第39話 蓮見夫妻の裏事情
金曜日のこの日は普段通り花屋『ロータス』でのバイトの日だ。
この日の仕事はほとんど裏方で、地下で進さんと二人で花の管理を担当していた。
売り物になる花とならない花を見極め、前者は冷蔵庫で保管、後者は残念ながら廃棄することになる。
そうして閉店間際になって、進さんが提案してきた。
「神原くん、それが終わったら今日はもうこれ以上仕事ないし、どうかな? フラワーアレンジメントの練習でも。俺も見てやれるし」
「いいんですか?」
「もちろん。最近ありがたいことに依頼も多くてね。手が回らなくなるときも多いから、神原くんには腕を上げて欲しいんだよね」
「……頑張ります」
「はははっ、まあまあそう気負わずに気楽に気楽に。こんな話をした俺が言うことでもないけどね」
奥さんに似て進さんも豪快な笑い方をする人だ。
二人はまるで、この花屋に飾られている綺麗な花みたいなおしどり夫婦で、白雪への好意を自覚した今となってはなんだか眩しく見える。
最後の在庫管理を終え、手元のチェックリストを確認してから俺は練習の準備に取りかかる。
地下室の中心部に置かれた作業台に材料を並べていく。
まずは廃棄予定の花たち。色味が悪く、元気もなくなってきて売り物にはならないが、練習にするには十分。
次に残っているグリーン。花を引き立てるためのワンポイントとして使う葉物のことだ。
そしてもちろん花を飾る容器と、土台となる吸水スポンジ。
ここに花の茎を挿していく。
最後に花ばさみとナイフを用意すれば完璧だ。
今日は先週の母の日で売れ残ったバラがたくさん残っているし、バラのフラワーアレンジメントに挑戦しよう。
そう思い立ち、容器に合わせて吸水スポンジを切っていく。
長方形に切り取ったスポンジを容器の中央に、容器との隙間を細かく切ったスポンジで埋めていく。
そうして表面の面取りを行えば土台は完成だ。
ここに花の茎を挿していく。
今まで教わったことを忘れずにグリーンやチューリップ、バラを順々に挿す。
頭に思い浮かべた完成像を目指して花を挿していく中で、ふと白雪の顔が浮かんできた。
(そういえば白雪、俺の作ったフラワーアレンジメントを褒めてくれたな……)
公園で連絡先を交換した日。
ニャインのアイコンにしていた俺のフラワーアレンジメントを見て目を輝かせていた白雪の表情に、俺は思い出し笑いをしてしまう。
最近暇さえあれば白雪のことを考えている。
今日も授業中、気が付くと白雪のことを目で追ってしまっていた。
今朝、というよりも夜中。
眠ってしまったために考えられなかったことがある。
白雪とこれからどうするか。自分のこの気持ちにどう向き合うか。
俺が彼女に抱いている想いが単なる依存なのか、それとも彼女が俺に向けているようなものなのか。
そういうことを考えるのがどうでもよくなるぐらいに、俺は彼女のことを特別に思っている。
なら、その想いを伝えればいい。
……いいのだが。
(こういうときって、どう伝えればいいんだ?)
彼女になってください?
俺と付き合ってください?
素直にその言葉を告げれば、白雪は頷いてくれる気がする。
だけどそれはなんだか躊躇われた。
気持ちを伝えるのが怖いとか、逃げとか、そういう消極的な理由ではなくて。
もっと大事な言葉があるんじゃないか、伝え方があるんじゃないかという迷い。
(…………ぁ)
ふと、手元の花たちのバランスが崩れていることに気が付いた。
俺は一度挿したバラの花を抜き、挿しなおす。
もしこの花を白雪に渡すなら、こういう風に見て欲しいと、そんなことをぼんやりと思い浮かべながら。
程なくして、作業が終わる。
すると、正面から静かに様子を見守っていた進さんが頷きと共に呟いた。
「うん、だいぶ上手くなったなぁ」
「本当ですか?」
「ちゃんと焦点もぶれていないし、スポンジもきちんと隠せてる。今までは全体のバランスが崩れがちだったけどそこも良くなってる。視野が広がったっていうのかな……これまでと比べても劇的な変化だ」
そこまで手放しで褒められるとなんだか照れる。
……でも確かに、進さんの言うとおり今日の出来映えは悪くない。
もちろん、廃棄予定の花を使っているから色味は褪せていて少しぱっとしない印象は受ける。
だけどフラワーアレンジメントで重要となる基礎的な要素は押さえられている気がした。
(視野が広がった、か……)
進さんの講評を反芻する。
振り返ってみると、今までは目の前の花一本一本に集中しすぎていた気がする。
だけど今は全体のことがよく見えている。
連日、よく眠れているからだろうか。
それとも――、
俺が理由を考えている時だった。
地上から降りてきた薫さんが「あら~」と歓声を上げた。
「素敵なお花じゃない。なになに、神原くんが作ったの?」
「は、はい」
「見事なもんだろ? 俺の指導のお陰だな」
「神原くんも遂にフラワーアレンジメントの心髄を掴んだって感じね」
