第17話 ナオコ 3
「はい、出来上がり」
お姉ちゃんはサチの帯をぽんとたたいた。
「ありがとうございます」
「お姉ちゃんありがと」
青地に白い蝶の柄の浴衣で、帯の色は赤がサチ。わたしは白地に朝顔の柄で帯は黄色。
自分の着付けた浴衣の出来栄えを満足そうに眺めるお姉ちゃんは、「気を付けて行ってくんのよ」と送り出してくれた。
八月に入ってすぐの地元で開催される花火大会は、わりと大きなお祭りだ。
本当は知名度が全国区の神社の夏祭りがメインで、花火大会はその付属だけど。地元ではこのお祭りは「花火大会」で通っている。
去年の夏も浴衣を着て三人で遊びに行った。
横断歩道の信号待ちをしていると、さげた巾着に入れたスマートフォンのメッセージアプリが鳴る。ナチからの連絡だった。
「ナチ、もうすぐ着くって」
昼間にファミリーレストランのアルバイトを入れていたナチとは、駅で待ち合わせをしていた。
実際にはもうちょっとかかると思うんだけど、隣の家が売りに出されたときの広告に、『駅まで徒歩七分』と書かれていた。それを見たお母さんに言わせると「サバをよんでいる」って。
歩行者信号が青になり、大通りの横断歩道を渡って住宅街の裏道に入る。この道は駅までの近道。カップルや子どもたち、親子連れが歩いていた。浴衣を着ている子どももいる。みんな、橋まで花火を見に行くのだろう。
道脇のマンションの上にはまだ暗くもない夕方の、サチの髪と同じ色の空がひろがっている。
編み込んだ髪をふんわりとした三つ編みのおさげに結ったサチは、いつもよりも可愛らしい雰囲気だった。
サチが着ている浴衣はお姉ちゃんのだけど、お姉ちゃんよりもサチによく似合っている。
「その浴衣、もらっちゃえば?」
「ダメだよ。ちゃんと返すよ」
わりと本気を交えた冗談に、サチは笑って答える。
「だってお姉ちゃんよりも似合うよ」
「……送ってもいいかな?」
「なにを?」
言われたことがピンとこなくて訊き返した。
「洗濯して送るね。浴衣」
「浴衣のこと? そんなのいいよ。今度会ったときで。送料かかるじゃん。どうせお姉ちゃん、今年はもう着ないだろうし」
「……でも」
「今度でいいって」
「……うん」
なんでだかサチは曖昧に肯いた。
駅には近道してもやっぱり十分はかかった。着慣れない浴衣で歩いていたせいもあるかもしれない。
エスカレーターで二階の改札に向かう。
改札付近はかなりの人でごった返していた。浴衣を着た人たちも多くいる。花火大会のために待ち合わせた人たちだろう。
ナチを探そうとするとサチが隣で手を上げた。
「ナチ! ここ!」
サチが手を振る方向からは、ナチが器用に人を避けながらこちらへと小走りで走ってくる。
「ごめん。ちょっと待たせた?」とサチ。
「大丈夫。改札を出たところ。待ち合わせ時間通り」
そう言ってナチが笑う。
ナチの浴衣は紺地に薄いピンクの花模様。帯は赤色。
浴衣に描かれた花はなんの花か、去年に訊いた気がするけど忘れた。たぶん牡丹とかなんだろう。
「バイトお疲れ」
帯に挟んでいた
「今度さ、バイト先のファミレスにサチと食べに行っていい?」
「いいよ。社員割引にしてあげるよ」
「やった! サチ、いつ行く?」
「うーん……予定がわからないかな」
「じゃあ、予定がわかったら教えてね」
花火のために橋に向かう人たちの流れに混じって歩きだす。
河川敷で打ち上げる花火の時間にはまだ早かった。途中の屋台でポテトやお団子、冷やしパインなんかを買って三人で分けて食べた。
屋台で調理する食べ物の匂い、呼び込む声、提灯の明かり、お囃子の音、練り歩く山車。熱気が真夏のむっとする湿気と混じり合う。
見た目は涼しげだけど浴衣は着ると暑くて、額や首筋に滲む汗に耐えかねてかき氷を買った。ナチはレモン。サチはブルーハワイ。わたしはイチゴ。
「ナオコのもちょうだい」
ナチのプラスチックスプーンは、言葉と同時に氷に刺さる。
「いいよって言う前に食べてるし」
「わたしも食べたい」
サチのスプーンも氷を崩す。
「そっちのもちょうだいね」
お互いのスプーンで赤や黄色、青の氷の山をつつきあって、笑いながら橋へと歩いた。
「この
橋の中ほどの欄干にもたれると夜空を仰ぐ。
いつの間にか紺色に変わっていた空には、街中でも明るい一等星が花火を待っている。あれはベガとアルタイルとなんだっけ?
歩行者天国となった橋と打ち上げられる河川敷に人が別れていた。そのおかげで余裕をもったスペースを確保できる。
「いま何時?」
「七時半」
「もうすぐ始まるね」
わたしたちのように欄干にもたれて夜空を仰ぐ人たちや、まだ場所を決めかねて橋の上を流れている人たちの頭上に、途切れ途切れの頼りなく細い黄色い光の線が上がった。
その光の線が一瞬消えたあとに、紺色の夜空に大きな赤橙色の華が咲く。すぐにドンっというお腹に響く重い音が追いかけてきた。
赤橙色の光は一瞬にして最大に輝き、落ちながら緒をひいて消えてゆく。そのあとにまた赤や緑の丸い光の華が開いた。周囲の人たちからも歓声があがる。
「きれい!」
「迫力すごい!」
「音ヤバい!」
空を見上げながら、花火が開くときの重い音がうるさくて大声を上げて話した。
空からは小さな赤い火の粉がパラパラと降ってきては、アスファルトに落ちる前に消えてゆく。花火玉の丸い外側が半分になった物も、火の粉と混じっては花火の脱け殻のようにときどき落ちてくる。
暗い夜空に次々と打ち上がる鮮やかな色の光の華。ブーケのように、小さな華がいち度にたくさん咲くものもあれば、大きな華にいくつもの環がかかるものもある。時間差で光ったり、光があちこちに飛んでゆくものもあった。
いつの間にか欄干に背をもたせて座り込み、三人で上がる花火を黙って眺めていた。
橋のアスファルトは昼間に吸収した熱を放出していて冷たくはない。この熱をなんていうんだっけ? カシワギならすぐに答えてくれそうだけど。
……そういえば、ふたりは補習に出てたはず。
ナチはもちろんカシワギが目当て。サチに補習なんか必要ないと思うけど、ナチが出るからなんだろうな……。
「ナオコー!」
呼ばれた方向に視線を向ける。同中だった友だち数人が手を振っていた。
「おーっ! 久しぶり!」
手を振りかえし、立ち上がる。
「地元の友だち。ごめん、ちょっと行ってくるね」
ナチとサチに声をかける。「うん」「いってらー」と団扇で扇ぎながらの返事が返ってきた。
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