「じっとしてろって言ったでしょ、明路」


「いや、だって、ねえ」

 はは、と明路は笑う。


「そんなことより由佳。

 どうやっても旧校舎に辿り着けないんだけど」


「そりゃ、明路が方向音痴だからじゃないの?」


 明路は由佳に、この不可思議な現象を訴えてみたが、軽く流された。


 しかし、その事実を疑問に思わない由佳が怪しく、上目遣いに見つめてみる。


 そのまま黙っていると、根負けしたように、


「……わかった。

 あんたが居ると、一緒に迷いそうだから、此処で待ってて。


 私がこのおじいさんを連れて行ってくる」

と由佳は言い出した。


 

 お堂だろ?

 お堂を探せばいいんだろ?


 そうしたら、丸く収まるはず。


 じいさんは満足して去り、日常は戻るはずだと思った。


 老人の気配を背中に感じながら、由佳は景色を見回し、右手で軽く頭を掻く。


 明路の視線もまだこちらを向いているようだった。


「坊っちゃん」


「嬢ちゃんだろ、嬢ちゃん」

と言うと、


「あんたよくそれでバレないもんじゃの」


 まあ、綺麗な顔しとるからのう、とじいさんに言われた。


「……この顔はキライだ」

「なんでじゃ」


「なんで顔……変わらなかったんだろうな」


 自分自身に問いかけるようにそう呟く。


「お前さんがその顔、気に入っとるからじゃろう」


 老人は何もかもわかっているかのようにそう言った。


「……明路と同じ顔だからな」


 でも、だからこそ、この顔が嫌いだ。


 だが、ぼんやりとした典型的な日本人顔の明路を思い浮かべると、その表情の緊張感のなさに、つい笑みが浮かぶ。


「いや、やっぱり……佐々木明路の顔が好きだな」


 そう言うと、老人は、

「まあ、落ち着く顔じゃのう」

と同意する。


「そりゃいいが。

 お堂がないな」


「社もないのう。

 何処に行ったんじゃろう」


 その言葉に自分の表情が陰ったのを感じた。


 息をひとつ吸い、気持ちを切り替えようとしたそのとき、声が聞こえた。


『……けて』


 どきりとする。


『たすけて……

    ……をたすけて……』


 助けて。


 何度もその声は繰り返す。


「……黙れ」


『たすけて……

    ……をたすけて……』


「うるさいっ。

 黙れっ!」


 やめないその声にイラつき、つい、声を張り上げてしまったその瞬間だった。


「服部?」


 男の声がした。


 移動した覚えもないのに、林はすぐ目の前で途切れており、そこからスケッチブックを持った制服姿の男が覗いていた。


 彼の後ろに校舎が見える。


「服部。

 どうして此処に。


 いや、お前……」

と言いながら、彼は考え込むように額に手をやる。


 ヤバイ、と思ったとき、ぐにゃりと空間が歪んで、少年は消えていた。


 もう木々しか見えないそこを見ながら、老人は、


「……なんじゃ今のは?」

と目をしばたたいて問う。


「さあな」

と素っ気なく答えた。






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