使役しえきするというが、パレオの魔法はむしろ管そのものを操る魔法であるらしい。

「して、そもそもダンジョンとは」

「ヨーロッパの言葉ですわ。こちらの言葉でいうと、天守てんしゅ

「てんしゅ!」

 小平次が大声をあげた。けわしい顔になっている。天主教徒キリシタンあがめる神のことだと思ったのだろう。

「小平次殿。城の天守に」

 新六郎は訂正した。パレオが指で宙空に書く文字を読みとるのは、新六郎のほうが得意であるようだ。

 パレオがうなずく。

「ええ、お城で一番高い建物ですわ。それから、お城にある牢獄ろうごくのこともダンジョンと言いますわね」


 天守と牢獄。まるで違うものである。それを一語でまとめてしまうような言葉は、日本にはあるまい。

 だが、

 ──天守には、他国者よそものが見てはならない化物がむという。

 そんな話が言い伝えられている城は少なくない。姫路ひめじの城の天守では、武芸者の宮本武蔵みやもとむさしが化物に会ったという。

 そのような怪しげな話を除いても、やはり「天守」という言葉には、慶長以前の世の不吉さがまとわりついている。


 軍記ぐんき──戦乱の世における日本各地の合戦について書きしるした書物の中に出てくる「天守」は、城の主や一族郎党いちぞくろうとうが、敵に追い詰められて腹を切る場所である。軍記に天守が出てくる時は、たいがい腹を切っている。

 家光の側近たちは、将軍へ献上する書物にあらかじめ目を通し選定をおこなう〈御毒見役おどくみやく〉〈鬼食い〉でもある。

 ――言葉は毒にも薬にもなりうる。

 新六郎が調査を命じられた大量の軍記の中には、明らかな作り話も多かった。天守と呼べるような建物などなかったはずの城にも、なぜか天守があったことになっている。

 しかし、根も葉もない作り話の中にも、それを書き残した人間の作意だけは確かに含まれている。軍記の作者とは、なぜか「天守」という言葉を使いたがり、滅びた一族の最期の場をその「天守」にしたがるものなのである。


 天守──まわしい場所。

 もちろん牢獄ではないが、どこか通じている。天守に立てこもり腹を切る間際の城主が、獄囚ごくしゅうのような心持ちになるとは思えないが、形だけを見れば似ている。

 今夜の大久保屋敷を思い出す。屋敷にいた大勢の奉公人たちは、パレオという奥座敷の貴人を守るための守兵しゅへいだという体裁ていではあったが、パレオを外へ出さないようにするための見張りでもあったのだろう。

 そして今、その兵たちはいない。

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