投影人間

@LunarCipher9

第1話 投影人間、現る

日が暮れ、仕事帰りの人間が駅のホームに集まる。人口が多い割に、公共交通機関が充実していないこの町では、地下鉄の駅が一つしかない。いつも、駅には多くの人がごった返しているため、使うたびにうんざりしてしまう。


少し疲れたなと思い、ホームのベンチに腰を下ろす。最近は深夜まで帰れない日が続いていた。毎日、パソコンとにらめっこして、肩も凝り、どうにか頑張って終わらせるものの、その割には時給が低い。通帳を見て、途方にくれたことは何度もある。


新人とはこんなにつらいものなのだろうか。何となく、遠くを見る。真っ暗なホームの向こう側では、同じように疲れた人々が反対方向の地下鉄を待っていた。


ふと、柱の向こうからこちらを覗く人影に気づいた。人影はこちらが見ていることに気がつくと、柱から出てきた。人影の主は、自分と同じぐらいの齢の若い男性だった。スーツを着たその男は、こちらに近づいてきてこう言った。


「わかるよ…」


雑踏の中では、その声はあまりにもか細く、聞き取りづらいものだった。あまりにも脈絡のないその発言には、思わずこちらも聞き返す。


「え、何かありますか?どうしました?」


男は返す。


「わかるよ…その気持ち…」


まだ全容が見えないその発言に、ますます困惑する。「わかる」とは何なのだろうか。どんな「気持ち」が「わかる」というのだろう。


とはいえ、心当たりがないわけでもなかった。今、この駅で電車を待っているのは、みな自分と同じように夜遅くまで残業していた人たちだ。そして、この男も例外なく、そうなのだろう。毎日、疲れ果てて帰宅する自分は、現状のあまりの惨めさを辛く思っていた。


「わかりますか…」


思わず、そうつぶやいていた。それを受けて男もうなずく。その顔には、共感の気持ちが表れていた。


「わかりますよ…」


男が発したその一言には、男のやさしさが感じられた。既知の親友に会ったかのような暖かい気持ちに包まれる。壊れそうになりながら生きている自分の苦しみを、こうしてわかってくれる人がいる。そう思うと、もう少しだけなら頑張ってやらなくもないという気持ちが湧いてきた。


「ありがとうございます。少し、落ち着きました。これで、明日からもどうにかやっていけそうです。あなたが、私の気持ちを理解してくれたからです」


「いえ、それはあなたが強いからです。私は何もしていませんよ」


男は柔和な笑顔をたたえた。その顔を見ていると、自分も思わず微笑んでしまう。


二人の会話を遮るように、無機質なアナウンスが流れた。そろそろ、目当ての電車が来るという。


「それでは、これで」


そう言って男は、地上へと向かう階段を上っていった。自分も重い腰を上げ、列に並ぶ。また、どこかで会うだろう。同じ電車に乗り続けている限り。彼にまた会えるならば、この時間まで居残りするのも、悪いことではないような気がした。




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