第40話 来訪
「……珍しいな、父さんから連絡が来るなんて」
蓮見夫妻の馴れ初めを聞いたその日のバイト終わり。
スマホを開くとニャインの通知がポップしていた。
白雪からだろうかと急いでタップすると、そこには『父さん』というメッセージの送り主の名が。
勝手にがっかりしつつも、続けてトーク画面を開いた。
普段、父さんとは滅多に連絡をとらない。
もちろん学校関係で必要な連絡とかはするけど、俺も父さんも、積極的にコンタクトを取り合うことはなかった。
そもそも、一人暮らしを始めてからあのマンションに父さんが訊ねてきたことだって数えるほどしかない。
このことを誰かに話せばお前の親は放任主義なんだな、とか言われるだろうけど、実際は違う。
中学の時に離婚して母さんが家を出て行ってからというもの、父さんは俺に負い目でも感じているのか、何かと距離をとるようになった。
その距離感に俺も自然と合わせるようになって、今に至る。それだけの話だ。
とはいえ、だからこそ父さんから連絡が来るのは珍しい。
トーク画面を見ると、父さんらしい簡素な一文があった。
『今から迎えに行く』
◆ ◆ ◆
商店街のゲートを出ると、道路脇に見慣れたグレーの車が停まっていた。
俺が近付くと、ハザードランプがチカチカと点滅し、助手席側の窓がウィーンと音を立てて下がる。
「伊月」
助手席に体を寄せながら車内から声をかけてきたのは、細縁の眼鏡をかけた男性だった。
俺は覗き込むようにして応える。
「父さん。先に家に行っててくれてよかったのに」
「遠慮するな。それに通り道だ」
父さんは口癖のように、「遠慮するな」と言ってくる。
久しぶりに会ったというのに当然のように飛び出したその口癖に内心で苦笑いしながら、俺は助手席に乗り込んだ。
俺がシートベルトを締めるのに合わせて車がゆっくりと動き出す。
横目に父さんの姿を窺えば、記憶にあるよりも目尻の皺や白髪なんかが増えているような気がした。
父さんの老い、というものを意識し始めたのは、一人暮らしを初めてからだった。
父さんと顔を合わす間隔が開けば開くほど、老いが加速しているように見える。
「晩飯は食べたのか?」
そんなことを考えていたものだから、不意に投げかけられた言葉にびくりとしてしまった。
俺は慌てて答える。
「いや、まだだよ。帰り道にスーパーに寄ろうかなって思ってたけど」
「ならちょうどいい。弁当を買ってきてる」
父さんが軽く肩を下げて後部座席を示す。
振り返って見ると、そこにはレジ袋があった。
「ありがとう」
「本当は備蓄か何かも持ってこようと思ってたんだけどな。時間がなくて、すまないな」
「気にしないでよ。一応、その辺りはちゃんとしてるから。それよりも今日は突然どうしたの。結構急だったけど」
「ああ、すまない。迷惑だっただろう」
「いや、そうじゃなくて……」
途端に申し訳なさそうにする父さんに、少しだけうんざりする。
父さんの口癖が他にもあるとすれば、それは「すまない」だった。
昔はそうではなかった気がするけど、離婚してからというもの、父さんはよく謝ってくるようになった。
自分でも理不尽なことだとはわかっているけど、そのことが少しだけ煩わしい。
俺は内心の苛立ちを誤魔化すように、再度訊ね直す。
「それで? 俺に用があるんじゃないの?」
「ああ、いやな……」
俺の問いに父さんは困ったような、あるいは気まずそうな表情を浮かべた。
運転中なので視線は変わらず前を向いていたが、ちょうど赤信号に捕まり、車が緩やかに減速していく。
そうして完全に停車すると、「ふぅ」と小さく息を吐き出して、父さんがこちらを向いた。
「実はな。父さん、再婚することになったんだ」
「……え」
突然のことに掠れた息のような声を漏らすことしかできなかった俺の反応に、父さんは難しそうに眉をしかめる。
たぶん、俺は息子としてすぐにでも「おめでとう」と返してあげるべきなんだろうけど、その言葉は喉元につっかえる。
ようやく言葉にできそうなタイミングで、視界を淡く彩っていた赤色が青色へと変化し、車が動き出した。
車内には沈黙が流れる。
タイミングを失ってしまって、声をかけることができずにいた。
(父さんが再婚、か)
意外だった。
何をするにも負い目を感じて俺の反応を窺ってくる父さんが、再婚なんて大事を決めたのもそうだし、踏み切るような相手がいたことにも。
新しい、母さん。
脳裏には、俺に別れの挨拶もなく、突然家からいなくなった母さんの顔がぼんやりと浮かんでくる。
父さんから離婚されたのだと告げられた衝撃が蘇ってきて、車酔いにも似た吐き気を覚えた。
(…………いや、関係ないだろ)
あの時はまだ子どもだった。
大人からすれば今の俺も子どもだけど、親の温もりが欲しいとか、そういう時期は脱している。
新しい母さんは、俺の母さんというよりも、父さんのパートナーだ。
再婚したら家族にはなるけど、俺にとっては他人だ。
……他人なら、突然いなくなっても気にする必要はない。
臆病な自分にそう言い聞かせ、なんとか心の整理ができた。
今なら父さんに心から「おめでとう」と言える気がして、俺はいつの間にか俯いていた顔を上げて口を開く。
「――――」
だけど、その思いに反して俺の口からは何の言葉も発せられなかった。
◆ ◆ ◆
(……何か、大事なことを忘れているような……?)
父さんとエレベーターに乗り込んでから、俺はずっともやもやしていた。
このまま家に帰るとまずいことがあったような、そんな感覚に襲われている。
それがなんだったのか思い出せないまま、エレベーターがポーンと音を立てて止まった。
目的の階で降り、家の扉をガチャガチャと開ける。
「この家に来るのは久しぶりか?」
「そうだね。父さんが最後に来たのが……確か、3月とかだったかも」
「そんなになるか。……うん、ちゃんと片付けてるみたいだな」
玄関に入って早々、父さんは辺りを見回してうんうんと感心していた。
「鍵かけとくから先に入っといてよ」
妙な気恥ずかしさを覚えてそう言うと、父さんは廊下に上がり、リビングへと通じる突き当たりのドアへと向かった。
父さんがリビングのドアを開けるのと、俺が鍵を閉める音が重なる。
頭の中でいつ再婚への反応を返そうかと考えていると、奥の方から父さんの悲鳴のような声が飛んできた。
「伊月、なんだこれは!」
その声に慌ててリビングへ駆け寄ると、父さんは入り口近くで立ち止まり、何かを注視していた。
父さんの視線の先を追い――俺もまた、固まった。
「……これのことだったか」
譫言のように呟きながら、俺はエレベーターでの違和感の正体を悟って頭を抱える。
父さんと俺の視線の先。
そこには、白雪の布団やバッグ、そして女性ものの衣類が置かれていた。
保健委員の白雪さんは不眠症の俺に添い寝してくれる。 戸津 秋太 @totsuakita
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