第16話  ナチ 6



 昇降口から外に出ると、重さを感じるようなが上から落ちてくる。あの雨がまるで嘘だったかのように雲が抜けていた。


 地面からじわっとのぼってくる雨の名残の湿気は、じっとりと全身に膜を作り、汗のように張り付く気がした。それでいて重い陽射しは肌を焼く。


 アスファルトは乾きはじめていた。舗装が悪くなって窪んだ場所には大きな水たまりができている。避けながら駅までの道を歩いた。


 雨上がりの匂いがしていた。熱に蒸されて強く感じる。それは大地の匂いだと、カシワギが言っていた。土の中の微細物のつくる匂いが雨水で広がってゆくらしい。


 から揚げ……美味しいなんて言うんじゃなかった。


 ふと、そんなことを思った。




 改札を通り抜けて上りのホームに移動すると、待合室のベンチに座る見慣れた髪色にすぐに目がとまった。思わず走る。ドアを開けるなり訊いた。


 「サチ? どうしたの?」


 とっくに金髪と帰ったと思ったのに。


 「ナチを待ってた」


 ぱっとこちらを向いた顔は、すぐに嬉しそうに笑う。


 「あの金髪は?」


 「金髪って……。オノだよ。先に帰ってもらった」


 「……ふーん。金髪よりわたしを選んだんだ」


 「……ナチはわたしよりカシワギだったけどね」


 「あの金髪がわたしのこと……邪魔だって言ってるみたいだったからさ」


 「オノだって。……まあ、でも悪い子じゃないよ。ナチの苦手なタイプだとは思うけど」


 どちらからともなく、ぷっと吹き出して笑った。


 「……お昼食べたの?」そう訊くと、サチは首を左右に振った。


 「ナチは?」


 「タナカが嫁の作った大きいおにぎりくれたよ。明太子が入ってて美味しかった」

 


 結局、駅から出ていつものコンビニエンスストアまでもどった。ふたりでいつものおにぎりと、棒がついているいつものかき氷みたいなアイスを買う。


 近くの小さな公園のブランコに乗って食べた。アイスはすぐに溶けてきて、冷たくて甘い水が指を濡らす。ブランコは鎖の部分がまだ濡れていた。それでも気にしなかった。夏はすぐに乾く。


 ホームにもどる前にペットボトルの冷たい水を買った。頬や首筋に充てて熱を冷ます。冷たい水滴が皮膚を濡らして汗と混じる。ふざけてサチの腕にもつけると、笑いながらわたしの腕にもペットボトルをつけ返した。


 待合室のベンチに座って、しゃべり疲れるまで話をしていた。


 夕方近くに電車に乗った。始発から二駅目ということもあって車内は空いている。

 座席の端に座ると、隣にサチが座った。


 補習は今日で終わり。


 明日からは本格的な夏休みが始まる。


 ふと目を留めた吊り広告は、今年も三人で行く予定の花火大会のものだった。


 「花火大会楽しみだね。今年も浴衣で行こうよ」


 「……浴衣なんだけどさ、お母さんがどこかにしまっちゃって」


 「そうなの? あ、ナオコのお姉さんの借りられないかな? 訊いてみようよ」


 「うん」


 降りる駅の手前で席を立つ。サチが横に詰めて端に移った。


 「ナチ」


 降車のための車内アナウンスが流れる。


 「ん?」


 顔を向けるとサチはなにも言わずに、じっとわたしを見ている。


 「なに? どうしたの?」


 唇が動いてなにかを言いかけたような気もしたけど、サチはなにも言わなかった。


 ホームに電車が停止してドアが開く。


 少し気になりながらも「……じゃあね」と手を振る。


 「うん。バイバイ。ナチ」


 いつものようにサチは笑った。





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