得意げな進さんを華麗にスルーして、薫さんは近付いてくる。
「心髄ですか?」
「そうよ。フラワーアレンジメントは活けた花たちをどう見て欲しいかが肝心。作り手になるとどうしても自分中心になっちゃって、それを鑑賞する人の視点が抜けちゃうから。でも今日のはちゃんとそこを意識できててとても綺麗だわ」
「鑑賞する人の視点……」
薫さんの言葉を繰り返す。
その間に、正面では蓮見夫妻がいつものように言い争っていた。
もちろん、言い争うといっても痴話げんかのようなものだけど。
しかし、言われてみれば確かに今までその辺りのことは意識できていなかった気がする。
今日はたまたま、白雪に渡すならどう見て欲しいか――なんて考えていたから。
「……そういえばお二人って、ご結婚された年にこのお花屋を開店したんでしたよね」
不意にそう訊ねると、蓮見夫妻は目をパチクリとさせてこちらを向いてきた。
「ええそうよ。お互い花が好きでね、付き合ってた頃から将来は花屋を開きましょうなんて言ってたのよ」
「あの時はまさかこんなに続くなんて思ってなかったけどな、ははははっ」
「それって花屋? それとも私との関係?」
「……はははははっ!」
「ちょっと」
笑って誤魔化す進さんとまたしても言い合う二人。
本当に仲が良い。
「お二人って、どういうキッカケで付き合うようになったんですか?」
「なんだなんだ、神原くんらしからぬ質問だなぁ。こいつはやっぱり春か。春が来たか」
「あんたそればっかりね……」
薫さんが呆れたようにため息を零すが、今の俺にとっては図星なので、以前のように否定はできない。
するとその違いを目ざとく感じ取った二人が目の色を変えた。
「えっ、まじな感じか?」
「うそ~、おめでたいじゃないのぉ!」
驚く進さんに、喜ぶ薫さん。
二人の反応に恥ずかしさを覚えつつ、俺は相談する。
「その、好きな……というか一緒になりたい相手がいて。どう気持ちを伝えたものか悩んでいたんです。それで、お二人の話が聞けたらなと」
「あらあらあらあらあらまあまあっ」
「ほぉ~ついにか、ほぉ~、ほぉお~」
二人とも壊れてしまった。
「……すみません、やっぱり忘れてください」
恥ずかしさのあまり話を打ち切ろうとすると、二人は慌てて引き留めてきた。
そうして一度場が落ち着いてから、薫さんが思い出すように話す。
「私たちは元々幼なじみでね。小さい頃からの付き合いだったんだけど、気が付いたらお互いのことが好きになってたのよ」
「好きっていうか、あれだ。たぶんこいつ以外に一生一緒にいられる相手がいねえだろうなっていう、確信的な?」
「それが好きってことでしょうに。ほんと、あんたって変なところで照れるんだから」
普段は「可愛い嫁さん」とか言っているのに、進さんは顔を赤くしていた。
冗談っぽく言うのと、真剣に話すのとでは違うということか。
「まあこの人がこんなだから、お互い想い合ってるってわかってからも付き合い出すまで結構かかってね。私が早く告白しなさいよってアピールしても全然切り出さないへたれだったのよ」
「へ、へたれじゃねえだろ!」
「なによ、あんたクリスマスに私からデートに誘ったのに結局何も言わないで帰ったじゃないさ!」
「さ、誘った方から切り出すと思ってたんだよ!」
……また言い合いが勃発してしまった。
「ま、そんなわけで痺れを切らした私の方から告白したのよ。……今の神原くんには参考になんない話だったかね」
「そんなことないです」
細かい事情こそ違えど、白雪から想いを伝えられているという点では同じだ。
「好き合ってるってわかっててもこういうことになるんだから、人間関係って難しいわよねぇ。ね」
「なんで俺を見るんだよ……」
「だってあんたプロポーズもまともにしなかったでしょ。私、まだ恨んでるんだから」
「いやそれは、ほら、自信がなかったんだよ……」
「だからって婚姻届をいきなり渡してきて一緒に店開くならサインしてくれって、あれはないでしょうよ」
「うるせえ。あれも立派なプロポーズみたいなもんだろが」
何やら地雷を踏み抜いてしまったらしい。
二人はまたしても言い争い始めた。
最終的には進さんが謝る形で場は収まり、二人が謝りながら俺の方を向いてくる。
「でもまあ人と人との関係性なんてそれこそ人の数だけあるんだからな。無理に俺たちの関係を当てはめようとか、真似しようとかはしない方がいい」
進さんの言葉に薫さんも頷く。
「あんたにしては良いこと言うじゃない。そうよ、恋愛は相手がいてこそなんだから。この花と同じで、自分本位で動くものでもないわ。お互いの関係は相手と探り合いながら築いていくものよ」
「相手と探り合いながら……」
二人は何気なく話したけど、今の言葉の中に俺の悩みの答えがそあるような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます