2. 失墜

 いったい何があった。なんなのだ、この状況は。

 何故、俺が俺を見下ろしている???

 

 サリア大森林。ここは英雄と呼ばれるようになるまで成長した俺が、幼い頃に凶悪な魔物と出会って親友を失った思い出深き場所。

 王に命じられた任務を成し遂げようやく一段落ついたので、二年ぶりに墓参りに訪れてみたのだが…そこでまさかこんな事態が起ころうとは。


 俺が数年前に建てた墓標に、薄気味悪い肉塊のような魔物がまるで俺を待っていたかのように纏わりついていた。

 それは初めて見る類の魔物だったが、強者のオーラも何もなく明らかに弱者の容貌をしていたため、親友の墓を汚すその不届者を得意な魔法の一閃で葬ろうとした。──したのだが。

 

「ハハッ!まさか低級魔物が『入れ替わり』なんて高等な魔法使えるなんて思ってもみなかったよなあ?」


 魔物が俺の姿で語るように、俺の魔法よりも早く魔物が入れ替わりなどという馬鹿げた魔法を行使したらしかった。

 まったく笑える。幾百の魔法と対峙し数々の上級魔物を蹴散らした経験がある俺が、訳あって簡易な魔法しか使えなかったにしろこんな見慣れた場所で初見の魔法に負けるなんて。

 つまり今の俺の見た目は、あの悍ましい肉塊の化け物になっているということだ。

 死んでないだけマシか。いや、こんな姿で生きるぐらいなら死んだ方がマシか?


「グェ、ガェゼェッ」


 返せ、と言葉に出そうとしたがまるで瀕死のゴブリンのような声しか出せない。

 入れ替わる前に確認しているが、一応この姿には不恰好な口があった。喋れないことも無いと思ったが、人間の喉と形が違いすぎて意味のある言葉を話すのは無理らしい。


「無様だね」


 煽るように体を踏みつけながら、俺の姿を奪った魔物は唾を吐きつけてくる。

 我ながら整った顔立ちから行われるその行為は『英雄』という肩書きには全く似つかわしくない下賤で下劣なものだ。

 それで満足したのか魔物は踵を返し、墓標があるこの場所から姿を消す。

 どこかへ向かうその背中は、心なしか俺の体を手に入れられたことによる歓喜と高揚に溢れているような、そんな気がした。

 何故俺を殺さなかったのか。そんな疑問は残るが今はかろうじて生き残ったこの状況を安堵するべきか。


 果たして奴が俺が使える魔法に関する記憶を有しているのかはわからない。

 だが…俺が今まで積み上げた信頼と実力を一瞬にして奪われ、それが悪用されるのだとしたら腹立たしいにも程がある。一矢報いてやりたい。

 しかし…こんな姿でいったいどうすればいいと言うのだ。

 四肢の感触は無い。というか腕も足も無い。

 魔法は…試してみたが何一つ使えない。

 この体には魔力がないのか、それとも魔法は魂に宿るものではないのか。

 入れ替わりを使った時点で、この体から魔力が枯渇したのか?

 もはやそんなことはどうでもいいか。お先真っ暗にも程があるし、なんだか腹も減ってきた。


 ひとまずはこの場所から離れなければならない。

 幸いなのはこの場所が森のそこまで深い場所ではないということ。

 しかしそれはこの森の恵みを調達しに来る村人の存在に気をつけなければならないということでもある。

 こんな気色の悪い見た目をしていたら真っ先に切り伏せられるだろう。

 

 とりあえず故郷の村を目指して前進し、自分の家に戻ろう。

 そうすれば行動しやすくなるはずだ。家に戻って魔道具の一つでも使えたら…あるいは。

 ──そう思ったのだが……動けない。


 全身を襲っている火傷のように燃え上がる激痛。

 皮を剥がされて神経の通った肉を直接空気に触れさせているような痛みとも例えられるそれは、今までの人生で味わったどんな苦痛よりも耐え難い。

 四肢が無いため這うようにしてでしか動くことはできないが、地面の砂利と雑草に擦れてまるで内臓を直接すりおろされているみたいに痛い。

 しかも、移動速度があまりにも遅すぎる。

 激痛に耐えながら体を動かしたとしても、村に到着するまで数時間はかかるだろう。

 それまでに人と遭遇してしまう可能性は非常に高い。


 想定外の自体の連続。だが他に道はない。

 今俺がやるべきことは、誰にも見つからないように移動しながらこの疼痛に耐え続ける、ただそれだけだ。

 俺は少しずつ故郷の村目指して体を這わせた。痛みに加えてどうにもならない飢餓感も俺の絶望を加速させているのを感じつつ。



 こんなことならば、最初から声帯なんてものなくて良かった。

 そう思ってしまう程の激痛に対する声を抑えながら、森の凹凸した地面をゆっくりと進んでいく。

 数時間の移動でこの身体にも慣れてきたが、それでもまだ移動速度は二足歩行を覚えたばかりの赤子並に遅い。

 それどころか森を抜けた後の村への道中には、この身体で進むのが困難と思われる岩地面が広がる土地がある。

 この体であの地を這って進むなんてことは、かつて俺が見たことがあるどんな拷問よりも辛いはずだ。

 憂鬱極まりない。そして俺はその憂鬱を掻き消すように思考する。

 この事態を作った元凶。入れ替わりなどという馬鹿げた魔法を俺に仕向けてきた奴らには、目星がついている。


 俺以外の他の2人の英雄。

 そもそも俺が今日この墓を訪れるのを知っているのは、この2人と一部の村人しかいない。

 まずは冒涜ぼうとくの錬金術師、ディラ=フェルディア。

 奴は錬金生物などという生命への冒涜としか思えない生物の研究をしていた。

 今の俺の体。まるでグチャグチャにして丸めた肉に子供が顔を描いたかのようなふざけた生物は、あのイカれた錬金術師が創造したものと考えても差し支えない。


 次に傀儡かいらいの異端官、シシリア=デンフォード。

 彼女は古代魔法の研究をしていた。

 確か一度だけ見せてもらった研究資料の中に、精神の入れ替えに関する記述があったような気がする。

 彼女は狂人だった。もしも自分の研究成果を試す機会があるのだとしたら、喜んであの錬金術師に協力したことだろう。

 それにしては今この状況を見て楽しむことをしないのは疑問だが。

 冒涜と傀儡という二つ名に関しては、俺が勝手に付けたあだ名みたいなものだ。

 一般的にあの二人は『錬金術師のディラ』や、『異端官のシシリア』と呼ばれている。

 

 敵はあまりに強大だ。

 『封魔のヴェルテ』と呼ばれていた時の自分の姿を取り戻せたとしても勝てるかどうかわからない相手たちだ。

 今はまだ推測の段階に過ぎないが、俺をこんな状況に陥れようと思うような奴はアイツらしかいない。

 必ず見つけ出して復讐を果たしてやる。

 例えそれが、国で崇められている英雄たちだとしても。

 


 ふと前方の茂みから足音が聞こえてきた。

 …子供の足音だ。しかも何やら急ぐ様子で走っている。

 おかしい。サリア大森林は危険な森ではないが、子供が入るような場所では絶対にない。しかも今は早朝5時とか、そのぐらいの時間のはずだぞ??

 この近くの居住区には俺の故郷である村しかないし、もし子供が迷い込んでしまったのだとしたら俺が知っている村の子供である可能性が高いが、いかんせん今はこんな体だ。身を隠した方がいいだろう。


 傷口に塩を塗り込まれるような痛みに耐えながら、なんとか足音の主がこちらに到達する前に手頃な木陰に身を隠す。

 今の俺の体は高さが30センチほどで、全体は直径1メートルほどのサイズしかない。

 骨のない軟体動物のような体をしているため、木々の隙間に身を隠すのに痛み以外でそれほど苦労はしなかった。


 足音の主が俺の3メートル程右を横切る。

 木漏れ日のみの薄暗い道だったが、ハッキリとその姿は見えた。

 やはり俺が知っている子供だった。俺の家の隣家に住んでいる11歳の少女、ニアだ。

 ニアとは故郷に帰るたびに遊んでやっているため、俺とは仲がいい…はず。

 俺がニアに特段構ってやった理由は、『バレンの妹』だったから。──バレンは、俺の親友の名だ。


 彼女はこんな時間に家を抜け出すような好奇心旺盛な子では決してない。

 親孝行や他人のために善意を振りまけるような、そんな子だ。

 その彼女がいったい何をやるためにこの場所に?


 …考えられる可能性は一つしかない。

 この森に墓参りに行った俺を探しに来たのだ。

 村に少し顔を出した時、たまたま起きていた彼女には俺が墓参りに行くことを教えた。

 もしや…一時間以上経っているというのに村に帰らなかった俺を探しに来たのか?

 だとしたら随分心配されたものだな。仮にも俺は英雄と呼ばれていた実力者だぞ?しかも何故彼女は泣いていた・・・・・

 

 そうこう考えているうちに、ニアの姿はどんどん遠ざかっていって墓標のある方向へと消えていった。

 やはり俺を探していると見ていいだろう。だとしたら残念な結果に終わると思うが。

 この森にもう魔物はいないとは思うが、子供にとってはどんな生物も脅威となる。

 すぐに村に戻って欲しいところだ。


 そんなニアを見送ったところで、再び俺は村目指して痛みに耐えながらゆっくりと動き出す。

 待てよ。

 俺は何度もここに訪れているが、連絡も無しに村に帰らず王都に帰る…なんてことも多々あったはずだ。

 ニアが直接迎えに来てくれるなんてことも無かったし、あの泣き腫らした表情も気になる。


 …もしや、村に何かあったのか??


 俺の姿を奪ったあの魔物が村に何かしら被害をもたらした。

 そう考えるのが妥当だが村を襲ったのが俺の姿をした魔物だとしたら、ニアは俺に襲われたと勘違いして本当の・・・俺を迷宮に探しに来るなんて矛盾じみたことはしないはず。

 まあ、村に戻れば真実が分かる。

 今はただひたすら痛みに耐えながら進むだけだ。


 それから30分ほど経った頃だろうか。

 ようやく森を抜け、最初の関門である岩大地の元まで辿り着いた。

 この道を避けて遠回りしても村には辿り着ける。しかし、四倍以上の時間がかかってしまう。

 それはすなわち、危険に晒される時間も伸びるということになる。

 もう既に耐え難い程の痛みが俺の全身を襲っているし、追加で身が擦り切れるようなことをしたってあまり大差ない気がするのだ。


 ああ。この道を進み終わるのに果たしてどれだけの時間がかかるのか、どれだけの激痛に耐えねばならないのか、想像もしたくないがやるしかない。

 そして懸念点がある。

 それはこの道を進んでいる最中にニアが戻ってくるかもしれないということ。

 さっきは道端の木々の隙間に潜り込むことでなんとか隠れることができたが、この先の道中にそのような身を隠せる場所は無いのだ。

 だだっ広い岩の礫が敷き詰められた不毛の大地。

 この場所はかつて……俺の親友を食い殺した森の主とも呼ばれる凶悪な魔物と俺が戦った末に出来た場所なのだが、まさかその場所に苦しめられることになろうとは。


 ニアに合わないようにするには、一旦ニアが村まで戻るのを待てばいい。

 よって、俺はニアが戻るまで森を出ず草木の合間に身を隠すことにした。

 あの軽装からして村を勢いのまま飛び出して俺を探しに来たのは間違いないだろうし、具体的な場所を教えてないにしろ、わりと分かり易い場所にある墓標を見つけて俺がいなければすぐにこの場所まで戻ってくるはずだろう。

 それにしても…腹が減って仕方ないな。

 


 しばらくして。

 やはりニアはこの場所まで戻ってきた。

 その表情は絶望に塗れていて、目当ての物が得られなかった顔をしている。

 せっかくの可愛らしい顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってしまっていて見るに耐えず、ハンカチで拭ってやりたいが今の姿の俺が出て行ったところで更に恐怖で顔を引き攣らせてしまうことになってしまう。

 息を顰め、気づかれないようにじっとする。

 行きの時は気づかれなかったし、このまま動かずにいれば気づかれることはない──と思っていたのだが…


「見つけた…!」


 突然、こちらを向いたかと思えばニアは満面の笑みで俺にそう言い放ってきた。

 その頬に出来ている笑窪は、兄であるバレンのものと非常にに通っている。

 俺は驚愕した。我ながら完璧だと自負していた擬態を看破されたことに対してではない、今の俺の姿を見て震慄するどころか笑みを浮かべてきたことに対してだ。

 中身が俺だと気づいているのか?

 それとも魔物を探していた?…それはないか。


 俺は恐る恐るニアの前に姿を見せる。

 ニアは魔物を殺せるほどの魔力も腕力も持っていないし、俺がここから逃れる術はないから諦めたわけだ。


「ねえあなた、ヴェルテお兄ちゃんなんでしょ?」


 …っ⁉︎

 素直に驚く。

 何故わかったと言葉に出して問いたいものだが、それは叶わないので体をふるふると震わせる。

 首のような器官があれば頷くなんてこともできたのだが、四肢すらないのでこうする他ない。頼むから伝わってくれ。


「やっぱりそうなんでしょ?だってヴェルテお兄ちゃんがあんなことするわけないもん…!」


 肩を震わせ憤慨し、純粋無垢なニアがするとは思えないほど憎悪に満ち満ちた表情をしながら呟いた言葉の意味を察し、俺の心にもその怒りが伝播する。

 やはり、やはりと言わざるを得ない。

 俺の体を奪ったあの魔物は、俺の故郷の村を襲ったのだ。

 おそらくはニア以外の住民は全滅。

 俺の魔法を使ったのだとしたら、村全体が跡形もなく消え去っているのかもしれない。

 

 ニアは無防備に、まるで警戒もせず両手を伸ばしてゆっくりとこちらに近づいてくる。

 俺は躊躇った。ただ、気恥ずかしいとか居た堪れないとか、そのような感情が芽生えていたからだと思う。

 今の俺は醜い魔物だ。決してニアという清廉な少女が触れていい存在じゃない。

 そして『英雄』であり、様々な冒険譚を話してやったニアにこんな無様な姿を見せてしまうのが、堪らなく滑稽で情け無く思えて仕方なかったのだ。


 だが、ニアはその綻んだ笑顔を俺に見せつけながら、躊躇せず汚らしい俺を精一杯抱きしめてくれた。

 村の惨事を目の当たりしたというのに、ニアはその慈しみの感情を俺にぶつけてきている。

 自分のことよりも他人を思いやれる、やはり見立て通りのニアの行動に思わず涙がこぼれ落ちた。

 その涙が体の表面を伝い、それすらも激痛を生み出すのだから本当にやるせない。

 

「泣かないで…とりあえず、村に戻ろう?もうなんにも…無いんだけど…」


 ニアの言葉の最後の方は消え入りそうな程に小さかった。

 やはり俺の姿を奪った魔物は俺の村に魔法を放ったらしい。

 久しく忘れていた感情を思い出す。心の底から煮えたぎるような不快感と憎悪の感情。

 俺の体を奪うだけじゃ飽き足らず、何故そのような仕打ちを、試練を与えてくるというのだ。俺が一体何をしたというのだ。わからない、だが恨みを買うようなことをしてきたのも事実…だと思う。

 

 ニアは一旦俺から離れて、先行して砂利の大地を歩み始めた。

 俺はその背中を見つめながら、子供の背中すら満足に追いかけられないような自分にため息を吐く。

 ゆっくりのそのそ地面を這う俺を見て、先を行っていたニアは急いで俺の元まで戻って来る。


「痛くて動けないの…?」


 痛い、なんて一言も発してないがニアは俺の動きを見て察したようだった。

 この醜い魔物の中身が俺だと見破った時だといい、ニアには凄い洞察眼があるようだ。

 村にいた時も確かに勘が鋭い子だとは思っていたが、唯一生き残っていることといい何か才能があるのかもしれない。思えば、ニアは俺よりも才能に満ちていたバレンの妹なのだ。何も無い方がおかしい。

 もちろん生き残りがニアだけとは断定できないが、ニアの振る舞いからして生き残ったのはニアだけなのだろう。

 俺は再び肉体を震わせて肯定の合図を送る。

 少女が運ぶには俺の体は大きすぎるかもしれないが、せめて少しだけでも持ち運んではくれないだろうか…

 不思議とニアの抱擁は痛くなかったのだ。

 

「ちょっと待っててね」


 そう言ってニアはしゃがむと、俺をその小さな両腕で再び抱き抱えてくれたのだが──、


「持ち上がらないよ…」


 結局諦めてしまった。

 確かに今の俺は小さくなったとはいえ、華奢な少女が抱き上げるには不可能な重量感をしている。

 ここは諦めて自力でなんとか進むしかないか。ニアが側にいることによる安心感で、心なしか痛みも和らいだような気がするし。

 それにしても…どこに胃があるのかはわからないが、まるで何年もの間何も食べていなかったかのような飢餓感が痛みよりも主張してくる。

 喋れないのに口があるのは何か食べる為のものらしい。

 ニアよ。何か食べ物を持ってないか?それとも森に戻って果物でも採ってきてくれないか?

 声には出せないが察しのいいニアならわかってくれるはず。


(あるじゃないか。目の前に食料が)

 

 なんだ?俺の意識に語りかけるような声が聞こえたような気がする。


(耐えられないんだろう?今のお前は魔物だぞ?)


 …食べ物?いったいどこにあるっていうんだ…?


(お前の口は草木を食うのに適した形をしていない。わかるだろ?お前が何を食うべきなのか)


 目の前…食料…今の俺は魔物……

 

(そうだ。お前は魔物だ。魔物が襲うのは、魔物が貪り食うものは分かっているだろう?)


 そうか。

 人間。ニンゲンだ。俺が食べていいのは、食べるべきなのは、ニンゲンだ。


(いるじゃないか。目の前に。お前が欲している非力で美味そうな人間が)


 本当だ。白く美しい腕、吸い込まれそうな程に透き通る藍の瞳、健康そうに膨らんだ頬。全てが美味うまそうな存在が目の前にいる。

 

(襲え。食え。本能のままに動け。お前はもう、魔物なんだから)


 俺の脳に語りかけてくるこの声の主が誰なのか。

 そんな疑問を抱く暇も無く、俺の中で人間としての自制心が少しずつ崩壊していくのを感じていた。

 揺らぐ。揺らいでいく、感情。


 俺は人間だ。


 ──オマエは魔物だ。


 違う、人間だ。


 ──オマエは魔物だ。


 やめろ、俺は、人間だ!


 ──この状況を見ても、オマエはまだ自分を人間だと言えるのか???


 ・・・は?


 声が、嘲笑うかのような声が、俺の意識を現実世界に引き戻す。

 俺は、意識を失っていたのか?

 いや違う。人間としての意識を、魔物となってしまった意識に奪われていた?


 なんだ、この感触は?


 ふと身体の下側に広がる心地よい・・・・感覚に気がついた。

 何かを下敷きにしている。

 その感触は土や雑草のような不快なものではない。

 

 そういえば、ニアはどこに行った???


 最悪な想像が過り、俺は体を下敷きにしている何か・・から退かした。

 そこにあったのは。


 ──俺の体で覆われたことにより窒息し、既に息を引き取っていたニアの姿だった。


 化け物の姿をしている俺に、さっきまで無垢な笑顔を咲かせてくれていた、ニアの姿だった。

  

 冷たくなっていく体。

 それを見て不恰好な口から涎を垂らしてしまう自分。

 本当に俺は醜い化け物になってしまったみたいだ。


 ハハ。

 なんだったんだろうな。今までこの国の為に奔走してきた意味って。俺が生きてきた意味って。

 魔法の研究に人生の大半を費やした。

 魔力の少ない一般人でも扱えるような生活魔法を確立させた。

 そして人々を襲う魔物を蹴散らし続けたことで英雄と呼ばれるようにまでなった。


 最終的に俺は…何を成し遂げたんだっけな。

 なんで俺は村に戻ってこようと思ったんだっけな。

 同じ英雄であるディラとシシリアにそそのかされて?

 違う。あれ?なんで俺はこんな場所にいるんだ??

 

 魔物になってしまったことで、記憶が混濁してしまっている。

 ニアを殺してしまったことで、何がなんだかわからなくなってしまっている。



 ──もう、どうなってもいいや。



 俺は…本能のままに横たわるニアの死体を貪った。

 小さく醜い口で、何度も、何度も、何度も何度も何度も!その端麗な肉体に不揃いな牙を突き刺した。

 ああ…うまい。

 この味を覚えてしまったら…もう俺は人間には戻れない気がする。戻ってはいけない気がする。


 ただ少女の肉体を一心不乱に食い漁っていたことで……俺は自分の肉体に変化が起こっていることに気づくのが遅れた。

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